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更新お疲れさまです、第3話じっくり読ませていただきました! まず冒頭の〈ペルドン・ローズ〉の匂いや景色の描写に一気に引き込まれました。スターチスの香り、濁った海、塩の味……この土地の空気感が肌に染みるようです。シオンが都会から来た医療者だというのが、細かい所作や道具立てからにじみ出ていて、とても好みでした。 宿の中の異様な静けさや“三女神”と呼ばれる女性たちの影の濃さ、モーティの語る事件の生々しさ……すべてが次の展開への期待を高めてくれます。短いエピソードなのに、練り込まれた世界観と厚みを感じました。次話も楽しみにしていますね🌷
〈ペルドン・ローズ〉の前で二輪馬車を降りると、スターチスの匂いがした。御者が道中この地域の合法と言い難い産業について笑いながら語っていたので、シオンはなんの気無しに海を覗き込む。濁った海水しか見えなかった。空気そのものにも塩の味がする。
喉の奥が少し焼けるように感じられ、二、三度唾を飲んで違和感を拭おうとした。いずれは慣れるだろうと言い聞かせる。
「やあ」
声がした。痩せ型で巨大な頬ヒゲを生やした主人が、戸口に立って長いパイプを吹かしている。
「寄っていかんか」
「ああ、もちろん」
主人の言葉に彼は陽気に返事をして旅行鞄を担ぎ、医療用道具が入った黒い革の鞄をもう一方の手に持った。
「いらっしゃい。食事とビールでいいかね」
「望むところですよ」
建物に目を走らせた。
大きな平屋建ての宿屋で、漆喰を塗った壁が陰気な冬の空の下で霞んだ灰色に見える。
シオンは空腹だ。コルチェスター駅から一時間ほど馬車に揺られている間も、温かい食事のことを考えていた。これから教区司祭のオリバー・ホーズ(神学博士なので、正確にいうとホーズ博士)を尋ねて治療をすることになっている。
「さあ、入んなさい」
主人に言われて、彼は嬉々として建物に足を踏み入れた。
漁師の出立をした七、八人の男がそこにいる。全員が主人と全く同じ細長い白のパイプを吸っている。自分と仲間のパイプの見分けがつくのだろうか。
他に女が三人いるのが目に留まった。隅で運命の三女神の隊形をとって、じっとこちらを見ている。
「いらっしゃい」
改めて主人が言った。
「〈ペルドン・ローズ〉にようこそ。ほれ、荷物を置いて。そう、それでよし。ジェニー!ジェニー!パンをいくつかと、牡蠣を十六枚待ってこい。お客さんは腹ペコみたいだ。ほれ、急いで」
注文はそれでいいのか、シオンは確認することができなかった。ほんの数秒のうちにジェニーという十歳前後の少女が現れて、パンと山盛りの牡蠣を持ってくる。
主人がスモール・ビールのジャッキを彼に手渡し、カウンターで立ったまま食べるよう合図した。食事を始めるにしろ、用件を話すにしろ、シオンが次に何をするかを酒場中が見守っているらしい。まずは腹を満たすことにした。
店内は静かなままで、彼か他の誰かがビールを飲む音しか聞こえない。十分後、シオンは食事を終えた。
「四シリング三ペンスのお代と、お話をひとつよろしく」
彼がそう言うと、シオンは笑う。
「なんの話をすればいいかな」
「ここは何をしに来たのかをさ」
すっかり打ち解けた口調で、警告めいた響きは感じられない。彼は躊躇いなく話すことにした。
「私は医師です。これから親戚の世話をしに行くところで」
「親戚というと?」
「ホーズ博士ですよ」
「ホーズ司祭!」
宿屋の主人が眉を高く上げ、店内にざわめきが起きる。
「司祭が親戚なのかい」
「父のいとこです」
「へえ?司祭の親戚がよその土地にいるなんて、ちっとも知らなかったよ」
「私自身会ったことがなくて」
「ああ、そうか。あんたがマーシー島かペルドンの出身じゃなきゃ、そうだろうよ。ご病気だと聞いたが」
皆のヒソヒソと囁く声が聞こえたが、ここでは宿屋の主人が代表で話す習わしのようだ。
「今夜会って確かめます」
#TL
瀬名 紫陽花
12,527
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605
「朝まで待ったほうがいい。潮が満ちてくるから」
「ご親切にありがとうございます。でも今夜のうちに行かなくては。ホーズ博士がお待ちですから」
「モーティ、送ってやってくれないか」
堂々と聞き耳を立てていた男の一人に、主人が声をかける。
「俺は渡し守だ」
歳は六十を超えていて小柄だが、エセックスの小川や海で船を漕ぐ男に相応しく頑丈そうだ。
「渡し守といえば、俺だよ」
「いい腕前なんでしょうね」
「けど、これから家に帰るとこだな。今日は、もうあがる」
「今ならストルードは安全かな」
主人が尋ねる。
「多分な。走るのは無理だけど、普通に渡るのは平気だろうよ」
「それなら問題ありません」
シオンは早口で言う。早く出発したかったからだ。
「道を教えてもらえますか?」
そこにいた全員が窓の外へ目をやった。雨は降っていないが、午後六時を過ぎて辺りは冬の闇に包まれている。
「ランプがいるな」
都会から来た若者がそうした道具を準備しているのか、主人は疑わしく思っているらしい。
「持ってきました」
「防水ブーツは?」
「必要だとは思いませんでした。なんとかします」
シオンは革のショートブーツを見下ろした。まあいい。この靴も随分履きくたびれている。
「じゃあ、教えるぞ。あの道をまっすぐいけば、途中からストルードに変わる。レイ島についちまえば、あとは迷いようがないさ。島にある建物がレイングラス館だけだから。ホーズ司祭は悪い人じゃない。たまにちょっと妙なことがあるがな。けど、義理の妹によくしてるしな。あの……例の件の後も」
シオンがどこまで知っているのか探ろうとしているようだ。一家の醜聞か。
この人たちの方が、自分より事件の詳細に詳しいのは間違いない。話を聞く価値はある。
「ええ、その人がホーズ博士の弟を殺害したそうですね」
主人はそれを聞いてホッとしたらしい。
「その通り。よかった、知ってたのか。びっくりさせたらまずいからな」
「大丈夫ですよ」
大雑把な説明を受けていたが、オリバーの弟であるジェイムズを妻のフローレンスがどのように殺害したのかは、父も詳しく話したわけではない。
「ただ、正確に何が起こったのかについては疎くて」
「疎い?」
主人は訝しげに言って、返事をためらった。
「モーティに聞くといい」
「ほぅ、あんた知らんのか」
「ええ、詳しくは」
モーティは肩をすくめる。
「だが、あんたの身内だろ。あんたにも関係がある」
シオンは妙な気分になったが、この男の言う通りだ。
ここに住む親戚の誰にも会ったことがないとはいえ、確かに自分にも関係がある。身内というのは奇妙な繋がりの源かもしれない。
「俺があんたのジェイムズ叔父さんだかなんだかの亡骸を屋敷に運び入れたんだ。酷い有様だったよ。顔が膨れてな。黄色で。悪いもんにやられたんだな」
言葉を切る。
「あんたらの言うカンセンってやつさ」
「感染って?どういうことでしょうか?」
モーティは万人周知の事実を語るように、肩をすくめた。
「顔をめちゃくちゃに切られたんだ。奥さんがデカンターを顔に投げつけて、ガラスが粉々に割れてな。それで悪いもんが体に入った。この辺りの肉が黒、この辺りは黄色って感じで色が変わってな」
自分の頬と顎を指差す。
「体中が豚みたいに膨れちまったんだよ」
つまりフローレンスがジェイムズの顔を深く傷つけ、敗血症で死に至らしめたということか。随分激しい暴力だったに違いない。
「そうなる前はハンサムな男でした」
三女神の一人が声を上げた。
「この土地の宝だったよ」
「奥さんはなぜそんなことを?」
疑問を口にする。下卑た好奇心だったが、皆が知っていることなら聞いても構わない。
モーティは陰気に首を振った。
「さあな。この辺りじゃ、よくひでぇことが起こるんだよ。あんまり首を突っ込みたくねえな。俺は棺桶を船に積み込んでヴァーリーまで行き、聖マリア教会へ運んだだけだ。本人は今、地面の六フィート下で寝てるさ。質問があるなら直接聞きゃいい」
「モーティ」
三女神の一人が嗜める。
「そりゃそうと」
彼は考え込む様子でビールを一口飲んだ。一瞬の間の内、皆が耳を傾ける。
「奥さんのフローレンスが今どこにいるか、あんたは知っているのか?」
「いや」
モーティは仲間の顔を一人ずつ見た。皆が暗い表情で見つめ返す。
「すぐにわかるさ」