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帰ると、言い切り、そのまま飛び出してしまったナタリーは、海風の洗礼をまともに受けていた。
「これって、季節はいつなのよ!まだ、冬じゃないでしょうに!」
身につけるドレスは、流行《はや》りを意識しすぎて、防寒には、まるっきり向いていない。
夜の海風に、シフォン生地の胸空きドレスで立ち向かうのが、まず間違いではあるが、それにしても、まるで、冬。
確か、カイゼル髭の男に偽物の皇太子妃の依頼を受けた時は、春の始まり、復活祭《イースター》が、終わった頃だったはず。一族が集まるパーティーが控えていると、ナタリーの店では、子供服の注文まで、入って、大わらわだった。そして、ひと息ついたところ、まさに、狙ったかのように、依頼が入り、一連の騒動に巻き込まれてしまった。
それも、頭にくるが、とにかく、風の強いこと。ドレスの裾は、舞い上がり、ナタリーの顔まで覆ってくれた。
「もう、巻き込まれたというか、はめられたのか、は、仕方ないわと、諦められられるけど、でも、まあ、この寒さは、無理でしょ!」
クシュンと、くしゃみをしたとたん、ナタリーは、後ろから抱きしめられた。
「もうー、ハニーったら、可愛いんだから。エントランスで、俺が追いかけて来るのを待ってるなんて、ほんと、罪作りな女だなあー」
いや、だれも待ってない。ただ、こんな、薄着で、飛び出した事を後悔していたのと、どちらへ行けば、門なのか、迷っていただけのこと。
断崖絶壁の上に建つ館は、どこかの国の離宮並みに、広々としていて、おそらく英国式の、前庭まである模様なので、出入口になる門など、サッパリ伺えない。
来るときは、海から洞窟へ入り、そのまま、死ぬほど続く螺旋階段を登ってやって来た。
つまり、館の正面から入って来ていないので、いざ、玄関のドアから外へ飛び出しても、外へ出るには、どう、進めば良いのか、さっぱりなのだ。そして、エントランスで、佇んでいただけなのに、また、人聞きの悪い、誤解を受けるような、言い回しをしてくれる奴が現れた。
「馬車を待っているだけです!」
つい、嘘ぶいた。
「そんなこと、言わないで、部屋へ、戻ろう。ねぇー、ハニー?」
「戻る必要なし!」
と、意地を張る。
寒さに負けているナタリーは、はいはい、それではと、部屋へ、戻りたかった。しかし、ここで、屈してしまえば、おそらく、いや、完全に、抱きついたついでに、手をもぞもぞさせて、人の体をまさぐっている奴の、悪巧みに荷担させられる。
そして、終われば、ポイ捨てだろう。いや、これ、終わるのか?
「ちょっと!あなたねぇー!調子に乗って、あちこち、さわってんじゃないわよっ!」
「だって、君のこと、好きなんだもん」
(……好きなんだもん、って。)
カイルは、上目遣いで、ナタリーを見た。
「ちょっと、やめて……」
(あー、ほんと、やめてちょうだい!その、捨てられた子犬みたいな、うるうるした感じ。わかってるけど、そーゆー、姑息な手を使ってるって、わかってるんだけど……。)
気が付けば、ナタリーは、カイルの熱い抱擁と、深い官能込みの口付けを受けていた。
(ああ、私って……。)
次に起こることはナタリーにも、わかっていた。
暖かな部屋に備わる天蓋付きのベッドの上で、カイルに、ドレスを剥ぎ取られ、素肌を晒すことになるのだと──。
予想通り、天蓋付きのベッドの上で、ナタリーは、カイルと抱き合っている。
耳元では、ハニー、ハニーと、うるさくて仕方ない。
「カイル、誤解しないで頂戴。これは、寒いから、よ!」
「ああ、人肌のぬくもりってのは、恋しいものだものねぇ」
と、言いつつ、くしゅんと、カイルは、くしゃみをした。
「ほら、もっと、しっかり寄り添って!」
「でもねぇ、確かに、暖かいよ。暖かい!が、色々、体に不都合が、起こるわけなんだが、そっちは、どうすればよいのでしょう?」
ニヤリと笑みを浮かべる男に、ナタリーは、うんざりする。
「あっ、その顔は、勝手に言ってろ!もしくは、勝手にやってろ!ってやつですね!」
ならば、と、カイルは、言って、ナタリーへ、口づけた。
次に、できれば勝手にやってろ、であって欲しいと、耳元でささやくと、そのまま、ナタリーの耳を甘噛む。
あっと、小さな声を上げるナタリーへ、カイルは満足げな顔を向け、そして──。再び、二人は、深い深い快楽に堕ちるのだった。
「ああ、ハニー、君とのひとときは、なんて、素敵なんだ!」
実に、くだらないほど、甘い。
ナタリーは、幾ばくか、ゾッとしつつ、カイルへ言っていた。
「結局、私に何をしろと?」
「もう、つれないねぇ。だから、俺達は、夫婦になるんでしょ?」
「そして、かりそめの王妃は、邪魔になれば、ポイ」
まったく、と、カイルは、呟き、ナタリーへ、覆い被さった。
「せっかく、楽しい事しているのに!しかし、寒いな!」
そのまま、カイルはナタリーの首へ、顔を埋め、白状するよ、などと、カッコをつける。
「……たしかに、かりそめの玉座を狙っている。君を使って、国をなんとか、維持したいと思っているけど、罪悪感にも、押し潰されているんだ」
どこか、泣きそうなカイルの声に、ナタリーは、その黒髪をすくように撫でていた。
「……依頼なんて形で君と接したくなかった」
顔を上げ、ナタリーを覗きこむカイルの瞳は、真剣なものだった。
「……受けるしか、なさそうね」
「……そのようで」
おどける言葉が続いたが、カイルからは、いつものあの、軽々しさが、消えている。
「我が国の、宰相を落として欲しい」
やっと、というべきか、ついに、というべきか、ナタリーは、自分への依頼を聞くことになる。
ああ、まいったなぁ、と、カイルは呟くと、ナタリーから離れ、
「じゃあ、契約成立。かなり、てこずったけど、よかったよ」
と、目的を達成出来たと言うが、 よかったよ、と、言う割に、カイルの口振は重い。
「そんなに、堅物なの?」
狙いの、宰相とやらは、きっと、用心深い男なのだろう。
ナタリーに、落とせるのか、その先の、国を乗っ取る事ができるのか。カイル自身に迷いのようなものが伺えた。
「いや、その逆。女には、甘い。手当たり次第さ。しかし、その分、女に落ちることはない」
あー、もうー、と、苛立ちつつ、カイルは、枕へ顔を埋めたが、やおら、半身を起こすと、
「……できるかな?」
などと、弱気な発言をしたのだった。
「できるも何も、この私に、依頼した以上、後悔はさせないわ。私は、傾国のナタリーの二つ名を持つ女。多少の、困難ぐらい、お手のものよ」
ナタリーは、隣で、完全に、自信喪失している男を、鼻であしらった。
「だよね、わかってるんだけどさぁ、今回ばかりは、いや、君、だから、俺……」
(君だから、なんなのよ?)
「心配なんだよ!あいつの、おもちゃにされてしまうんじゃないかって。そりゃー、それなり、なんとか、突破できるだろう。わかってるんだけどね、ハニー!」
(いや、だから?)
カイルのあまりの乱れ様に、ナタリーは、言葉が出ない。
勝手に言ってろ!なのだが、どうもいつもと勝手が違った。
「だからさあー、本気の女が、あいつと!そう思ったら!」
あーーー!と、叫びつつ、カイルは、またまた、枕へ突っ伏した。
(なるほど。こいつは、本気なのか。 ん?!本気?!)
「あ、あのね、カイル。そんなに、気負わなくても……」
「そうだよね、これは、依頼。そして、仕事。俺だって、お針子ちゃんと、寝たんだから、お互い、割りきらないと」
(はあ?!ロザリーと?!)
事の真意を確かめる前に、ナタリーのビンタが飛んでいた。
パシンと、小気味良い音と共に、カイルの、ひぃっ、という、どこか、情けない叫びが響いた。
「あなた、やっぱり、ロザリーと!それを、今、言うかっ!!」
「ああ!寝たよ!寝た!でも、仕方ないだろっ!大国に、乗っ取られる前に、動かないと!」
ぶたれた頬を押さえながら、カイルは、ナタリーへ、言った。
「俺だって、目的の為なら、色も使うよ!そう割り切ってたんだ!!!けど!!!」
「割り切って、私とも、なのね!」
「違う!」
「違わない!もう、寝るっ!」
カイルに背を向けて、ナタリーは、思う。
(これって、お互い、目的ありきの仕事でしょう。何を目くじら立ててるんだろう?)
「……結婚したい。仕事が終わったら、足を洗って欲しい。そして、二人で、ワイナリー経営しよう」
告白のような言い訳に、ナタリーは、
「考えとく」
と、ポツリと答えた。
同時に、今までのカイルの行動は、国のため、おそらく、宰相とやらから、主権を奪還するためのものだったのかと思う。
ロザリー経由で、フランスと、あらかじめ表面的に、手を組んで、ナタリーという、工作員を使って動く、そう了解済みなのだろう。
大国に乗っ取られる前に、敢えて手を組むという方法で、強引な合併を避けるつもりなのだろうが、それもいつまで、持つか。
カイルも、わかっているはずだ。自国の運命を……。だから、ワイナリーなどと、言っている。
今までの事を、頭の中で整理するナタリーの背中に、コツンとカイルが、頭を寄せた。
「愛してる……」
言うと同時に、カイルは、寝息を立て始める。
「……まあ、あれだけ、動けば疲れるわ……でも、その言葉……意外と、悪くないかもね」
ナタリーは、そっと向き直り、眠りに落ちているカイルを抱き締めた。
海風のせいで、館は底冷えが酷い。暖炉では薪が、赤々と燃えているのに、暖かさは微々たるもの。何故か、カイルと抱き合っている方が、暖かく感じるのだった。