テラーノベル
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「この人は、優しすぎるのよ」
優しい。
その言葉に、「はぁ」とため息をついた。
優しい? 俺が? そんなわけないだろ。
本当に優しい人間なら、 父さんを死なせたりしない。
「優しい……」
ヒナが、意味を汲み取れていない様子で、イロハの言葉を繰り返し発する。
「優しい」「優しい」「優しい」と。
俺ははっきりと、イロハに向けて言い放った。
「優しくない」
「……」
「優しいわけがない」
もう、めちゃくちゃだ。
涙は勝手に出るし、悲しいし、悔しいし、惨めだし、イライラするし。
色んな感情が混ざりすぎて、意味がわからない。
なにより、こんな姿見られるのが一番、みっともない。
視界が歪んでいるせいで、周りはよく見えない。
きっと顔を上げればイロハがいるんだろうけど、その顔を見るのが怖い。
今までの俺の嫌なとこ、全部見られたんだ。
こんな惨めな俺を、憐れむような目で見てくるに違いない。
そんなの、絶対、嫌だ。
だから、表情は分からない。
「優しいわけがない……?そんなことない」
聞こえるのは、 イロハのはっきりとした声だけ。
「違う、イロハがわかってないだけ」
「……」
「俺のこと……俺の、こと……よく知らないだろ
なんでそんなこと言えんだよ。」
言いたくない、こんなこと言いたくない。
なのに涙と同じで、勝手に口が動く。
嗚咽が混ざって上手く言葉にできない。
喋り方までおかしくなってく。
もう、嫌だ。過去を掘り返されただけじゃなく、イロハにこんなことばかり言うのも嫌だ。
だからもう、放っといてくれって。言いたい。
すぅ、と息を吸って、今度ははっきりした声色で言おうと思った。
でもイロハに、先を越された。
「ええ、知らないわ」
さも当然というように、迷いのない返答だった。
しばらく黙ってしまうかもしれない、そんな予想を綺麗に裏切ってきた。
「知るわけないじゃない、そんな話もしないもの。」
「うーん」と付け加えて。
「あなたのお父様や妹さんが、亡くなっているのは知っているわ。
でも、それでどれだけの傷を負ったかなんて、あなた以外に知る余地もない。」
言葉が途切れる。
否定されると思っていた。 「そんなことない」とか、 「あなたは悪くない」とか。
そういう言葉が飛んでくるものだと。
でも、違った。
イロハは、俺の知らない過去を勝手に分かった気にならなかった。
「だから、わたしは知らない。」
静かな声だった。
「あなたがどれだけ苦しかったのかも、 どれだけ自分を責めてきたのかも。 ーーどれだけ泣いたのかも。」
一つ一つ確かめるように言う。
「全部、あなたにしか分からない。」
そこまで言ってから。
イロハは、少しだけ困ったように笑った気がした。
「でも。」
その一言で、胸が少しだけざわつく。
「傷ついていることくらいは分かるわ。」
そう言うイロハの声は、柔らかかった。吐息混じりのふわふわした声。
先程までの切羽詰まった叫びとは違う、リラックスした様子の声。
ーーなんで、そんなに。
気になってしまって、俺は、ようやく顔を上げた。
すると、それに連動するみたいに、涙まで溢れ出す。顔が見たいと思ったのに、感情が妨害してくる。
頬を水滴が滑っていく。が、そんなのを拭うのは、泣いていることを認めるようで癪だ。
「イロハ」
名前を呼んだ。
「なんでしょうか?」
返事は、ふざけた声のトーン。口調は出会ったばかりの頃を彷彿とさせる、敬語。
逆に、今の俺にそれはきつい。
いつも通りにされると、なんか、余計に泣きそうになる。
なんでいつも通りでいるんだろう。 何も変わらないんだろう。
「もう」
ふっ、と小さく笑うイロハの声。
その後、イロハの指が、俺の目元に触れた。
俺が拭わなかった代わりに、イロハが優しく、頬を撫でてくる。
その瞬間、ついにイロハの表情を見ることができた。それは、予想していなかった表情。
憐れむ訳じゃなく、笑う訳じゃなく、怒る訳でもなく、泣き崩れる訳じゃなく。
ただ、静かに。
「……なんで」
気づけば、そう呟いていた。
頬に水滴が流れて、落ちて、水面に波紋が出来上がっていく。
柔らかく、時にふ抜けたトーンで話す声とは裏腹に、彼女もまた涙を流していたのだ。
「あの、わたし」
泣いているとは思えないくらいに、清々しい声。
震えてもいないし、鼻を啜ったりすることもない。
ただ涙が勝手に流れているだけのように見える。
「あなたのこと知らないって言ったけれど、別に突き放したかったわけじゃないのよ」
イロハは少し視線を逸らした。
「知らないのなら、 これから知ればいいでしょう」
当たり前みたいに言う。涙ながら、かすかに微笑んでいる。
「あなたのことを、もっと。」
胸の奥が少しだけ痛んだ。心拍数が上がっていく。
どうして、そんなことを言ってくれるんだろう。
不思議すぎて、すん、と涙まで止まった。さっきのが嘘みたいに。
呆気にとられた俺に気づかず、イロハは語る。
「……わたしは、知らないから」
「あなたがどんな理由で、涙を流したのか分からない。」
はぁっ、と、大きく息を吸い、一旦語るのを中断。
でもすぐに、吐いて再開する。
「どんな気持ちか知らないから。」
イロハは、自身の髪を自分で弄びつつ、ゆっくりゆっくり語る。
「だから」
くるくると指に髪を巻きつけて、その後にぱっと指から離した。
すぐに、真っ直ぐな白髪に戻ると、それを合図とするように きっぱり言い放つ。
「これからは知りたい」
そして、少しだけ困ったように笑う。
「……たくさん、話してほしいの」
ーーおかしい。
おかしいのは俺かもしれないけど、言われてたことの無い言葉と、よく分からないこの感情。
ずっと分からないって言っているけど、本当に分からない。
どうして、そんなふうに言ってくれるんだ。
イロハは真っ直ぐ、俺を見つめている。
揺れることなく、しっかりと。
それなのに、返事ができなかった。喉から漏れたのは、「あ……」という情けない音だけ。
なんで、なんで?
どうして、何も……言えないんだ。
ここできっと、何か言わないといけないのに。
そんな俺を見て何を思ったのか、イロハは「あ」と小さく声を漏らした。
「もちろん」
慌てたように手を振る。
「今話せ、って言ってるわけじゃないのよ」
「……」
「だから、そんなに困った顔をしなくてもいいわ」
少しだけ、気まずそうに視線を逸らす。
「ほら、今のあなたに『さぁ話しなさい』なんて言ったら、ただの意地悪じゃない?」
ははっ、と小さく笑う。
「さすがにわたし、そこまで鬼じゃないもの」
ね?と、首を傾げるイロハ。
それは分かっている。イロハがそんな意地悪なんてしないことは。
それでも、口を開いたまま何も言えない。 何か返したいのに。脳が口を動かすようにしてくれない。
その空白を、イロハが埋めてくれる。
「話せるようになったらでいいの。待ってるわ。」
その時、俺は一瞬、呼吸を忘れた。
彼女の微笑みが、俺の目を奪う。
彼女は、何の曇りもない微笑みを浮かべた。その笑顔はあまりにも純粋で、美しかった。
瞳には涙を浮かべたまま。それでも口元に宿る笑みは、涙なんて関係なかった。
雪のように穢れを知らない、澄んだ微笑み。
こんな風に笑うイロハを、俺は知らない。
どうして、笑っていられるんだ?
俺に笑ってくれるんだ?
こんなに情けなくて、馬鹿で、弱い俺に。
話すっていったって、きっと迷惑だろうし。
でもきっと、そう言ったところで。
「そんなことない」 と返されるんだろう。
なんか、ほんと……。
掌に力が入る。爪が皮膚に食い込んで少しだけ痛む。
ーーあぁ、また。
目から涙が溢れそうになる。歯が割れそうなほどに食いしばって、寸前で抑え込む。
涙と共に漏れ出そうな口を、必死に閉じる。そのせいなんだろうか、喉まで痛くなっていく。
それでも、俺の意志とは関係なく。
勝手に視界が、またぼやけていく。
度数の合わない眼鏡をかけた時のように、ふわふわとした色しか見えない。
すぅ……と、涙が落ちていく。
一滴、また一滴。
涙が水面に着地すると、小さな波が立つ。
目を逸らす。イロハとは目は合わさない。
止まることなく流れる涙を、俺は袖で乱暴に拭った。
せめてもの抵抗で、口だけは閉じた。泣き叫ぶなんて耳障りなこと、迷惑なことをしたくない。
「レン?」
こちらと目を合わせようとするイロハに対して、俺は顔を覆い隠した。
見られたくなかった。
今だけは。
手が熱い涙で濡れる。ギリギリと歯ぎしりをする。
ーーなんでイロハは、いつもいつも、変なことばかり言ってくるんだろう。
お願いだから、涙、止まってくれよ!
頭の中で叫んだ瞬間だった。
背中に生あたたかい両手が置かれた。
そのまま、引き寄せられる。
「わ……」
それはあまりにも突然すぎた。俺は、イロハに抱きしめられている。
俺の肩に、イロハの顎が乗っかる。首筋に彼女の白い髪が触れる。どこか落ち着く香りがした。
逃げ場がないくらいに近い、でも嫌な気はしない。
イロハの匂い、体温。
ドックン、ドックンと、生きているイロハの心臓の音が、身体を通して伝わってくる。
「我慢しなくていいのよ」
そう小さく呟く。
背中を撫でる手が、ゆっくりと動いた。
「思いきり、泣けばいいの」
俺は、唾を飲み込んだ。そして、ゆっくりイロハの背中に手を回した。
その手は心配になるくらい震えていて、もう力も入らない。
それでも、俺はイロハの背中を撫でた。
「……ごめん」
ようやく出た一言は、それだけだった。
耳元から、イロハの呆れた小さな笑いが聞こえる。
「違うわよ〜」
間延びした声で言うイロハが、一体、俺に何を言わせようとしているのか、すぐに分かった。
嗚咽を抑え、イロハの背中を抱き締める。
それから、小さくこう言った。
「……ありがとう」
すると満足気にイロハは「よろしい」と笑った。
それが駄目だった。
もう、我慢なんてできなかった。
どうしよう。
このままお兄さんが元気になってしまったら、ヒナはママに会えなくなっちゃう。
でも、これ以上、能力を使うのも嫌だ。
このお兄さんを傷つけたら、なんだか、ヒナまでおかしくなっていく。
お兄さんのママは怖かった。おめめが怖かった。
すごく元気がなかった。お兄さんもそれが悲しそうだった。
ヒナも悲しかった。
あのお兄さんのママのおめめ、どこかで見たことがあった。怖くて、寂しい、暗い目。
ーーこんなことで、ママに会えるのかな。
今まで色んなことをしてきた。
「頑張ったら、ママに会えるよ」って、この組織の人は言うけれど、本当なのかな。
この変な能力を使ったら、役に立つって言われたけど、お兄さんは今、すごく泣いてる。
お姉さんに抱きついて、泣き叫んでる。
お姉さんまで、一緒に泣いてる。
これっていいのかな。優しくないんじゃないかな。
わからない、こんなの聞いてない。
ただ、さっきからずっと。
胸が、モヤモヤする。
第三十二の月夜「愛ほど無駄なものは無い」へ続く。
コメント
2件
更新お待ちしてました。 なんていうか……本当に良かった、という思いでいっぱいです。まだまだ戦いは続くと思いますが、二人には幸せになってほしいと願います。