テラーノベル
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【あと9日】 遊ぶという行為
登場人物
水城レン
二十六歳。細身で、耳の近くまで伸びた少し癖のある茶色の髪と、濃い茶色の瞳を持つ。灰色の薄手ジャケットにベージュのシャツ、動きやすいパンツを着ている。考え込むと前髪を指先で横へ寄せ、資料を読むときは紙の端を何度も触る。
秋庭教授
六十二歳。短く整えた灰色の髪に、細い樹脂縁の眼鏡を掛けている。背は低め。茶色のカーディガンと灰色のシャツを着ている。資料へ集中すると眼鏡を鼻の近くまで下げる。普段は静かだが、昔の文化を実際に試すときだけ妙に負けず嫌いになる。
佐久間ユウ
二十九歳。短い茶色の髪を横へ流し、丸い樹脂縁の眼鏡を掛けている。黄緑のシャツに紫の薄手パーカー、灰色のパンツ姿。旧娯楽資料保管所の管理員。古いゲームや玩具を保存する仕事をしているが、遊び方までは詳しく知らない。
◆
午前八時十二分。
水城レンが研究室へ入ると、音が鳴っていた。
昨日聞いた演奏記録。
五分三十八秒。
机の上に置いた小型再生装置から、一定ではない音が静かに流れている。
レンは扉の前で止まった。
「教授?」
奥を見る。
秋庭教授が机に座っていた。
短く整えた灰色の髪。
茶色のカーディガン。
細い樹脂縁の眼鏡。
片手で資料をめくりながら、もう片方の手で机を小さく叩いている。
トン。
トン。
トン。
音に合わせている。
レンは黙って見た。
教授が顔を上げる。
「何だ」
「何回目です?」
「何が」
「それ」
レンが再生装置を指差す。
教授は画面を見る。
「朝からなら三回目」
「朝から三回」
「資料整理にちょうどいい」
レンは笑った。
「作業用になってるじゃないですか」
「昨日、君もやっていただろう」
「俺は研究です」
「私も研究だ」
レンは上着を椅子へ掛けた。
昨日までなら、朝の研究室で必要のない音が鳴り続けていたら止めていたかもしれない。
今日は止めなかった。
むしろ音が流れていることに、少し安心する。
自分の机へ座る。
端末を起動する。
表示された数字を見る。
あと9日。
一桁。
レンの指が止まった。
十二。
十一。
十。
そして九。
三日が過ぎた。
最初に老人から極秘資料を渡された日が、もう遠く感じる。
祭り。
音楽。
まだ二つしか調べていない。
それでも、街の見え方は少し変わっていた。
昨日まで気にしていなかった静けさが気になる。
人が集まらない広場が気になる。
店舗に音がないことが気になる。
知らなければ気にならなかった。
知ったことで、存在しないものが見えるようになってきた。
レンは机の中央を見る。
四冊目。
数字の「4」が印刷されている。
演奏記録が終わった。
研究室が静かになる。
教授が再生装置へ手を伸ばす。
レンが先に止めた。
「今日はこっちです」
四冊目を持ち上げる。
教授が少し残念そうな顔をした。
「後で流す」
「気に入ってるじゃないですか」
「なんとなくだ」
昨日、自分が使った言葉だった。
レンは四冊目を開く。
最初の頁。
第四対象文化。
遊戯。
その下に、いくつもの分類。
ゲーム。
玩具。
遊び道具。
競技。
遊戯施設。
映像ゲーム。
卓上ゲーム。
カードゲーム。
人形。
模型。
収集。
レンは頁をめくった。
写真が並んでいる。
小さな箱。
板。
カード。
球。
棒。
人形。
車両の模型。
動物を模した玩具。
携帯型のゲーム機。
据置型のゲーム機。
画面と操作器。
用途が分からない物も多い。
「遊び」
レンは写真を見ながら呟いた。
音楽よりは分かる。
幼児向けの簡単な遊具は現在にも残っている。
身体能力や認知機能を育てる教育道具として使われていた。
だが資料にあるものは違う。
対象年齢。
六歳。
十二歳。
十八歳。
三十歳。
五十歳。
七十歳。
「大人も?」
「昔は大人も遊んでいた」
教授が答える。
レンが顔を上げた。
「子どもと?」
「一人でも」
「大人同士で?」
「それもある」
「何の訓練です?」
「遊びだ」
「だから、何のための」
言いかけて止まる。
教授が笑っている。
「また?」
「まただな」
祭り。
何のために集まる。
音楽。
何のために聞く。
遊び。
何のためにやる。
三日連続で同じところにつまずいている。
レンは資料へ戻った。
遊戯目的。
娯楽。
交流。
競争。
気分転換。
収集。
挑戦。
暇つぶし。
最後の言葉で止まる。
「暇つぶし」
声に出した。
教授が頷く。
「そういう使い方も多かったようだ」
「時間を?」
「使う」
「わざと?」
「そうだ」
レンは理解できず、頁を何度か読み返した。
現在では待ち時間が生じれば別の作業を入れる。
移動中なら情報確認。
長い待機時間なら業務や学習。
何もしない時間を減らす仕組みが生活のあちこちにある。
昔の人間は、その時間を遊びで使った。
それどころか。
資料をめくる。
平均ゲーム利用時間。
一日一時間。
二時間。
三時間。
休日五時間以上。
さらに一部では、一つのゲームに数百時間。
数千時間。
レンは数字を二度見した。
「千?」
教授も覗き込む。
「そう書いてある」
「一つのゲームに?」
「そうだな」
「千時間使って、何が残るんです?」
教授は答えなかった。
「資格?」
「違う」
「仕事の技能?」
「ゲームによっては何か身についたかもしれないが、それ自体が主目的ではない」
「収入?」
「職業として遊ぶ人もいたが、大多数は違う」
「じゃあ何が残るんです?」
「遊んだ経験」
レンは黙った。
「それだけ?」
「たぶん」
「千時間?」
教授が眼鏡を上げる。
「気になるなら、実際にやるしかない」
レンは資料をめくる。
保存資料一覧。
旧娯楽資料保管所。
大量の実物が現存。
昨日と似ている。
「行けってことですね」
「資料がそう言っている」
「資料は喋りません」
「昨日から研究室では音が喋っている」
レンは少し笑った。
午前九時三十分。
二人は研究室を出た。
駅へ向かう。
途中、小さな公園の横を通った。
子どもが三人いた。
一人は運動測定器を使っている。
画面に跳躍回数が表示される。
もう一人は反応速度訓練。
光った場所へ触れている。
残る一人は保護者の横で学習端末を操作している。
レンは足を止めた。
「昔だったら、ここで遊んでたんですかね」
教授も公園を見る。
「そうだろうな」
「今も似たことしてますけど」
「目的が違う」
遊具はある。
球もある。
走る場所もある。
だが、それぞれに測定値がある。
目標がある。
結果がある。
何回できた。
どれだけ速かった。
何が改善した。
レンは歩き出した。
列車へ乗る。
車内で四冊目の複製資料を読む。
古い映像ゲームの記事。
発売日。
販売本数。
攻略。
大会。
人気作品。
続編。
登場人物。
物語。
レンは頁を進める。
「これ、一つのゲームが出るたびにニュースになってたんですか?」
「人気作品なら」
「遊び道具ですよね」
「そうだ」
「世界で何千万個?」
「それだけ遊ぶ人がいたんだろう」
レンは写真を見る。
店の前に並ぶ人々。
新しいゲームを買うために待っている。
「また並んでる」
教授が覗く。
「文化は人を並ばせるな」
「現在なら配送で終わりますよ」
「それを言ったら祭りのくじへ戻るぞ」
レンは口を閉じた。
約一時間後。
旧娯楽資料保管所。
巨大な長方形の建物だった。
装飾は少ない。
入口で研究員証を提示する。
文化学研究室。
極秘資料に関連する遊戯文化の調査。
しばらく待つ。
奥から一人の男性が出てきた。
二十九歳ほど。
短い茶色の髪を横へ流し、丸い樹脂縁の眼鏡を掛けている。
黄緑のシャツ。
紫の薄手パーカー。
灰色のパンツ。
「佐久間ユウです」
研究員証を確認する。
「文化学研究室?」
「はい」
レンが答える。
「珍しいですね」
「毎回言われます」
「今日は遊戯資料の調査で?」
「ゲームをやりたいです」
佐久間が止まった。
レンも止まる。
教授が横で顔を伏せた。
「研究で」
レンが付け足す。
「分かっています」
佐久間は笑いをこらえている。
「保存状態の良いものなら動かせます」
三人で奥へ進む。
最初の保管室。
レンは扉が開いた瞬間、立ち止まった。
棚。
大量の箱。
人形。
模型。
球。
板。
カード。
積み木。
ゲーム機。
小さな乗り物。
意味の分からない道具。
部屋全体が、現在の生活用品店とはまるで違っていた。
「全部、遊ぶため?」
「基本的には」
佐久間が答える。
レンは棚へ近づいた。
動物を模した小さな人形。
車両模型。
建物の模型。
何かの登場人物らしい人形。
「これ」
一つを指す。
「何するんです?」
「人形ですね」
「機能は?」
「動かして遊ぶ」
「どう動かす?」
「手で」
「自動じゃなく?」
「はい」
「何が起きるんです?」
佐久間が少し困った。
「何が起きるかは、遊ぶ人が決めるんじゃないでしょうか」
レンは人形を見る。
機械ではない。
自分で動かす。
声を付けることもあったらしい。
物語を考える。
戦わせる。
歩かせる。
家へ入れる。
「全部、自分で?」
「そうです」
「完成した物語は入ってない?」
「人形によりますが、自由に遊ぶものも多かったようです」
レンは妙な顔をした。
「大変ですね」
教授が笑う。
「遊びなのに?」
「だって、自分で考えないと動かない」
佐久間が棚から小さな車両模型を出す。
許可された資料用手袋を使い、机へ置く。
「試します?」
「これを?」
「手で動かすだけですが」
レンは車両を押した。
すうっと机の上を走る。
端まで行く。
止まる。
「終わり?」
「好きに続けてください」
戻す。
もう一度押す。
「これだけ?」
「それだけです」
レンは三回動かした。
四回目。
少し強く押した。
車両が教授の前まで走った。
教授が指で止める。
そしてレンへ押し返した。
レンが受け止める。
また押す。
教授が返す。
レンが少し強くする。
教授も強くする。
車両が机の端から落ちそうになる。
佐久間が慌てて受け止めた。
「保存資料です」
「すみません」
二人は手を引っ込めた。
佐久間が車両を戻す。
教授が咳払いした。
レンは教授を見る。
「今、遊んでました?」
「研究だ」
「絶対遊んでましたよね」
「君もだ」
次の保管室。
カード。
盤。
駒。
佐久間が保存状態の良い複製品を出した。
四角い盤。
小さな駒。
説明書。
「これは二人用です」
レンが説明書を読む。
駒を動かす。
相手の駒を取る。
一定の条件を満たせば勝利。
「勝ち負けがある」
「はい」
「何がもらえる?」
「通常は何も」
レンが顔を上げた。
「勝っても?」
「はい」
「じゃあ何のために勝つんです?」
佐久間は笑った。
「勝ちたいからじゃないですか」
まただ。
理由がそこで終わる。
勝ちたいから勝つ。
遊びたいから遊ぶ。
聞きたいから聞く。
祭りだから行く。
「やります?」
教授が向かいへ座った。
「ルール分かります?」
「説明書を読めば」
二人で読む。
十分後。
開始。
レンが駒を動かす。
教授も動かす。
最初は遅かった。
一手ごとに説明書を見る。
「ここ行けます?」
「その駒は駄目だ」
「なんで?」
「そういう規則だ」
「不便ですね」
「ゲームだからな」
「もっと自由に動かせばいいのに」
「それでは成立しないらしい」
五分。
レンが教授の駒を一つ取った。
何も起きない。
画面もない。
得点表示もない。
ただ、教授の駒が盤から消える。
それなのに。
少し嬉しい。
レンは自分の口元が動いたことに気付いた。
「今、笑ったな」
教授が言う。
「笑ってません」
「笑った」
「研究成果が出ただけです」
「そうか」
教授が次の手でレンの駒を取った。
「……それ取るんですか」
「規則上問題ない」
「さっきまでそこ狙ってなかったですよね」
「作戦だ」
レンは説明書へ顔を近づける。
急に真剣になる。
十分。
十五分。
二十分。
佐久間は少し離れた場所で別の資料を整理している。
レンはもう時間を見ていなかった。
教授の駒。
自分の駒。
どこへ動かす。
何を取る。
どこを守る。
「そこ」
レンが駒を置く。
教授が止まる。
眼鏡を少し上げる。
盤を見る。
「まずいな」
その一言でレンの胸が軽くなる。
「勝ち?」
「まだだ」
教授が別の駒を動かす。
レンの顔が固まる。
「それあり?」
「ありだ」
「ずるい」
「規則通りだ」
さらに十分。
最終的に教授が勝った。
「……」
レンは盤を見る。
教授は満足そうだった。
「もう一回」
教授が言った。
レンが顔を上げる。
「教授から言うんですか」
「検証が一回では足りない」
「負けた俺が言う予定だったんですけど」
二回目。
今度は説明書を見る回数が減る。
レンは最初から教授の動きを警戒した。
教授もレンを見る。
一手。
一手。
また一手。
気付けば四十分が過ぎていた。
二回目。
レンが勝った。
「よし」
声が出た。
レン自身が驚いた。
教授が盤を見ている。
「もう一回」
「教授、負けず嫌いですね」
「検証だ」
「さっきも聞きました」
佐久間が近づいてきた。
「楽しそうですね」
二人とも止まった。
レンが盤を見る。
「楽しい?」
言葉にする。
昨日まで、楽しいという感覚を研究対象として考えることが増えていた。
現在では感情を強く表すこと自体が好まれない。
落ち着いている。
冷静。
一定。
それが良いとされる。
今の自分はどうだった。
教授の駒を取って嬉しかった。
自分の駒を取られて嫌だった。
勝って声が出た。
次はどうするか考えた。
何の成果も残らない。
二回対戦した。
四十分以上使った。
研究記録以外、何も増えていない。
「佐久間さん」
「はい」
「これ、昔の人は仕事じゃなくやってたんですよね」
「はい」
「家で?」
「家でも。店でも。学校でも。旅行先でも」
「何時間も?」
「そうです」
レンは盤を見る。
「分かるかもしれない」
教授が顔を上げた。
「何が」
「千時間使う人」
教授が笑う。
「二回で?」
「千時間はまだ分かりませんけど」
午後一時。
三人は簡単な食事を取った。
食べながら佐久間が古い映像ゲームの保存資料を準備した。
午後一時四十分。
別の部屋。
古い画面。
操作器。
複製されたゲームデータ。
レンは椅子へ座る。
「これは?」
「横方向へ進むゲームです」
画面に小さな人物がいる。
「目的は?」
「右へ進み、最後まで到達する」
「成果は?」
「到達することです」
レンが笑う。
「もう慣れてきました」
開始。
人物を右へ動かす。
障害物。
跳ぶ。
失敗。
画面の人物が消える。
最初へ戻る。
「え?」
もう一度。
右。
跳ぶ。
成功。
進む。
別の障害。
失敗。
戻る。
「待って」
レンが操作器を握り直す。
三回目。
最初の障害。
成功。
二つ目。
成功。
三つ目。
失敗。
「また?」
教授が後ろから見る。
「下手だな」
「初めてです」
四回目。
失敗。
五回目。
失敗。
六回目。
少し先へ進む。
「これ、何回やればいいんです?」
佐久間が答える。
「クリアするまで、好きなだけ」
「好きなだけ」
七回目。
レンは少し苛立っていた。
それでも止めない。
八回目。
九回目。
さっき失敗した場所を越える。
「あ」
声が出る。
先へ進む。
見たことのない場所。
新しい障害。
失敗。
「うわ」
レンは背もたれへ倒れた。
教授が笑っている。
「楽しそうだな」
「今のは悔しいです」
「もうやめる?」
教授が聞く。
レンはすぐ操作器を握った。
「ここまで来たので」
十回目。
さらに進む。
十一回目。
十二回目。
時間が過ぎる。
レンは時計を見ない。
目的は単純。
右へ進む。
跳ぶ。
避ける。
失敗すれば戻る。
それだけ。
なのに、少しずつ上手くなる。
最初は難しかった場所が簡単になる。
見えなかった先が見える。
何度も同じ場所を通る。
繰り返す。
午後二時二十六分。
「行け」
レンが小さく言う。
最後らしい場所。
跳ぶ。
着地。
画面が変わる。
短い演出。
終了。
レンは操作器を握ったまま止まった。
「終わり?」
「その区間は」
佐久間が答える。
レンは画面を見る。
何も得ていない。
資格もない。
報酬もない。
仕事も進んでいない。
四十数分。
一つの画面上の人物を右へ移動させただけ。
「……達成感あるな」
自分で言ってから笑った。
教授が隣へ座る。
「貸せ」
「やるんですか?」
「研究だ」
レンは操作器を渡した。
教授が開始する。
一回目。
最初の障害で失敗。
レンは吹き出した。
「下手じゃないですか」
教授が黙って再開する。
二回目。
また失敗。
「教授」
「黙れ」
三回目。
成功。
「お」
レンが身を乗り出す。
十分後。
二人とも画面へ向かっていた。
「そこ跳ぶ」
「分かってる」
「早い」
「君は黙っていろ」
失敗。
「ああ」
レンの方が声を出した。
佐久間が後ろで笑っている。
午後三時。
調査へ戻る。
遊戯文化の衰退記録。
最初は教育から変わった。
遊びの時間。
学習成果へ直接結びつかない。
自由遊戯。
時間効率が低い。
玩具。
購入後に生産物を生み出さない。
映像ゲーム。
長時間利用。
身体活動不足。
依存。
課金問題。
対人トラブル。
レンは資料をめくる。
「問題は実際にあった」
教授が言う。
「はい」
ゲームを長時間やりすぎた人。
生活を崩した人。
金銭を使いすぎた人。
対人問題。
運営上の問題。
どれも作り話ではない。
だが、その横に別の資料がある。
遊びを楽しいと感じた人。
友人ができた人。
家族で遊んだ人。
作品に夢中になった人。
子どもの頃の思い出。
大会。
交流。
創作。
それらは社会評価資料では小さく扱われていた。
長時間利用。
非生産的。
時間浪費。
無目的。
不要。
少しずつ遊び場が減る。
玩具店が減る。
ゲームを作る企業が減る。
遊戯施設が減る。
学校から自由遊戯が減る。
家庭から玩具が減る。
遊びという言葉そのものが、幼児教育や能力訓練の意味へ変わっていく。
「現在につながった」
レンが呟く。
午前中に見た公園。
子どもたちは身体を動かしていた。
だが、すべて測定されていた。
回数。
速度。
成長率。
「成果が付けば残ったんですね」
「そう見える」
「遊ぶだけだと消えた」
頁をめくる。
最後の調査。
成人に自由時間を与えた場合、成果を伴わない遊戯を選択するか。
選択する。
二パーセント。
選択しない。
八十一パーセント。
判断不能。
十七パーセント。
さらに数年後。
遊戯文化認知率。
一パーセント未満。
文化継承停止を確認。
第四段階終了。
レンは資料を閉じた。
「また成功」
教授が静かに言う。
「実験した側にとってはな」
帰りの列車。
レンは窓の外を見ていた。
頭の中では、さっきのゲームの画面が動いている。
最初に何度も失敗した場所。
最後に越えた場所。
もう一度やれば、もっと早く進める気がする。
「教授」
「何だ」
「明日も行ったら駄目ですかね」
「明日は五冊目だ」
「ですよね」
少し残念だった。
その感覚に気付き、レンは笑う。
「俺、またやりたいんだ」
教授が横を見る。
「成果は?」
レンは少し考えた。
「ないです」
「時間は?」
「使います」
「それでも?」
レンは窓を見る。
「やりたい」
教授が小さく笑った。
研究室へ戻ったのは午後五時過ぎ。
端末を起動する。
あと9日。
今日の研究記録を開く。
レンは入力する。
遊びは、成果を生み出さない行為として整理され、長い時間を使うことが問題視された。
そこで止める。
今日の自分を思い出す。
盤の上で教授に負けた。
悔しかった。
もう一度やった。
勝った。
嬉しかった。
映像ゲームで失敗した。
またやった。
また失敗した。
それでも続けた。
最後まで進んだ。
何ももらえなかった。
それでも嬉しかった。
続きを書く。
遊びの中では、成果が存在しなかったのではない。
遊んでいる本人にとってだけ意味を持つ、小さな目的が次々に生まれていた。
勝ちたい。
先へ進みたい。
もう一度やりたい。
集めたい。
試したい。
誰かと遊びたい。
その目的は社会の成果には数えられなかった。
レンは入力を止める。
教授が昨日の演奏記録を再生した。
音が研究室へ流れ始める。
レンは笑った。
「また聞いてる」
「作業用だ」
「今日は遊びですよ」
教授が机の引き出しを開けた。
何かを取り出す。
レンの目が止まった。
小さな盤。
駒。
今日使ったものとは違う。
古い遊戯資料の複製品らしい。
「何です、それ」
「昔、研究用に作った」
「持ってたんですか?」
「使ったことはほとんどない」
教授が机の中央へ置く。
「二人用?」
「そうだ」
レンは端末を見る。
今日の研究記録。
まだ仕事は残っている。
時計を見る。
帰宅時間。
盤を見る。
教授を見る。
「一回だけですよ」
「もちろん」
二十分後。
「もう一回」
レンが言った。
教授が笑う。
「一回だけじゃなかったのか」
「今のはルール確認です」
「そうか」
二回目。
演奏記録が終わる。
教授が再生する。
盤の上で駒が動く。
レンは考える。
教授も考える。
静かな研究室に、昨日発見した音楽が流れている。
その中で、今日知った遊びをしている。
誰にも必要とされていない研究室。
役に立たないと言われ続けた文化学。
二人は仕事を少しだけ止めていた。
十五分。
レンが勝った。
「よし」
教授が眉を寄せる。
「もう一回」
「教授から言いましたね」
「検証だ」
「便利ですね、その言葉」
三回目。
レンは笑っていた。
教授もいつもより表情が動いている。
端末の隅。
あと9日。
数字は変わらない。
明日の朝には八になる。
巨大地震までの時間は減り続けている。
それでも二人は、今すぐ終わらせようとはしなかった。
一手。
教授。
一手。
レン。
勝つ。
負ける。
考える。
笑う。
悔しがる。
また始める。
何も生産していない。
何も完成していない。
何の資格も得ていない。
世界の問題も解決していない。
巨大地震を止める方法が分かったわけでもない。
それでも時間だけが過ぎていく。
レンは盤を見ながら、今日読んだ古い記録を思い出した。
人々は遊びに膨大な時間を費やしていた。
朝、その文章を読んだときは理解できなかった。
どうしてそんなことをするのか。
千時間使って何が残るのか。
今なら少しだけ分かる。
千時間後に何かを残すためではない。
その一時間を過ごしたかった。
その十分を続けたかった。
次の一回をやりたかった。
それだけだったのかもしれない。
教授が駒を動かした。
レンの駒が取られる。
「あ」
「油断したな」
レンは盤へ顔を近づけた。
「まだ終わってません」
「そうだな」
レンは次の一手を考える。
研究室の外は静かだった。
遊戯施設もない。
玩具店もない。
ゲームを買うために並ぶ人もいない。
遊びを知らない人々が暮らしている。
なくても生きられる。
なくても仕事はできる。
なくても街は動く。
祭りと同じ。
音楽と同じ。
それでも。
レンは駒を一つ動かした。
教授の逃げ道を塞ぐ。
教授が止まる。
レンの口元が上がる。
「これでどうです?」
教授は盤を見つめる。
数秒。
そして笑った。
「参った」
レンは椅子へ深く座った。
何も得ていない。
なのに、嬉しい。
端末の研究記録へ最後の一文を加えた。
遊びとは、役に立たない時間ではなかった。
役に立てなくてもよい時間だった。
保存。
レンは画面を閉じた。
教授が盤の駒を最初の位置へ戻し始める。
「帰りますよ」
「そうか」
一つ。
二つ。
駒が並ぶ。
「……最後に一回だけ」
レンが言った。
教授は何も言わず、自分の駒を置いた。
音楽がもう一度、最初から流れ始める。
あと九日。
その夜。
文化学研究室では、
とうの昔に消えた二つの文化が、
誰にも求められないまま、
確かに続いていた。
コメント
1件
第5話読了!今回めっちゃ良かった。レンと教授が盤ゲームに夢中になっていく様子が自然で、「遊び」の本質を体感していく感じが伝わってきた。特に「勝っても何ももらえないのに勝ちたい」って感覚、まさにそれよな。映像ゲームで40分以上かけてクリアしたときの達成感の描写も刺さった。遊びは「役に立てなくてもよい時間」って一文、すごく深い…。続き楽しみにしてます!
羽海汐遠
15,208
#虐待
ruruha
111
16
金山ジョージ
2,730