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翌日。
朝一で課長に確認したが、やはり基山から会議資料を受け取っていなかった。
だったら昨日の帰りまでに言えよと思うが、ぽっと出の年下が上司であることに不満しかない勤続二十年の課長には、言っても無駄だ。
足を引っ張るようなことはしないが、自分に無関係のことにはとことん無関心。
資料が会議に間に合わなくても、自分には何の責任もないからと放置したのだろう。
俺は次に基山に訊ねた。
「いつ使う資料か聞いてなかったのでぇ」と、毛先を指に絡ませながら、言った。
「俺は昨日、今日中に、と言ったはずだ。たとえ言い忘れたか君が聞き逃しても、会議の日時は表紙に記載されているだろう」
上司話しているにもかかわらず、彼女は髪を触ることをやめないどころか目も合わせない。
「しかも、この資料は君のデスクのゴミ箱に入っていた。チョコレートの染みまでついて」
周囲の視線が集まる。
さすがに有り得ないという驚きの眼差しに、基山も言葉を失っている。
だが、謝罪の言葉もない。
俺はこれまで、大分我慢してきた。
営業部に、鬼課長と言われた先輩がいて、男女関係なくミスを怒鳴って叱責し、恐れられていた。仕事のデキる先輩だったが、同僚や部下からの評判が悪いことで有名だったから、反面教師としてしてきた。
その先輩も、支社への赴任と年上の女性との結婚で、昇進して戻って来た今はすっかり丸くなったが。
とにかく、大声で叱っても相手は委縮するばかりでいい効果はないと知っているから、これまでは基山がどんなミスをしても、不真面目でも、冷静に諭してきた。
が、社外秘の会議資料をゴミ箱に捨てた上に、チョコレートの染みまでつけたことには、我慢ならない。
柳田さんが見つけてくれなかったら、会議で恥をかくどころか、多忙な中全国の支社から集まる重役たちの時間を無駄にし、今後のスケジュールにも影響を及ぼしていた。
「君は仕事をなんだと思っている! ろくに働きもしない。ミスをしても悪びれもせず、話している相手の目を見ることもしない。社会人として非常識の度を越えている!」
語尾を強めて言うと、基山の肩が僅かに跳ね、強張ったのがわかった。彼女だけじゃなく、周囲もだ。
だが、今度ばかりは我慢ならない。
「この赤字が読めるか」
チョコレートの染みがつき、波打った資料を差し出す。
「社外――」
「――聞こえない!」
「社外秘……です」
「意味は!」
「会社の外には……秘密?」
この状況で肩を竦め、語尾を上げてクエスチョンマークをつけられる度胸には呆れるのを通り越して感服だ。真似たいとは爪の先ほども思わないが。
「それほど重要だということだ。それを丸めてゴミ箱に捨てるとは、何を考えている!」
「わざとじゃ――」
「――わざとじゃなければ許されるとでも思っているのか! ふざけるな!!」
タイミングを見計らったように、基山の目から涙が零れる。頬を伝い、顎から滴る。
肩を震わせて涙を流す女の姿に、その涙一滴ほどの罪悪感も持てなければ、むしろ苛立ちが募る俺は、非情なのか。
異常な長さで上向きカールが保たれている睫毛も、顔全体に均一に塗られたファンデーションも、涙によって崩れることがない。
女性が泣くとパンダになるなどとは、基山には通用しないらしい。
それはさておき、会議の時間も迫る中、これ以上は話しても無駄だろうと俺は諦めた。
「これまでの君のミスや職務怠慢も含め、今回は処分を下す」
そう言って、俺は会議に向かった。