佐伯悠太、25歳。大手出版社に勤める雑誌編集者となっていた。あの夏に交わした**「夢を叶える」**という約束通り、都会で多忙な日々を送っている。
東京の蒸し暑い夏も終わりに近づき、悠太は疲れ切った体で、仕事帰りのターミナル駅を歩いていた。
あの田舎の夏休みのことは、年に一度、あの駅のホームで交わした最後の約束を思い出すくらいで、遠い記憶の風景となっていた。
「……あ」
悠太は、立ち止まった。
目の前の、都会の喧騒の中を歩く人混みの中に、目を引く一人の女性がいた。
背が高く、健康的な肌と、きりっとした目元。デニムに白シャツというシンプルな装いだが、その佇まいには、人目を惹きつける力強さがあった。彼女は、手首に数珠のような木のブレスレットを付けていた。
悠太は吸い寄せられるようにその女性に近づき、声をかけた。
「あの……沢村、葵?」
女性は立ち止まり、ゆっくりと悠太を振り返った。
彼女の顔には、あの夏によく見た太陽のような笑顔があった。しかし、その笑顔には、もう子供じみた焦燥や不安はなかった。代わりに、自信と、目標を達成した者だけが持つ輝きが宿っていた。
「……やっぱり、悠太だったか」
葵は、悠太より少しだけ背が高くなっていた。
「なんで……東京に? 連絡、全然できなかったのに」
「フフッ。アンタこそ、全然連絡してこなかったくせに」
葵は笑い、悠太の持つビジネスバッグを見やった。
「立派な荷物を持って、約束通り、ちゃんと自分の夢を叶えたんだな。おめでとう」
「葵こそ……」
悠太は、葵の服装から、彼女が観光客ではないことを感じ取った。
「私が東京に来たのは、今年の春からだよ。**『森林セラピー』**の資格を取って、都内の施設で働いているんだ」
悠太は驚きを隠せなかった。
「森林セラピー? 田舎の緑を、都会の人に届ける仕事か」
「まあね。アンタが『この町は素晴らしい』って絵日記に書いたとき、私は思ったんだ。**『この町の良さを、私自身が証明してみせる』**って。だから、アンタが都会に行った後、私はこの町でしっかり勉強して、資格を取ったんだ」
あの夏、悠太に「都会へ行け」と強く突き放した葵は、自分の居場所を証明するために、自ら都会へと踏み出していた。それは、悠太と同じフィールドに立つための、彼女なりの挑戦だった。
「じゃあ、この町は……」
「必要なくなったわけじゃない。でも、もう逃げる場所じゃなくなった。私はこの町に感謝しているし、今は自信を持って、都会の人にその良さを伝えられる」
葵は、昔と同じように、ニッと勝気に笑った。
「で? **『夢』**は叶えたんだろ、悠太」
悠太は、胸の奥底で、7年間眠っていた熱が再び燃え上がるのを感じた。
「ああ。叶えたよ」
「なら、次はどうするんだ?」
葵は少し顔を傾け、あの夏、沢で悠太にしたように、一歩、距離を詰めた。
「あのとき、私、アンタに言ったよな。『夢を叶えたら、次はどうするんだ』って」
悠太は、あの日の切ない約束を思い出しながら、今度こそ逃げずに、言葉を返した。
「次は……**『恋』**を叶えたい」
葵は、少し驚いたように目を細めたが、すぐに全てを悟ったように、優しい眼差しを向けた。
「……遅いよ、悠太」
そして、彼女は悠太の麦わら帽子の代わりに、彼の額に触れるように、キスをした。
「これで、**7年間分の『ときめき要素』**はチャラだ。さあ、次は、どこで続きの夏休みを過ごす?」
悠太は、都会のざわめきの中、7年前に叶わなかった初恋が、夏の終わりの夕焼けのように、静かに、そして確かな熱を持って、再び始まったのを感じた。