テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
#普通
野々さくら
543
805
44
ありあ
159
1945年8月15日正午。長野県天虎村、諏訪部家。
部屋に置かれた昭和11年製の真空管ラジオからは、昭和天皇の声がノイズ混じりに流れていた。
それは日本の全国民に対して、日本が第二次世界大戦で敗戦した事を伝える「終戦の詔書」の読み上げだった。
そう、世に言う玉音放送だ。
そんな敗戦の日に産声を上げた小さな赤子。
それは名前も貰えず、生まれた瞬間から生涯奴隷として生きていく事が確約された赤子だった。
敗戦の日に産まれ、奴隷として生きると決められる。
尊い生命の誕生にしては随分な皮肉である。
「元気な男の子ですよ」
助産師は、生まれたばかりの赤子を抱き上げ、穏やかな笑みを浮かべる。
その言葉を聞いた父親は、安堵したように大きく息を吐いた。
「よかったな・・これで諏訪部家も安泰だ」
そして、生まれたばかりの我が子を見つめながら、満足げに頷く。
母親も赤子を胸に抱いたまま、小さく微笑む。
「ええ・・・そうだね」
その表情には喜びがあった。
しかし、どこか影を帯びたような儚さも宿っていた。
父親は部屋の隅にいた幼い勇を呼ぶ。
「勇!こっちに来なさい!」
勇は無邪気な笑顔を浮かべ、駆け寄ってきた。
「なに? おっとう?」
父親は赤子を指差す。
「母さんが赤子を産んだんだ」
「おっかあが?」
「そうだよ、勇」
母親は優しく微笑みながら赤子を抱き直した。
「ほれ・・・見てごらん」
勇は母親の腕の中で眠る小さな命を、不思議そうに覗き込む。
指先は小さく、頬は柔らかそうで、寝息さえ愛らしい。
「可愛いなぁ♬」
その素直な感想に、父親は静かに口を開いた。
「だがな、勇?お前はあまり情を持つなよ?」
勇は首を傾げる。
「なんで?」
母親は少しだけ視線を伏せ、言葉を選ぶように口を開いた。
「この子はね・・・勇の奴隷になるんだ」
「奴隷?」
勇は意味が分からず、きょとんとする。
「奴隷って何?」
母親は無理に笑みを作る。
「そうだねぇ・・勇のお手伝いさんだよ」
その言葉に、父親も頷いた。
「そうだぞ、勇!お前はいずれ
この茶農家を継ぐんだ」
「そうだよ・・・この子はね?
お前を支えるために産まれてきたんだ」
幼い勇の瞳はぱっと輝いた。
「やったぁー♬」
何も知らない子供らしい、無邪気な歓声だった。
兄弟が支え合って生きていく。
そんな未来を想像していたのかもしれない。
だが、その奴隷という言葉の本当の意味を、この時の勇は知る由もなかった。
自分が良い言葉と思って受け入れたその言葉が、どれほど残酷な現実を含んでいるのか。
勇がその無知を思い知るまで、そう長い時間はかからなかった。
◇ ◇ ◇
数年後。天虎村の茶畑には真夏の陽射しが照りつけていた。
幼い弟は、汗を流しながら必死に働いていた。
だが、小さな身体はとうに限界を迎えていた。
ほんの少しだけ手を止め、息を整えようとした、その瞬間。
「コラ!休むんじゃないよ!」
鋭い怒声が飛ぶ。
次の瞬間、母親の鞭が弟の背中を容赦なく打ち据えた。
乾いた音が茶畑に響く。
「ご、ごめんなさい・・・」
弟は涙をこらえながら頭を下げる。
母親は冷たい目で見下ろした。
「いいかい?お前は奴隷なんだ!」
その言葉は幼い胸に深く突き刺さる。
「お前は勇の為にその身を犠牲にして働くんだ!」
母親はさらに言葉を浴びせる。
「わかったかい?」
弟は震えながら小さく頷いた。
「はい・・・分かりました」
「だったら休んでないで、さっさと動け!働け!」
「は、はい・・・」
弟は痛む身体を引きずりながら、再び畑へ向かった。
その様子を少し離れた場所から、勇は黙って見つめていた。
弟がまるで道具のように扱われる姿。
鞭で打たれ、叱責され、それでも逆らうことも許されず働き続ける姿。
勇は唇を噛み締める。
「お、おっかあ・・・」
勇のか細い声に、母親は振り返った。
「あら♬勇♬どうしたんだい?」
先ほど弟に怒声を浴びせていたとは思えない優しい声色で勇に語りかける。
「お、俺もお手伝い──」
勇は勇気を振り絞って口を開こうとするが、その言葉は最後まで続かなかった。
母親は即座に首を横に振る。
「お前は良いんだよ、アンタは家でゆっくりしてな」
「で、でも・・・」
勇がなおも言いかけると、母親の表情が険しくなった。
「母さんの言う事が聞けないってのかい?」
その一言だけで、勇は何も言い返せなくなる。
やがて母親は、命令するように言い放った。
「家に戻ってな!いいね?」
勇は弟へ視線を向けた。
汗と涙にまみれ、それでも懸命に働き続ける小さな背中。
本当は自分も隣に立って働きたかった。
弟に全てを背負わせたく無かった。
その身を挺してでも守りたかった。
だが、幼い勇には母親へ逆らう勇気などなかった。
「は、はい・・・」
俯いたまま返事をすると、勇は重い足取りで家へ向かう。
背後では、なおも弟を叱る母親の怒声が、いつまでも茶畑に響き続けていた。
コメント
1件
×××さん、こんばんは。みぅです。 今回のエピソード、すごく重くて苦しかったです…。生まれた瞬間から「奴隷」としての人生が決められてしまう弟と、それを止められない勇の無力感。特に、勇が「俺もお手伝い──」と言いかけて母親に押し切られる場面が切なくて。鞭の音がずっと耳に残ってます。この世界を丁寧に描いてくれてありがとうございます。次も静かに読みますね。