「まあ、そう言うことで。支配人?よろしいかね?」
男爵の仕切りに、花園劇場の支配人は、コクコク頷いていた。
お咲目当ての支配人は、岩崎が教鞭を取る帝都音楽学校の発表会を劇場で開く事を条件として突きつけられている。
ついでに、芳子の出演もだが……。
「お咲は、まだ、就学前だ。一人で舞台に立つというのは、いかがなものだろうねぇ。そこで、保護者と言うべきか、雇い主というべきか、京介が率いる学生楽団と共になら、お咲の監督も十分行えるだろう?まあ、華を添えるごとで、芳子も、ということで。ちょうど来週、学生達の発表会が、校内の講堂で開かれる事になっている。色々と、都合も良さそうだと思うのだがねぇ……」
男爵は、ちらりと岩崎を見た。
また何を言いだすのかと、不服ありの顔をする岩崎を差し置いて、支配人が、必死に頭を下げる。
「わ、わかりました。男爵様の仰る通りにっ!!も、もちろん、奥方様も!ですから、お咲を、舞台に!」
「なあ、支配人よ。そんなに、お咲が必要なのかい?」
あまりにも必死になっている支配人の姿に二代目が不思議そうに言った。
「ああ、田口屋さん、どこの劇場も、新手の興行を初めてねえ。うちみたいな小さな劇場では、流行りの歌劇だの新劇だの、そんな劇団を誘致するのも、はたまた、創設するだなんて、とてもじゃないが無理なんだ」
「そうーいやー、女歌手が唄ったり、西洋風の芝居を興行したり、流行ってるよねぇ。昔ながらの、チャンバラだの、漫談だのじゃ、受けないご時世というわけかぁ」
そいつも、なかなか難儀な事でと、二代目は、ぼやきつつ肩をすくめた。
「ですから!お咲なんです!天才少女現れる!少女歌劇始まる!と、うちも勝負できれば……」
支配人は、事情を語ると小さくなった。
「しかし、お咲を立たせても、実は、肝心の演奏団がいないという状況なのだろう?」
思案顔の支配人を男爵が責めた。
「それで、学生を、ですか?!」
岩崎が、たまらんとばかりに抗議の声をあげる。
「京介、いいじゃないか。どうせ、発表会が開かれるんだ。学校の講堂ではなく劇場なら、より実践的じゃないか?学生達の将来を考えても、ためになると思うのだが?」
「そんな、学校側も色々準備していますし、演奏の順番も決まっている。お咲に義姉上《あねうえ》が参加となると、諸々組み直さなければなりません。何より、学校の、学生の発表会という根本が崩れます!」
抗議してくる岩崎を支配人は、おろおろしながら見つめ、二代目は堅物が、とやじる。
「学校、学生とこだわるのなら、そこのところは大丈夫よ。京一さんが采配するわよ」
のほほんと、他人事のように芳子が口を挟んで来た。
かまわんぞ。と、男爵はニカリと笑うが、そんな能天気ぶりに岩崎はこれでもかと顔をしかめきった。
「いやーね、京介さんったら、そんな鬼みたいな顔をして。月子さんに嫌われるわよ?」
芳子のからかいを真に受けたのか岩崎は、焦り月子の姿を探した。
「やだ、月子さんの名前をだすだけで、おろおろしちゃって」
「そ、そうではなく!月子の姿が見えないと思って……」
言い訳がましく、モゾモゾと言う岩崎は、廊下にポツンと座っている月子の姿を見つけ、慌てて手招いた。
「月子、いつまでもそんなところにいなくてもいいんだ!畳に、いや、座布団に座りなさい!足を挫いているのだから!」
足のことを、男爵夫婦と二代目は、うっかり忘れていた様で、はっとした面持ちを月子へ向けるがその視線に岩崎が割り込んだ。
「あっあの、まだです!お汁粉は、まだ作れません!」
月子が叫ぶ。そして、ひっと声をあげると袖で口を覆った。
岩崎の為に、汁粉を作ろうと考えていた所へ声をかけられ、うっかり口走ってしまったのだ。
「月子……汁粉が好きなのか?で、では!汁粉を食べに行こう!」
バタバタしていて何も食べていないと、岩崎は愚痴りつつ、月子の足を気遣いながら甘味屋に向かうべく部屋を出る。
その後ろ姿を見送り、芳子がポツリ。
「あらまあ、京介さんって、本当にお汁粉が好きなのねぇ」
「いやいや、芳子?そうじゃないだろ?」
「ですよ。男爵夫人。京さんが、本当に好きなのは……」
男爵夫婦と二代目の三人は、少しだけ呆れ、肩をゆらして笑った。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!