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祭りの喧騒が過ぎ去って、少しだけ季節が動いたような気がする。
夏の盛りを過ぎ、じわりと秋の気配が混ざり始めた
そんなある日の午後
今日は、あの夏祭り以来の巴くんの様子を詳しく聞くために
将暉さんと仁さんと、俺の三人で、いつものカフェ『15°カフェ&アトリエ』に集まっていた。
将暉さんは変わらずの様子で
テーブルに肘をついて、軽い調子で話し始めた。
彼の表情はいつも通り朗らかで
聞いている俺まで安心させられる。
「一あれから一週間ぐらい経つけど、共有スペースでも他の子となんとか上手くやれてるし、個室もあるから落ち着いて生活はしてくれてるみたいだ
よ」
将暉さんの言葉に、俺は安堵の息を漏らした。
巴くんが新しい環境に少しでも馴染めていると聞いて、本当に嬉しかった。
仁さんの低い声が静かに返る。
「じゃ、結構馴染めてるのな」
不器用に見えて、ちゃんと巴くんのことを気にしてくれてたんだと思うと
なんだか胸の奥が温かくなった。
彼の優しさが、言葉の端々から感じられる。
「それならよかったです……よかったら今度、様子見に行ってもいいですか?」
俺の問いかけに、将暉さんはにこやかに頷いた。
「もちろん、巴くん喜ぶと思うよ~。てか、じんも来なよ」
まさかの提案に、仁さんは少し眉をひそめた。
「俺がそんなとこ行ったら子供泣かすだけだろ……」
仁さんの言葉に、将暉さんは悪戯っぽい笑顔を向ける。
「楓ちゃんがいれば大丈夫っしょ。ね?」
将暉さんの少し無責任にも聞こえる問いかけに、俺はつられて笑ってしまった。
確かに、仁さんの隣に俺がいることで、少しは場の雰囲気が和らぐかもしれない。
「そうですって!」
俺の言葉に、仁さんは呆れたように肩をすくめる。
「二人とも否定はしないのなんか傷つくな…」
そんな風にのんびりと話していると、将暉さんのスマホが鳴った。
彼は「ちょっとゴメン」と言って席を外した。
電話が終わって席に戻ってくると、仁さんが何気ない口調で尋ねた。
「誰から?」
「瑞希から」
その名前に、俺は思わず口を挟んでしまった。
「…失礼ですけど、瑞希って人は…?」
聞き覚えのない名前に、首を傾げる俺に、将暉さんはにこやかに答えた。
「俺の可愛い番。菅原瑞希って言ってね~。今は俺の秘書してもらってんだけど、ツンツンしてるのにデレると可愛くてさ………」
「この前も、いつも死ね死ねばっか言ってくるのにヒートになると〝ぎゅってして〟…って言ってくるのがもう可愛くて…!!」
彼の惚気話に、仁さんは飽き飽きしたように顔をしかめる。
「その惚気聞くの30回目な」
けれど、その声にもどこか楽しげな響きがあって
二人の関係性が長く、親密なものなのだと感じた。
その流れで、自然と話題は「恋」へと向かっていった。
「でも仁さんって、気になってるΩいましたよね?
確か俺と同じ、ハイパーΩの」
俺の言葉に、仁さんの声が少し低くなった。
「あー……それ、か。うん」
その曖昧な返事に、俺は違和感を覚えた。
すると将暉さんがにやりと笑って、まるで何かを知っているかのような顔をした。
なんとなく、それが誰かを庇っている時の大人の顔に見えて、俺の胸の奥がざわついた。
「なにか進展ないんですか?」
俺が尋ねると、仁さんは視線を逸らして
「まあ、ボチボチ…?」
と歯切れ悪く答える。
将暉さんはそんなさんをからかうように言った。
「なにがボチボチだか、進展もなにも友達止まりじゃん」
将暉さんの指摘に仁さんがバツの悪そうな顔をする中
「…あっ、将暉さんも知ってるんですか?仁さんの好きな人」
俺は思わず尋ねた。
すると将暉さんは得意げに答える。
「知ってる知ってる〜、結構身近だし?」
その言葉に、俺の胸のざわつきは少し大きくなった。
「みんな恋してて、いいですね……ははっ、俺なんか全然ですよ」
そう笑ってみせたけど、本当にそう思っていた。
恋とか、好きって気持ちとか、今の俺にはよくわからない。
知っているような、知らないような
夢みたいなもので、自分にはまだ現実じゃない
そんな感覚だった。
しかし、そのときだった。
将暉さんが急にまっすぐな目でこちらを見て、問いかけてきた。
彼の視線は、俺の心の奥を探るような鋭い光を帯びていた。
「今もしαに告白されたら、楓ちゃんは付き合いたいとか思う?」
一瞬、言葉に詰まった。
こんな質問をされるとは、全く予想していなかったからだ。
「え?いや、どうです、かね。俺、好きっていうのも今はよくわからないので…それに、信頼できる人じゃないと嫌ですし…」
「相手のためにも自分のためにも、断っちゃうと思います」
正直な気持ちだった。
誰かを好きになるには、自分のなかで何かが欠けている気がする。
それが、怖くもあり、寂しくもあり
でも、どうしようもない。
そんな複雑な感情が、俺の胸の中をよぎった。
その後、何分か談笑したあとに
将暉さんは仕事の連絡が入ったらしく、席を立った。
将暉さんがいなくなって、ふいにぽっかりと空気が緩んだ。
沈黙が降りてくるかと思いきや、俺はぽつりと呟いた。
「どうせなら、どっか行きますか?二人ですけど」
何気ない提案だった。
まだ午後も早いし、このまま帰るにはもったいない気がしたからだ。
「いいね、それなら…せっかくだし涼しいとこ行くか」
仁さんは、俺の提案に思ったよりも早く乗ってきたので、少し驚いた。
「涼しいところって……?」
俺の問いに、仁さんは少し楽しげな表情を浮かべた。
「実は池袋に来たら行きたい場所があって。サンシャイン水族館なんだけど」
「あっそれ知ってます!あの天空のペンギンとか、面白い展示がたくさんあるとこですよね?」
「ご名答。ま、楓くんともう少し一緒にいれたら嬉しいってのが本音か。外暑いし、涼しい場所で気分転換でもどうかなって」
なんか、そう言ってもらえるのって、嬉しいな。
正直、照れるような気もするけれど
仁さんの言葉はストレートで嘘がなくて、それが俺にとっては何よりも安心できた。
「それ名案です!あー…でも考えてみれば仁さんと二人で出かけるのって案外まだ2回ぐらいないんですよね」
俺の言葉に、仁さんは首を傾げた。
「そうだけど、それが……?」
「ははっ、なんかもう何回も会ってるような気でした」
そう言ったときの仁さんの一瞬の表情。
何か言いかけてやめたみたいな
でも嬉しそうな、ちょっと照れたような──
あれ?なんでだろう。なんか、可愛い。
「前のゲーセンでの余韻がまだ残ってるのかな…?」
俺の独り言に、仁さんは「そ、そっか…」と少し固い声で返してきた。
なんだか慌ててる感じで、それがなんだか不思議だったけど
聞き返すほどのことでもないと思って、俺はそのまま流した。
それから、まだ時間帯的に水族館は混んでそうだったから。
少し時間を潰すために近くのラーメン屋を探し
「麺処一笑」に入ることにした。
店先に漂う香ばしい豚骨の匂いに、自然と食欲が湧いてくる。
券売機の前で、仁さんは迷うことなく
「らーめん中太麺で、麺はカタめで。ベジはすっぱベジ」を選び、慣れた手つきで食券を買った。
俺は、彼の後ろに並んで
自分も同じように「らーめん中太麺、普通で、ベジはスタベジ」の食券を購入した。
仁さんの隣に並んでカウンター席に座る。
ちょうど昼のピークを過ぎたばかりで
店内は落ち着いていて、俺たちはゆっくりとラーメンを待つことができた。
テーブルに届いたラーメンは、見た目からしてボリュームたっぷり。
ツヤツヤと輝く中太麺の上に、大きなチャーシューとシャキシャキの野菜が乗っている。
湯気からは食欲をそそる香りが立ち上っていた。
「うわぁ、うまそう!」
俺が思わず声を上げると、仁さんもフッと笑って、自分のラーメンを見つめた。
一緒に手を合わせて
ーロスープをすすると、濃厚な豚骨の旨味が口いっぱいに広がり、思わず唸ってしまった。
これは文句なしに美味い。
麺も喉ごしが良くて、どんどん食べ進められる。
「俺のも美味いけど、楓くんのスタベジも気になる
な」
仁さんが箸を止めて、俺のラーメンを覗き込むように言った。
「仁さんのすっぱベジ、どんな味なんですか?」
俺が尋ねると、仁さんは少しだけ口元を緩めて答えた。
「ちょっと酸味があって、さっぱりって感じかな」
◆◇◆◇
それから数十分
他愛もない会話を交わしながらラーメンをすする時間は、なんだかとても心地よかった。
ラーメンの湯気と、二人で交わされる穏やかな言葉が、店内の空気に溶け込んでいくようだった。
午後3時を過ぎた頃。
俺たちは水族館の前に着き
期待に胸を膨らませて中へと足を踏み入れた。
仁さんは、足場が悪いところや暗い通路ではさりげなく前に出てくれたり
手すりの近くを譲ってくれたりする。
本人はきっと無意識だろうけど、ちょっとした優しさがすごく嬉しかった。
入口を抜けると、目の前にはまるで空の上に浮かんでいるかのような幻想的な景色が広がっていた。
天井から差し込む光が水槽を照らし
魚たちがきらめく中で自由に泳ぎ回っている。
「わ、あれ見てください!あのペンギン、空飛んでるみたいじゃないですか?」