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数時間前に麗香と歩いた廊下、エレベーター、フロントを抜けてホテルの外へ出る。
私に向かって会釈をするベルマンを横目に、形だけの軽い会釈を返し、大きな噴水が見える緩やかな坂を下った。
肩に掛けたバッグから携帯を取り出し、着信を知らせるディスプレイに目を落とす。
一件のメール着信を開くと、それは夫・遼からのメールだった。
【明日は東京から帰った足でそのまま病院に寄るから遅くなる。夕食も適当に食べるからいらない】
「適当に食べるからいらない……か」
毎度のことながら、要件だけが綴られた文字を見つめ、深いため息を落とす。
……遼、私があんなパーティーに行ったって知ったら驚くだろうな……
初めて会った男にキスされたって言ったら、どう思うのかな……。
「……」
夫の顔が浮かび、罪悪感が込み上げてくる。
「私が悪い訳じゃないから。向こうが不意打ちでしてきたことだし」
自分に言い聞かせるように呟く。
夫と知り合ってからこの七年間、夫以外の男性と唇を重ねたことなど一度もない。
こうしている今も消えない胸のざわめき。
忘れていた身体の高揚――。
「たかがキス……。浮気したわけでもないのに。浮気されてるのは私なのに。……情けない」
本当に退屈で、惨めな女だな……私。
下唇をきゅっと噛み、目を伏せた。
行き場のないため息を落とし、携帯を伏せたその時、薬指を見て私はあることに気づく。
「あっ、指輪……」
結婚指輪が――。
確か、麗香に急かされてバッグの内ポケットに入れたはず。
携帯を戻した手でバッグの中を探る。
あれ……
……嘘。内ポケットに入れたはずなのに。
ホテルの外門の前で足を止め、手探りしているバッグの中を覗き込む。
そんなっ。結婚指輪をこんな理由で失くすなんて、冗談じゃない。
焦りながらティッシュを掴んだ瞬間、
「あ、あった!」
開いたティッシュのビニールの中に、小さなリングが入り込んでいるのに気づく。
「良かったぁ」
声を漏らし胸を撫で下ろした。
人々の行き交う歩道へ足を踏み入れ、指輪をはめようと薬指へ近づけた瞬間――
ドンッ!!
「キャッ!」
顔面に鈍い痛みが走り、身体が大きく傾いた。
普段履き慣れないヒールのせいか、もつれた足はバランスを崩し、そのまま前のめりに倒れた。
何が起こったのか分からないまま、咄嗟に両手と片膝を地面につく。
カツーンッ!!
何かが弾き飛ばされたような甲高い音が響いた。
手をついたアスファルトに視線を向けると、目の前に見覚えのない黒い物が回転しながら滑り込んできた。
……ん? ……携帯?
気が動転したまま、反射的にそれへ手を伸ばした。
なんで、携帯電話が?
……そうだっ!
「……ゆっ、指輪!」
膝をついたまま、街灯だけに照らされた地面を見回す。
「指輪……?」
頭上から降ってきた低い声に、はっと我に返った。
顔を上げる。
見上げた先にいたのは、見知らぬ男性だった。
「大丈夫ですか? 電話をしながら歩いていたので、貴女が見えていなかった。前方不注意ですね。すみません」
黒っぽいスーツを着たその男性は、目を皿のようにする私に向かって手を差し出していた。
コメント
1件
ああっ、もう第21話もドキドキが止まらなかったよ…!!😭💕 夫・遼からの冷たいメールで始まるシーン、切なすぎる…「適当に食べるからいらない」ってあまりにも淡白で、ゆうこの胸のざわめきがすごく伝わってきた。そんな時にあの出会い、しかもぶつかって倒れた先に見知らぬ男性…めっちゃ運命の分かれ道感あるし、指輪落としちゃったのも緊張する! 最後の「前方不注意ですね」って台詞、クールすぎて逆に怖いけど気になる!(笑) 続きが待ちきれないよ〜!さくら先生ありがとうございますっ🌸🌈