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深夜、印刷所の応接室でルーニーが記事を書いていると、蝋燭の火が揺れた。
泥棒かとは思わない。
相手が誰かわかっているのだ。
「おい、ルーニー。元気そうだな」
ベルッティだ。
奴隷宿舎をこっそり抜け出して来たのだろう。
「うん、そっちは大変そうだね」
「まぁな。同じ仕事ばかりで、飽き飽きするよ」
バルメロイに脅され、記者の道を閉ざされたベルッティが笑う。
風呂で洗っても落ちないのだろう。インクが指に染みついていた。
ルーニーがその綺麗な指先でペンを走らせると、良心がちくりと痛む。
ベルッティは必要な人材だった。
抜けた穴だって、けして小さくはない。
こうして夜中まで記事を書いているのも、これまで二人でやっていた仕事を単独でこなす為だ。
「大変そうだな。手伝ってやろうか?」
「君が書いた記事をぼくの物として提出するわけにはいかないよ」
ベルッティが舌打ちする。
気持ちはわかるけど、これも君を守る為だ。
ルーニーはそう考えた。
諦めたのか、ベルッティは印刷所を少し物色して、すぐに戻ってきた。
手に持っているのは、印刷で使う板の端材だ。
びっしりと文字が書かれている。
『怪異、首なし騎士出没か。』
『第二の殺人鬼現る。』
『消えた連続強姦殺人鬼を追って。』
「これは、記事じゃないか。それもこんなにたくさん」
しかも、ただの記事ではない。
これは夜の記事だ。
ただでさえ治安の悪い帝都だが、夜の帝都は別格だ。
治安が急激に悪化する。
そこは魔物や犯罪者が跋扈(ばっこ)する闇の世界で、大人だって外に出ない。
アーカードですら外出時には武装した護衛をつけている。
その上、なんだ。
この記事の内容は。
殺人鬼を追ってだって?
何を追いかけているんだ!!
「どうだ。面白そうだろう。書く気になったか?」
10歳の少女がけらけら笑う。
ベルッティ、君は自分が何をしているかわかっているのか。
「しょうがないだろ。これしかやりようがねえんだから」
彼女の瞳には野心が燃えている。
夜の帝都の情報?
いいね、そりゃあ売れるだろうさ。
でも、それはベルッティが命がけで得た情報だ。
こんなことを繰り返せば、バルメロイが噂を流す前に死んでしまう。
「指で書いたから。洗っても落ちやしねえ」
「でも、ようはやりようだ。ここに来たばかりの頃にアーカードも言っていた。知恵を絞れって」
思い出に縋るように、手をさする。
指にインクをつけて、端材に文字を書いたのだろう。
よく見れば端材には血もついていた。
なぜだ。
なぜそこまでする。
何が君をそこまで駆り立てる。
「なぜか? なぜかだと?」
「そんなことは決まっている。自由になる為だ」
危険過ぎる。
アーカードの配慮もこれでは無意味だ。
ここでぼくが止めないとベルッティが死んでしまう。
「自由? 自由がそんなに大切なのか?」
「ここには食事もある、家もある、仕事仲間だっている。それで……」
十分じゃないか、そう言って。
自分の言葉がベルッティにまったく届いていないことに気づく。
怒りが。
燃えるような怒りがそこにあった。
「いいよな! お前は!! ……記事が書けて」
「お前はいいよな、男だから。おれみたいに売春の道具にされることもねえし! それをネタに脅されて、記事が書けなくなることもねえしさ!」
「道端でいきなり発情したクズに組み伏せられたこともねえんだろ? いきなり拉致られて、殴られてさ。わけわかんねーまま客とらされて、奴隷にされて、今でも夢に見るよ」
ベルッティの強さが仮初めの物だとは薄々気づいていた。
無理をして、肩肘を張っていると。
もっと楽にしたらいいのにと、そう思っていた。
「都合が良いんだよ。お前らは」
憎悪がルーニーに向けられる。
ベルッティは胸ぐらを掴み、涙を流して訴えた。
「こっちなんて、男を取材するだけで怖いんだ。お前はおれがどんな思いで働いているかわかんねえだろう。おれは、お前だって、怖いんだ」
そんな。
そんな風に思っていたなんて、気づかなかった。
気が強くて、ガサツで、でも一生懸命で、いつも張り合ってくるベルッティをぼくは怖がらせていたのか?
ルーニーには返す言葉がなかった。
「胸だって、最近、膨らんできてよぉ。何なんだよこれは。いらねえよこんなの!」
「そのうち毎月、股から血が出るようになるんだ。そんなんじゃ、全然動けねえじゃねえか。なんでこんな身体なんだよ!」
「なんでこんなに理不尽なんだよ。おれが、おれが何をしたっていうんだ。ふざけんなよ」
まるで肌を引き裂くような。
とても激しい、自己嫌悪。
ベルッティはゼゲルが作り上げた一個の地獄だった。
「だから、おれは書くんだ。自由が欲しいからな」
息を荒げて、肩を上下させる。
どれだけの憎しみと嫌悪がその小さな身体に詰まっているのだろう。
ゼゲルは面白おかしく見えるが、確実に地獄を量産している。
こうなるとゼゲルを殺したところで、何も解決しないだろう。
もう、ベルッティは止まらないのだ。
ここに来るずっと前に、ゼゲルに壊されてしまったから。
「でも、そんなことを続けていれば……君は死ぬんだぞ」
「ははっ! いいね、最高だ」
「その時こそ、おれの書いた記事は売れる! 『強姦殺人鬼の魔の手にかかった悲運の記者と残された記事たち』。いけるね、間違いない。人の死は金になる。金になるからアーカードだってやるはずだ」
ああ、そうだ。
あの人はそういう人だ。
アーカードは間違いなく新聞にするだろう。
「彼女は運命に抗い、自由を求めた。とでも、書いておいてくれよ。ルーニー。それだけでおれは報われるんだ。帝都の人間どもの記憶に残るなんて、贅沢な死に様だろ?」
ベルッティはバカじゃない。
だからこそ、現状を正しく認識し、正しく絶望している。
その上で自分の願いを叶えるべく、最善手を打ち続けている。
それ故に、誰にも止められない。
なら、それなら。
ぼくにできることは……。
「ベルッティ、聞いてくれ、思いついたんだ」
彼女が笑う。
ぼくに張り合い、怒り、笑ってくれたベルッティが。
闇に揺れる蝋燭に照らされて、今も笑っている。
「これはいいプランだ」
「もっと君を消費しよう。君の命を、もっと多くの金に換えよう。君の価値の限界を叩き出してみようじゃないか」