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歯車が狂いだしたのはいつだったか。
鈴ケ嶺道弓は非常に頭がきれ、周りからその才能を羨ましがられるほどに何でもできる完璧人間だった。だが、何もやりたいことはなく、勧められるまま入った大学にて研究をしていくうちに、空澄財閥に目を付けられた。そして、任された研究の最高責任者になり、空澄財閥の地下にて研究を行った。その間、研究の一サンプルとして人殺しを行っていた。それが初めての人殺しではなかった。大学にいる間も、もっとその前から殺生に関しては良心が働かず好奇心に任せて虫や動物を手に欠けていた。そんな良心が欠如するきっかけを作ったのは両親の離婚で、道弓は父親からの暴力を受け続けていた。そんな道弓はやっと壊れたのか、家を飛び出し、一度は裏社会に拾われ、自分の名前や個人情報を書き換えて、何の罪悪感もなしに学校に通い、大学まで出た。
何もかもがすべてうまくいき、道弓は退屈していた。それでも、大人になって生まれてきた良心が、人を思いやれる心が彼を変えた。大切な人が出来たからだ。それが、梓弓の本当の母親。
道弓は彼女に惹かれていき、非人道的にな研究を行っている裏で、彼女とともに過ごした。そうして、研究は進んでいき、やり遂げてしまったのだ。それは、本当に人を逸脱するような、心もないもの。言ってしまえば、「自分の理想の子供を創り出す」研究だった。
研究を終えて、ようやく過ちに気付いた道弓は空澄財閥から金を受け取らず、彼女と暮らすことを選んだ。しかし、今まで積み上げてきた死体の山に、彼女に合わせる顔などなく、一度きり関係を結んで、それから離れて行ってしまった。取り残された彼女は、深い悲しみをおい、吊り橋効果のように梓弓のもと育ての親であるクソ親父と結婚し子供を授かった。だが、その子供は、そのクソ親父との子供ではなく道弓との子供だった。それを隠しながら彼女は生きた。だが、耐え切れなくなったのか家を飛び出した。飛び出した先で道弓に出会ったが、もともと、空澄財閥に探りを入れるために送り込まれたスパイだったと、道弓に殺されてしまう。道弓は、自分が彼女を愛していたこと、彼女も自分を探りを入れる対象ではなく、愛する人だと認識していたこともわかっていた。だが、道弓にはそうする事しかできなかった。それが、梓弓のもとに母親が帰ってこなかった理由だった。
彼女が死ぬもっと前から、道弓は世界を飛び回り、恵まれない子供に、幼いながらにその領域に足を踏み入れた子供達に殺しを教えた。自分にはそれしか残っておらず、それを教えることで彼らを救おうとした。もしかするとそれは過去の自分を救うためだったのかもしれないが。
そうして、道弓は「先生」と名乗り、各地を回って教え子たちに授業をした。課題を出し、出来たら褒める。そうして、また新しい課題を与えて去っていった。道弓が教えた子供の数は分からない。けれど、その全員が一流の暗殺者に近い存在となっていた。
そんな道弓は、彼女を殺し、彼女との間に子供が生まれていたことを知った。合わせる顔などないと思いつつも、愛した女性との子供ということで、会わずにはいられなかった。そうして、たどり着いたところで見たのは過去の自分のように暴力を振るわれ地獄にいる梓弓の姿だった。梓弓は育ての親を殺してしまった。自分は父親を殺さなかったが、梓弓には自分の血が流れていると瞬時に理解した。
だから梓弓の目の前に姿を現し、梓弓に手を差し伸べた。
同じく血に染まった手を梓弓は見る。
本物の自分の子供を前にして、父親として何が言えるのだろうかと、道弓は、考えた。だが、このまま梓弓を放っておけば、きっとろくな人生を歩まないと。それなら、自分の教えられる「生き方」を教えてあげようと、そう思ったのだ。
良心からか、それとも、罪悪感を抱えた罪滅ぼしのためか。道弓にはわからなかった。ただ純粋に、無意識に本当の子供、息子を自分の手で育てていかなければと思ったのだ。自分の「生き方」で。
それから、梓弓と道弓の生活は始まった。敬語もなっていないような、梓弓に敬語を教えたのはあくまで他人「先生」と「生徒」だと教え込むためでもあった。でも、それと同時に、敬語を使うような普通の世界に出て行ってほしいという願いもあった。矛盾、そして複数の理由を織り交ぜながら先生として授業を行った。課題もたくさんだし、それを解けるプロセスも教えた。教えるのはうまかった。だが、何度も本当にいいのかと踏みとどまった。
生涯、自分を本物の父親だと呼ばせないとずっと胸にしまっていた。本当は、普通の家族のように「父さん」と呼んでほしいとも思っていた。だが、それを言おうとした梓弓が苦しそうにしたので、道弓は一度もその呼ばせ方をしなかった。
「先生」と「生徒」であり、「父親」と「子供」の複雑な関係の中、それでも一緒に生活できることを、道弓は幸福に思っていた。
だからこそ、息子の反抗期に戸惑い、それでも息子が抱いた初めての本気の夢を応援したいと思った。今更だと、梓弓は言ったが、今更じゃない。と、そう伝えたかった。ようやく、眩しい世界に恐れつつも踏み出した息子の成長を道弓は誇りに思った。そんな息子の姿をずっと見ていたいと。
――それもかなわない願いになりそうだが。
「――これが、俺の話せる真実だ」
そう言って話し終えた先生は、呼吸を浅くし、再び血の塊を吐いた。
壮絶な過去、そして先生の思いを聞いて、俺はなんて言えばいいかわからなかった。自分の出生の秘密が明らかになり、何で自分の隣にいて家に帰ったら「おかえり」なんて言ってくれるんだろうとずっと不思議に思っていた。その不思議も疑問もすべて解消され、俺は呆然としていた。
(先生が、俺の父親…………)
ずっとそばにいて見守ってくれた。俺が分からないときにヒントをくれた。一緒に考えてくれた。毎回ではなかったが、授業参観の時、見に来てくれた。俺の誕生日を祝ってくれた、何度も名前を呼んでくれた。そんな過去の思い出が一気に押し寄せる。そして、ぐちゃぐちゃになった思いはまとまらなくて、言葉が出てこなかった。
「あず、梓弓! おい!」
綴が俺を揺さぶって叫んでいるのに、それが遠くに聞こえた。俺はただ、目の前で弱っていく先生を、父さんを見て何かを言おうと言葉を探していた。でも、言いたいことがありすぎて、つまっては弾けていった。
父さんは俺の誕生日を祝ってくれていた。出会った日がちょうど誕生日だったという偶然を置いて考えて、毎年のように生まれてきてくれてありがとうなんて柄にもなく祝ってくれた、父さんの顔を思い出す。あの時すごく嬉しかったのと、照れ臭かったのを覚えている。一度も、生まれてきてくれてありがとうなんていわれたことなかった為、そこに自分の存在価値を見出してしまった。明日の暮らしなんてわからないようなそんな世界にいたのに、父さんにそう言われただけで俺は嬉しかった。その時、もし本当の父親だと気づいていたら、もっと受け止め方は違ったんだろうなと思った。
(俺は、俺はとんでもない間違いを犯したのか?)
父さんだと知っていたら、あんな言葉言わなかったかもしれない。先生になりたいと思ったおれの意思を尊重してくれた父さんに、俺はあんなひどいことを言ってしまったのだ。俺は名前の通り、自分で決めた道を歩もうとしていた。それを知った父さんがどれだけ嬉しかったかとか、そういうのを考えずに。
「梓弓、ごめんな……」
「何が、だよ」
「お前に、暗殺術しか教えられなかった。きれいな世界を見せることが出来なかった。そうする事でしか、お前に何かを与えてやれる人間じゃなくて」
「先生は――!」
ひどく後悔している、そんな顔をした父さんにまたも言葉が詰まってしまった。
そんなことない。俺をずっと見ててくれて、言葉をかけてくれて、やり方は普通じゃなかったかもしれないけれど、俺に生き方を教えてくれた父親であり先生なのに。それを、自分で否定してほしくなかった。俺は十分、父さんからいろんなものをもらった。これ以上いらないって程に、返しきれないほどに。
俺はその場に膝をついて父さんと目線を合わせる。父さんは、嬉しそうにはにかんで血の付いた手で俺の頬に腕を伸ばした。いつもなら、そんなことしない。俺も血の付いた手で人に触れようとは思わなかったが、俺はそれを自分の方に引き寄せて、父さんの手に頬を当てた。
「ごめんな、梓弓。俺がこんなばかりに、お前に辛い思いばかりさせたな」
ごめんな。と何度も何度も繰り返し言ってきた。
こういう生き方しか示してやれなくてごめんと言うこと。そして、ちゃんと父親をしてやれなくてごめんと言うこと。夢を追う俺をこれからさき後ろから見守れないことにごめんと。
繰り返し吐き出される「ごめん」は俺の心を抉った。俺が言って欲しいのはそんなことじゃない。俺がそれをいわせているんだと言うだけで、胸が締め付けられる。
(違う、俺は……俺は「先生」がいたから……)
父さんから色んな事を学んだ。父さんが手を差し伸べてくれたから、俺はここまで来れたんだ。明日の見えない暮らしの中で、一人の太陽に出会う事が出来た。大切な相棒に会わせてくれた。だから、俺は父さんを責める気なんてない。
「……父さんのこと、俺は…………恨んでない」
「梓弓……無理しなくても」
「だから、恨んでねえっつってんだろ!」
俺がそう言うと、父さんは少し驚いたように目を丸くする。血だらけの父さんの手をギュッと掴んで、俺は叫んだ。
「勝手に決めつけんなよ。俺が何が嬉しくて、俺の気持ちなんて考えずに勝手に言うな。俺は、俺はアンタがいてくれたからここまでこれた。大切な人にも出会えた、夢も抱けた、この世界が好きになれた。それは、全部アンタが……アンタのおかげなんだよ。俺の世界には、俺の道にはアンタって言う道しるべが必要なんだよ! だから、勝手に俺のこと決めつけんなよ!」
痛かった。心の底から絞り出した声に、俺は息を切らす。
父さんは何も言わなかった。そうか、と優しそうに微笑んでその手を下ろそうとした。俺は、力なく降りていく手を掴んでもう一度頬に当てる。離れて欲しくなかった。冷たくなっていって、もう助からないって目に見えていた。それでも俺は、「先生」としてではなく「父親」として俺のことを褒めて欲しいって……頑張ったって、馬鹿みたいだけど、言って欲しかった。
「……梓弓、そうか、ありがとな」
「先生……」
「俺は幸せだったんだな。俺がお前から離れられなかったのは、きっと家族のまねごとがしたかったからだ。お前が帰ってきたとき、父親としてお帰りって言ってやりたかったんだな」
「……まねごとじゃねえ、俺は……俺は、俺は家族だと思っていた」
そう俺が言うと、父さんは目を見開いた。大きく揺れた空色の瞳は太陽の光を浴びて輝いているようにも思えた。
目つきの悪さは、父さんの遺伝なんだなって、嫌いだった自分の目も好きになれた気がした。
「……言えなかったけど、恥ずかしくて、ずっというきなかったけど、俺は、アンタが俺の父親じゃなくても、アンタのこと本当の父親みたいに思ってた。アンタのこと尊敬してたし、憧れてた。いつかあんな風になれるかなって、暗殺者とかじゃなくて、ただもっと純粋に、アンタみたいな格好いい『先生』になりたいって、そう思ってた」
だから――
俺はそこで息を吸う。
「……俺のこと、息子として褒めてくれよ。俺、強くなっただろ?」
「はっ、梓弓はそんな泣き虫だったか?」
「違う。生理的な涙だ」
俺が泣いているのを見て、父さんは笑っていた。
ああ、こんな風に笑う人だったのかと、俺は初めて見た父さんの顔に胸が熱くなった。俺も釣られて笑ってみせた。
すると、父さんはまた俺の頬に手を伸ばして触れてきた。それから、俺の頭を優しく撫でる。
「俺の『先生』として出した最後の課題は無事やり終えたわけだ。梓弓、自信を持て。お前は俺がいなくても生きていける。立派に、自分の道を作って歩んでいける」
「……」
「だから、前を向け。出来るなら、空澄達を救ってやってくれ」
それと、と先生は最後の言葉を紡ごうとする。
俺はそれを最後にしたくなくて、口を挟んだ。
「……と、う……さん」
「梓弓」
「父さん、これまで、ありがとうございました。俺の事ずっと見守ってくれて、優しくしてくれて。父さんは、俺の自慢の父親です」
「……ッ、そうか、梓弓……、成長したんだな。ちゃんと、敬語言えるようになったんだな……俺こそ、お前の父親にならせてくれて、ありがとうな」
そう言って父さんの手は俺から離れていった。
音が聞えない。
完全に止ってしまった心臓の音を確認し、俺は立ち上がった。
「梓弓……」
「綴、空澄のところに行こう。俺達はまだやることがある」