テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
桜城
308
#恋愛
ばたっちゅ
20,038
#ファンタジー
comi
4,702
地下20階にある一般研究区、ルーフ・カリーニの研究棟は、地下にあるとは思えないほど、ジン博士を筆頭に職員の幅広い意見を取り入れながら進化した明るく開放感に満ちた空間だった。中央には美しい地下噴水が静かに水音を奏で、そこを囲むように各研究室が配置されている。吹き抜けの天井からは間接照明が柔らかく光を落とし、空間全体に温もりを与えていた。
床のタイルは清潔な白色で統一され、至るところに水生植物や季節の花々が配置されている。その彩りは無機質になりがちな研究施設に生命を吹き込み、訪れる者の心をほっと和ませる。
環境BGMには、ピアノを基調とした優しい癒しのメロディーが流れ、まるで植物園と最先端研究施設が融合したような心地よさがあった。ラウンジスペースでは、研究員たちがカップを片手に談笑しながら、新しいアイデアを気軽に共有しあっていた。まるで創造と探究の呼吸が自然に交わるかのように、このフロアは「研究」という営みを知的で豊かな共同体の形で表現していた。
ルーフの研究室は、この恵まれた環境の中でも一際整然としていた。保育器やモニター、各種解析装置が幾何学的な配置で並べられ、すべてが機能美と合理性に基づいて設計されている。壁際にはゲノム操作に関する論文やデータディスクが整然と収納され、どの資料も即座に参照できるようになっている。
保育器に浮かぶ人型モンスターは彼女の“芸術”の象徴であり、羊水を模した特殊培養液の中で静かに息づいていた。どこか神聖さすら感じさせるその光景は、まさに生命創造の最前線だった。ルーフ・カリーニはこの空間に、自分の個性と才能、そして未来への野心をすべて詰め込んでいた。
「保育器のインジケーター、数値を読み上げて。ふふ……」
彼女の目の前には、完成を目前にした“人型モンスター”。まるで息づく芸術作品でも見るかのような眼差しだった。黄緑色の羊水に浮かぶ人型個体を見つめながら、ルーフはうっとりとした笑みを浮かべた。いくつものリード線とカニューレが張り巡らされ、モニターに映し出されるインジケーターの数値が律動的に更新されていく。
「酸素濃度99.5%、二酸化炭素濃度24.5%、pH7.34、心拍70、身長285センチ、体重179キロ、
BMI 22 エルフエナジー力価15,000で照射継続中。羊水温度38度……異常ありません」
報告したのは、新任の男性研究員――リアム・グレイ。真面目で地味な印象の青年だが、
ルーフの毒舌に日々翻弄されている。
「異常なし……よし。この子、日に日に顔立ちが整ってきて、まさに私の理想そのもの。
ああ、まるで王子様みたい。たまらないわ……」
「えっ……ぼ、僕のことですか?」 ディスプレイを見ながら、インジケーターを読み上げていたリアム研究員が、おずおずと反応した。ルーフはすぐに振り返り、鋭い目線を突き刺した。
「はぁ? 何言っているの、あなたじゃないわよ。この子の話よ。それより……その無精ひげ、剃っている? 髪、寝ぐせひどいわよ? シャワー、朝晩ちゃんと浴びているの? もっと清潔感を出さなきゃ、女の子に好かれないわよ。そんな無精髭と寝癖で王子を名乗るなんて百年早い!
せめてシャワーくらい毎朝浴びて来なさい!」
「そんなに言わなくても……」 小声でぼそりと反論するリアム研究員。
「何か言いたいなら、聞こえる声で。ゆっくり、はっきり、丁寧に。じゃないと伝わらないわよ。わかった?」
「は、はい……」 鋭さと毒舌を交えたその一言に、リアム研究員は肩を落とし、モニターの奥へと視線を逸らした。
ルーフが端末に戻ろうとしたそのとき、パーテーションで仕切られた統括官室から、
二人の男性研究員の怒号混じりの応酬が漏れ聞こえてきた。
「私は昔からずっと言っている。ルーフ研究員の実験には猛反対だ!エルフエナジーを魔物の受精卵段階から照射し育成するなど、正気の沙汰ではない!もしエナジー耐性を持つ魔物が現れれば、
国が滅ぶぞ!」
「いつもリスクだけを言うな。科学で制御も出来る。エルフバリアがある限り暴走は防げる。
実際、照射によって“心ある個体”が誕生した例もある!」
「そんなのは一部に過ぎぬ!」
「また始まった……ここ、爆発するかな」 リアムが小声でつぶやいた。
ルーフは無言で頷き、再び保育器の表示に視線を戻す。ディスプレイの片隅で、「変動兆候」の赤い表示が淡く点滅していた。
(ふふ……やっと目覚めの兆しかしらね)
「それにしても、まったく……ヒロノゼウス、口うるさいわね!」
ルーフは統括官室の方を眺める。ガラス越しのやり取りは、もはや議論ではなく罵り合いに近かった。
「危険すぎる! お前いったい何年、科学者をやっているのだ!」 ヒロノゼウスの声が荒れる。
「先ほども言ったが、エルフエナジーは生物の潜在能力を限界まで引き出すだけでなく、エネルギーそのものを増幅する。魔物に照射すれば、エルフ・バリアに耐性を持つ可能性がある。知性を持たぬ魔物が暴走すれば、国ごと崩壊するぞ!その仮説すら立てられんのか、科学者として!」
統括官が声量で負けることなく反論する。
「ふん、またそれか。何度も言っているだろう。リスクは制御できる。エルフ・バリアという防御機構がある以上、問題はない。お前はネガティブな面しか見ない。実際、照射で攻撃性を失い、
“心ある個体”が生まれた例もある。これは首相肝いりのプロジェクトだ」
「都合のいいデータばかり並べるな!」
ヒロノゼウスが身を乗り出す。その口調には、単なる学問的憂慮を超えた正義感があった。
「帝国研究所の連中が、どれだけ動植物の遺伝子を改変し、狂暴な個体を生み出してきたか、知らぬか?一部に“心ある個体”がいても稀だ。ほとんどが制御不能で、我々がショットガンで分解処理してきた。命を弄ぶこの実験を私は許さない!」
「これは国家が決めた家政婦モンスター高度知能化プロジェクトだ! 我々はその方針に従い、研究で国に貢献するのが使命だ。忘れたのか!」
「リヴァン首相は王研の組織改編に口を出してきた。特別研究区域と一般研究区域を分け、特研には限られた者しか入れぬ。ジン博士でさえ立ち入れぬエリアだ。そこでは倫理を無視したクローンや人畜融合のモンスター研究が進められ、不気味なうめき声が聞こえるという噂話もある。ルーフも同じことをしている。統括官が指導しろ。私に権限があれば、こんなことはさせないのに!」
「決まったことに従わなければ予算は削られる。研究が途絶えれば、生活すら成り立たぬ。分かっているのか!お前は左遷された腹いせで喰ってかかっているのだろう。ジン博士が味方だからとて、調子に乗るな!」
「違う!私はエルフエナジー照射のリスクを指摘しているだけだ!暴走した場合、統括官は責任を取るつもりなのか!長官の指示に従うだけの弱腰め。責任の所在をたらい回しにし、都合の悪いことは権力で揉み消すつもりだろう!」
「よくも言ったな!この件も長官に報告し、お前の反骨精神を叩き潰してやる!」
ルーフは端末操作を止め、統括官室から漏れ伝わる言い争いに耳を傾けた。
研究者らしからぬ怒声、繰り返される倫理論争――退屈と嘲りが同時に胸をよぎる。
「まったく、退屈な連中ね」 彼女は椅子にもたれ、脚を組んで小さく鼻で笑った。
(心ある魔物が稀? それは使い方がまずいだけ。エルフエナジーは、正しく導けば奇跡を生む。恐れるのは、想像力の欠如した凡人だけよ)
ガラス越しのヒロノゼウスを見つめ、ルーフは内心で嘲った。
(ああいう正義派は扱いやすい。大義名分に酔い、自分の視野の狭さに気付かぬ幼稚者)
再び端末を覗くと、保育器の中で形成されつつある“彼”が、ゆっくりと指を動かした。その微細な動きを見逃さず、ルーフの唇がほころぶ。
(私はもう、“奇跡”を創り始めている。誰にも邪魔はさせない)
静かだが確かな決意が、ルーフの胸に芽生えていた。統括官室で繰り広げられる論戦が、いずれ自分の研究にどんな波紋をもたらすのか、それすら彼女にとっては、興味深い“実験材料”に過ぎなかった。
「ふふ……ヒロノゼウスが統括官とやり合っても無駄よ。私にはリヴァン首相の“お墨付き”がある。この子を育てるのは、私の正規任務。誰にも止められないわ」
「ルーフ姉御様の言う通りです!」
「誰が姉御よ!私は主任研究員。リアム、あなたとは格が違う。気安く呼ばないで」
ルーフは鋭く言い放ち、保育器のモニターを指差した。
「ほら、インジケーターをしっかり監視して。培養液の温度、エルフエナジーの照射レベル。上限値を超えたら細胞構造が崩れる。せっかく整ってきた顔立ちも台無しよ。もし“心”を失えば、エルフ・バリアに反応して存在ごと分解される。そうなったら……責任、取れるわよね?」
リアムはビクリと肩をすくめ、慌てて端末に向き直った。その背後で、保育器の中の人型モンスターがわずかに瞬きをする。ルーフの表情が、ほんの一瞬だけ柔らいだ。
そのとき、統括官室の扉が勢いよく開かれた。
「長期休暇を頂きます!」
ヒロノゼウスの怒声がフロア中に響き渡り、その瞬間、周囲の研究員たちの手が止まった。
「あの、くそ石頭の忖度統括官め!何度言ったら分かるのだ!この研究室をバケモン屋敷にして王研を破壊する気か!」
ルーフがその声の主、ヒロノゼウスの視線に入るように顔を合わせた。
「ヒロノゼウスって案外お馬鹿さんなのね、毎回統括官に喰ってかかって何の得になるの?」
ヒロノゼウスは睨み返した。
「俺はルーフのやっている実験は、絶対に認めんからな!リスクが大きすぎる!」
「何よ! ヒロノゼウスは相変わらず失礼ね!私は国家に貢献しているのよ!
この子は、国民を守る最初の高度な正義モンスターになるのだから!」
「逆だろう!魔物にエルフエナジーを照射して、こいつが暴走し、人々に危害を加えたらどうする!ルーフは責任を取れるのか!」
「ええ、取れるわよ!」
「じゃあいっそ、こいつと結婚でもして、自分で尻に敷いて監視してろ!」
「はあ!? なによその言い方、ムカつくぅ~~~!!」
ルーフは手を腰に当て、くるりと振り返った。
「そもそも、私の研究はリヴァン首相直轄の公認プロジェクトよ。 前は助成金を減らされた! なんて怒っていたけど、結局は再配分だったの。あの視察のあと、予算はこっちに集中。ま、国の気まぐれにしては上出来でしょ」
「それで自慢か?」
「当然よ。これで“心あるモンスター”の研究が、本格的に進められるのだから」
「予算だってあなたの何百倍!つまり、国が私を認めているってこと!」
「それで威張るのかよ」
「もちろん♪ だってこれで、たくさんの新しい“心あるモンスター”が作れるのだから! ねぇヒロノゼウス、あなたの生物学の知識って、帝国ナンバーワンのこの私ですら感心するほどよ?」
「おだてたって騙されないぞ」
「もう~、素直じゃないのだから。でも、一緒に研究したらきっと奇跡が起きると思うのよねぇ……ほら、私と組まない?」
「冗談じゃない! 俺の人生が実験体にされる!」
「そういうとこ、好き♡」
「やめろォォ!!」
ルーフはくすりと笑い、わざと肩をすくめた。
「ほんと面白い人ね。怒っている顔も絵になるわ」
「お断りだ!お前ってさ、相手の感情読む力ゼロだな。四年前からずっとそうだ。俺は今、本気で怒っている。お前のその“全部盛りモンスター研究”にな!」
「ふんっ、協力なんて頼んでないわ! むしろこっちから願い下げ!」
「上等だ。俺の辞書に“ルーフと組む”なんて項目は最初からねえ!」
「どうせ!あんたが土下座して『ルーフ様~ご一緒に~』って頼んでも、
ぜっっっったい、お断りだから!」
ヒロノゼウスは溜息を吐き、言葉を継いだ。
「ついでに言っとく。リヴァン首相が“お前の研究に再び予算を付ける”って話。
正式承認なんて降りてねえ。特別区の案件を、勝手に一般区へ持ち出すな」
「はぁ?……な、なにそれ!?っていうか私、何も聞いてないし!
私はあなたと違って、これからも“特別扱い”。予算は付くの!」
「言ったところで、どうせ聞かないだろ」
ルーフは鼻を鳴らし、勝ち気に笑った。
「もうすぐ証明してみせるわ。そのときは、ちゃんと謝りなさいよ。
わかった? 返事は?」
ヒロノゼウスは「ふん」とだけ吐き捨て、背を向ける。白衣の裾が翻り、
数歩でぴたりと止まった。
「……お前の“証明”が、本当に“人の心”ってやつを持っているならな」
棘のある台詞だったが声色はどこか揺れていた。
ルーフはその背中を見つめ、気丈な瞳にほんのわずかな陰りを宿す。
「だったら、絶対に見せてやる。これが私の信じる、未来の“命のかたち”よ」
視線の先保育器の中の人型個体が、ふいに指先を微かに動かした。
ヒロノゼウスは気づいていた。ルーフの中には“怖れ”も“祈り”も確かにある。そしてルーフもまた、彼の言葉の裏に、冷静な反対だけでなく、“守ろうとする意志”を感じ取っていた。だが今は、それを認めるには早すぎる。二人の視線は交わらぬまま、
言葉を失った空間に、ピアノBGMの旋律が一瞬だけ戻る。どこかで、水泡がひとつ、ぽつりと弾ける音がした。
周囲の研究員たちは、モニター越しにひそひそと話しを始めた。
「……ねぇ、あの二人、裏で付き合っていたりして?」
「喧嘩するほど仲がいいって言うし~」
「夫婦漫才の稽古では?」
そのとき、リアムが頬をぷくっと、膨らませて立ち上がる。
「む、むむっ……それは違うと思います!だってルーフ主任は僕のことを……」
勢いのまま二人の間へ割って入った。
「その……ルーフ主任研究員とヒロノゼウス研究員、
こ、こ、交際していますか……?」
空気が凍る。
「「……はァッッ!!???」」
ルーフはリアムの頭をぐいっとねじり、
怒鳴る。
「どこの誰が、こんな原始人みたいなのと付き合うって? 私のセンス舐めないでくれる!?」
「はぁ、誰がこんな爆裂ゲノム女と……リアム君、どんな拷問だよ! 俺の人生設計が台無しだ!」
リアムは両側からの怒気に縮こまり、涙目でぽつり。
「す、すみません……ぼ、僕、ちょっとだけ、ルーフさんの笑顔が好きで……」
「知らん!」
「関係ない!」
二人の声が完璧にハモった。
ルーフはふっとディスプレイを見て表情を変える。
「ちょっと待って。見なさい、羊水が蒸発している!」
「えっ!?」
「ボーッとインジケーターだけ見ているから気づかないのよ!私がいつ席を外していいって言った?全体を見て、“今なにをすべきか”を考えなさいって、何度言えば分かるの!」
「も、もう……リアムって大嫌い……!」
「でも僕、諦めませんから……」
リアムはしょんぼりとモニターへ戻る。保育器の中で、個体が静かにまぶたを震わせた。周囲の研究員はどっと笑い、
「うん、アレはもう夫婦」
「リアム、ドンマイ」
と好き放題に結論づける。
ヒロノゼウスは足早にエレベーターへ。IDカードをかざし、地上階のボタンを力強く押し込む。扉が閉まる直前、眉間に皺を刻んでぼそり。
「まったく。あいつは、いつも勝手に言いたいことばかりだ」
コメント
1件
もうもう、第38話、めちゃくちゃ面白かったです……! ルーフ主任とヒロノゼウスの怒鳴り合い、まるで漫才みたいで笑っちゃいました😂 でもその奥に、お互いの信念がちゃんとあって。特にラスト、ヒロノゼウスが「守ろうとする意志」をルーフが見抜く場面、すごく好きです。リアムくんの片思いも可愛すぎるし、続きが気になって仕方ないです……!