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#TL
瀬名 紫陽花
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うわあ、このレイングラス館の描写、すごく雰囲気がありますね。潮の匂いと孤独感がじんわり伝わってくる道中から、館の内装や図書室の神秘的な光の描写まで、映像が浮かぶようでした。八角形のテーブルから蜘蛛の巣のように広がるランプの光、そしてうたた寝するホーズ博士…これからどんな話が始まるのか、すごく気になります!
礼を言って代金を払う間も、モーティの言葉がシオンの耳に鳴り響いている。
外へ出て歩き出すと、また喉の奥に塩の味を感じた。この一本道がストルードに続いている。宿屋を後にして夜空の元を歩きながら孤独を感じたが、ひとときの静寂を楽しむことにしよう。
地面が柔らかくなって湿地が近いのが分かると、道の脇の芝地がぬかるみへと転じる。暗い表面に〈ペルドン・ローズ〉からの明かりが揺らめいた。灯台の信号のように行ったり来たりしながら、そこかしこを照らしている。
やがて、ストルードの前に来た。人一人渡れる幅があり、突き当たりに光に反射しない大きな黒い塊が見える。親族が待つレイ島だ。
一歩進むたびに足が泥へと沈む気がした。土手道の両脇で鏡のように輝く水面が、苦闘するシオンを嘲笑っている。踵と足、さらにくるぶしが沈んだ。膝まで沈んでしまったら肩まで海水に呑まれるのではないかと、不安になる。それでも彼は平気だというモーティの言葉を信じて歩き続けた。
泥道が少しずつ硬さを増し、やがてしっかりとした地面となった。
レイ島。潮とともに消えては現れる島だ。
オイルランプに火をつけると、光がかなり遠くの地面まで照らした。船具商から買ったランプだ。
その船具商は「照明の強さは売られているものにも引けを取らないし、一マイル離れた船でも互いに見つけられる」と言っていた。
明かりが照らしているのは荒涼たる大地だ。死を思い起こさせる。なぜこんなところに住むものがあるのかと、疑問だった。
シオンは見上げる。弱々しい星の光が散らばっているが、地平線の辺りに空白が広がり、水浸しの地面に黒く巨大なものが聳え立っていた。レイ島での唯一の建物、レイングラス館だ。屋根に近い窓から見える明かりだけが、人の住む証。
近づいてランプの強い光を照らすと、三階建てでロンドンの邸宅ぐらいの大きさがあるのがわかった。そばに小さな厩舎らしきものが見える。田舎の聖職者が住むにしては広大な屋敷だが、どんなに晴れ渡った春の日でも、見える景色は陰鬱に違いない。
屋根の前に着くと、レンガの壁から古風な呼び鈴の取っ手が突き出しているのが見えた。強く引いたところ、中から鐘の音に続いて足音と閂を外す音が聞こえる。こんな島で玄関を施錠する必要があるのだろうか。招かれざる者が訪ねてくることはないのではなかろうか。
「グレイ先生?」
肉付きの良い陽気そうな家政婦が脇へ避け、広い玄関広間から暖気が押し寄せた。
「はい」
「どうぞお入りください」
シオンはほっとして玄関を潜る。
屋敷内の装飾は百年前に施されたかのようだ。没後久しい詩人たちの肖像画が一方の壁に並び、階段の上には狩りをする男たちを描いた大きな油絵が飾ってある。だが何より目を引くのは、暖炉の上にかかった肖像画だ。煌めく館の前に立つ、豊かな茶色い髪の凛々しく美しい女性が描かれている。
「タバーズと申します。イライザ・タバーズです」
シオンは大きな旅行鞄を下ろした。
「他にも使用人が?」
「ええ。ピーター・ケインがおります。雑用や庭の手入れなど、何でもしておりますよ。ケインもあたくしも住み込みではありません。マーシー島から寄っておりましたね。あたくしは夜が明けたらここへ参りまして、暖炉に火をつけ大体午後七時頃に帰ります。ケインは午前八時から午後五時までおります」
こんなところに住みたいと思う人間が多いはずはない。近くの村までわずか一マイルとはいえ、海の都合で外界から隔絶された場所なのだから。
シオンはランプを渡すと、家政婦が衣装タンスにしまった。タンスのすぐそばのテーブルには、大きさも様々なランプや錆びた鉄の鍵が幾つか置いてある。
「ホーズ博士のところへ案内してもらえますか?」
「こちらへどうぞ」
タバーズは階段を上がって廊下を進んだ。床には隙間なく絨毯が敷き詰められ、壁はカーテンや掛け布で完全に覆われている。それが独特の雰囲気を一層強めて、空気が動かずに止まっているようだ。一歩進むごとに、靴の音は絨毯に沈んだ。
上階の長い廊下沿いに、緑と赤と青に革張りされたドアが一つずつある。廊下の奥にもう二つドアが見えるが、そちらは普通の木で出来ている。
二人は緑の革のドアの前で立ち止まり、タバーズがノックした。三回軽く、それから三回強く。中から苦しそうな呻き声が聞こえた。それを合図に、家政婦はシオンを室内へ案内する。
目を見張る光景が目の前に現れた。夜の教会のような暗闇を幾重もの細長い光が貫いている。部屋の中央に八角形のテーブルがあって、その上に置かれたオイルランプの光だ。ランプは蓋が半ば閉まっている。壁にガス灯も掛かっているが、どれも火が灯っていない。それでもテーブルから広がる蜘蛛の巣のような光のおかげで、ここが図書室だとわかった。これまでわずかとはいえ幾つかの豪邸に招かれたことはあるが、こんな図書室は見たこともない。
天井は二階分の高さあり、それぞれの階の位置に窓が並んでいる。部屋のそこかしこにハシゴが掛けられ、床から天井まで壁を埋め尽くす本に手が届くようになっている。愛書家にとっては天国で、文字嫌いにとっては地獄だろう。
本の山がいくつも積まれた書見台や読書机の輪郭が、室内の闇に浮かび上がっている。ページをめくる場所として深い座り心地の良さそうな椅子が円形に並べられ、それらの中心にソファーが置かれている。そのソファーで、痩せている四十代の男がうたた寝していた。すぐそばに八角形のテーブルとランプがある。
部屋の奥は闇に包まれているが、ランプの光がそこかしこに反射する様はここへ来る途中で揺らめいていた明かりを思い出させる。きっと大きなガラス板があるのだろう。