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第4話:匂いで会話する夜
ハネラの都市では、夜になると歌が静まる。
命令歌の多くは昼間に限られており、
都市樹もその脈動をゆるめて、葉のひだの奥で微かな光を点滅させる。
夜は、命令より“感覚”が優先される時間。
だからこそ、**匂いが交わる。
その夜、シエナは都市樹の高層にある“風貯層(ふうちょそう)”の巡回に入っていた。
風を調整する枝の間にたまった空気が、ゆるやかに呼吸のように動いている。
彼女はそこで、今日も歌わず、光の反射と感覚の粒で会話を試みていた。
尾羽を少し立てると、地面に埋まった根部から、湿った苔と蜜の匂いがふわりと立った。
──正常作動。安心の合図。
反射光では見えないが、匂いでなら確かに通じる。
それは、彼女が“世界と関われる”数少ない瞬間だった。
「こんなに高いと、歌が届かないんだよな」
声がした。
振り返ると、ルフォがいた。
今日の彼の羽は、薄い金に濃い縁取りがかかっており、夜光に照らされてまるで焼けるように光っていた。
「だから、昔のハネラはさ、匂いだけで会話してたって話もあるんだってさ。知ってた?」
シエナは羽を半分だけ広げ、羽先を斜め下に傾けた。
それは「知ってるけど、あなたの話は聞いてるよ」の意味。
「……そうか」
ルフォは少し笑いながら、自分の翼を軽くたたんで隣に降りた。
ハネラは感情を匂いで表現できる種族だ。
甘い香りは安心。
酸味が強ければ警戒。
中には、複雑な香りを「共鳴の証」として用いるつがいもいる。
けれど、都市では命令歌の社会化によって、匂いの役割は年々薄れていた。
歌の正確さ、コードの複雑さ、命令の強度。
そうしたものばかりが“価値”として数えられる。
「だけどなあ」
ルフォは空を見上げた。
枝と枝の隙間から、夜の空気が見える。
「歌えなくてもさ、ちゃんと届いてると思うよ。あのナマケモノもそうだったじゃん。あいつ、あんたの光には反応してた」
シエナは何も言わずに、羽の根元を少し震わせた。
すると、彼女の体から、微かに甘くて緑の匂いが漂った。
それは、**「ありがとう」**という意味だった。
そのあと、2羽はしばらく無言で空を見つめた。
言葉も、命令もいらない。
けれど、匂いと光が交わって、確かに何かがそこにあった。
この都市の上には、沈黙で満たされた世界が広がっている。
それでも、命令しないまま、通じ合う関係は、確かに生きていた。