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第二章 小さな光
第五話 暗闇の中で
「ジオっ!」
サフィアンはよろめきながら駆け出した。
地面へ倒れ込んだジオの傍へ膝をつく。
肩を掴む。
「ジオ!」
返事はない。
顔色は青白く、呼吸も浅い。
けれど、生きている。
その事実に、サフィアンはようやく息を吐いた。
その時だった。
背後で大きな歓声が上がる。
「倒したぞ!」
「魔物を討ち取った!」
兵士達の声だった。
これが最後の魔物だったらしい。
街を覆っていた緊張が少しずつ解けていく。
だがサフィアンにはどうでもよかった。
今はそれどころではない。
腕の中の幼馴染の方が大事だった。
サフィアンはジオを抱き上げる。
軽い。
昔より背は伸びたのに、驚くほど軽かった。
「……帰ろう」
誰に言うでもなく呟く。
そして薬屋へ向かった。
薬屋の前には灯りがあった。
マーサが立っていた。
まるで最初から分かっていたみたいに。
小さなランプを手に持ち、静かに二人を待っていた。
サフィアンの姿を見ると、すぐに扉を開く。
「中へ」
短い声だった。
サフィアンは頷く。
急いで店の奥へ入り、ジオをベッドへ寝かせた。
マーサは慣れた手つきで脈を確認する。
額へ手を当てる。
しばらく様子を見たあと、小さく息を吐いた。
「命に別状はないよ」
その言葉にサフィアンは肩の力を抜いた。
今にも崩れ落ちそうだった。
それほど緊張していたのだ。
マーサはそんなサフィアンを見つめる。
乱れた髪、傷の付いた顔、泥や血で汚れた服。
戦闘の厳しさ物語る姿だった。
そして静かに言った。
「今夜は帰りな」
「でも」
「大丈夫だよ」
優しい声だった。
「この子は私が見てる」
サフィアンは唇を噛む。
本当は離れたくなかった。
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目を覚ますまでここにいたかった。
けれど、ソルト家もきっと心配している。
結局。
「……また明日来る」
そう言い残し、薬屋を後にした。
外には馬が待っている。
手綱を握りながら、サフィアンは一度だけ薬屋を振り返った。
窓から漏れる灯りが夜の闇に滲んでいた。
そこは真っ暗だった。
何も見えない。
自分の足元さえも。
いや。
本当にそこに自分が存在しているのかすら、曖昧になるような感覚だった。
暑さもない。
寒さもない。
光も。
音も。
何もない。
ただ、果てのない暗闇だけが広がっていた。
どれほど時間が経ったのだろう。
その時ふと、どこからか小さな音が聞こえた。
「……っ」
誰かが泣いている。
かすかな、けれど確かな啜り泣く声。
「……どこにいるの?」
小さく呟く。
ジオは、その声のする方へ歩き出した。
足元は何もないはずなのに、不思議と進むことができた。
暗闇の中を。
ただひたすらに。
やがて、遠くにぼんやりと何かが浮かび上がる。
人影。
小さな身体を丸めるようにして、膝を抱えて座り込んでいた。
長い黒髪。
闇に溶け込むような黒い衣。
白く細い手足。
それは少女だった。
肩を震わせながら、ずっと泣いている。
「……」
ジオは少女へ近づこうとする。
けれど。
あと少し。
あと少しの距離なのに。
足が前へ進まない。
踏み出したはずの足は、空を切るように沈んでいく。
まるで、そこだけ世界に拒まれているようだった。
「どうしたの……?」
声を掛けても、少女は顔を上げない。
ただ、泣き続けている。
ジオは何もできず、その場に立ち尽くした。
この子は誰なのか。
なぜ泣いているのか。
なぜ自分はここにいるのか。
何一つ分からない。
それでもその泣き声だけが、暗闇の中で、いつまでも響いていた。
翌朝。
ジオはゆっくり目を開いた。
身体が重い。
頭も痛い。
ひどく長い夢を見ていた気がした。
けれど内容は覚えていない。
「……」
ぼんやりと天井を見つめる。
嗅ぎ慣れた薬草の匂い。
薬屋のベッドだった。
「起きたかい」
マーサの声がする。
椅子に腰掛けたまま、こちらを見ていた。
「ばあちゃん……」
身体を起こそうとして顔をしかめる。
まだ気分が悪い。
その時だった。
握り締めた掌に何かがある。
視線を落とす。
そこには砕けた御守りの欠片。
昨夜の記憶が蘇る。
満月。
魔物。
サフィアン。
砕けた剣。
そして。
自分。
「……俺は」
喉が震えた。
「俺は……何者なの?」
マーサは答えなかった。
しばらく黙ったまま、欠片を見つめている。
そして、とても苦しそうな顔で言った。
「私にも分からないんだよ」
その言葉は正直だった。
誤魔化しではなく。
本当に、分からないのだろう。
「……」
ジオは何も言えなかった。
街は騒がしかった。
窓の外から声が聞こえる。
「そこ気を付けろ!」
「木材を運べ!」
「壁の修理が先だ!」
役人達が被害状況を確認している。
職人達が建物を修理している。
ラディスはすでに復興へ向けて動き始めていた。
けれど、別の声も聞こえていた。
「聞いたか?」
「薬屋の孫が……」
「黒いのを集めてたって……」
「やっぱり普通じゃなかったんだ」
ジオは耳を塞ぎたくなった。
聞こえてしまう。
嫌でも。
昨夜から、人の感情が以前より鮮明に伝わるようになっていた。
恐怖。
不安。
疑念。
負の感情が胸を刺す。
それだけではない。
「魔物を呼んだんじゃないか?」
「だから黒髪なんだ」
そんな噂まで流れていた。
街の一角には見慣れない人影もあった。
白い服を纏った者達。
教会の人間だ。
何かを調べているらしい。
けれど詳しいことは分からなかった。
一方で、サフィアンは英雄扱いされていた。
「ソルト家の長男が頑張ったらしいぞ」
「勇敢だったって話だ」
「将来有望だな」
そんな声が街中で聞こえていた。
サフィアン本人はきっと困った顔をしているだろう。
そう思うと少しだけ可笑しかった。
けれど、今は笑えない。
それから数日。
ジオは外へ出なくなった。
薬屋の中だけで過ごす。
本を読むことも減った。
夜になるのが怖かった。
目を閉じるのも怖い。
またあの感覚が来る気がした。
胸の奥で渦巻く黒い感情。
自分が何なのか分からない恐怖。
そして、人々の感情。
怒りも、悲しみも、全部流れ込んでくる。
まるで、世界の苦しみが少しずつ自分へ集まってくるみたいだった。
ある夜。
ジオはベッドの上で膝を抱えていた。
部屋の灯りは消している。
窓の外には月。
その光を見るだけで胸がざわついた。
怖い。
全部。
何もかも。
その時だった。
ーーコンコン。
扉がノックされた。
ジオは顔を上げる。
こんな時間に?
マーサではない。
彼女ならそのまま入ってくる。
再びノックの音。
そして
「ジオ」
聞き慣れた声。
部屋の外にいたのは、サフィアンだった。
コメント
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第12話、読み終わりました。 ジオが目覚めて「何者なの?」と問う場面、胸が締め付けられました。自分の異質さに気づき始めた恐怖と、マーサでさえ答えを持っていない現実の重さがじわりと伝わってきます…。それでも最後に扉の外に立ったサフィアンの存在が、その暗さの中の小さな光のように見えました。 ここからどうなっていくのか、とても気になります。続きも楽しみにしていますね🌷