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高井子爵は、亀松の酌を受け、ご満悦だった。
亀松も、自身の役目を果たそうと、必要以上に子爵へしなだれかかり、酌をしている。
賑やかに鳴り響く三味線が、段々と音を消して行く。
太鼓持ちも、動きが少なくなり、舞の終わりが見えてきた。
金原は、やや、緊張しながら、そろそろ、子爵へかまかけしてやるかと、杯を置く。
「……ところで、子爵」
すました顔で、金原が語りかけたとたんに、襖がすぱーんと、勢い良く開いた。
「やあー!!皆さん、お揃いで!高井子爵、おめでとうございまーす!」
現れたのは、ハリソンだった。
「なっ、お、お前!」
「ありゃー!こりゃ、奇遇!キヨシ!君もいたの?!」
君もいたのとは、また、白々しいと、金原は、ハリソンを睨み付ける。
「……ハリソン、お前こそ、何をしている……」
ここから立ち去れと、金原は言い聞かせたつもりだったが、ハリソンは、何食わぬ顔で、ペラペラ喋りはじめた。
「いやぁ!高井子爵、聞きましたよ!また、ご成婚、らしいですね?!」
ハリソンの、また、という言葉に、子爵は、一瞬、渋い顔をする。
「ハリソンじゃないか?君、どうして、こんなところに?」
子爵は、おもむろに、不機嫌そうに、ハリソンへ返した。
「ああ、商談ですよ。有馬男爵から、絵画の注文を受けましてね。マントルピースの上に飾りたいと。そうなりますとぉ、それなりの、大きさが必要ですし、久しぶりの大仕事かなあーと、思って、ご接待、何て事をしてたんですよ」
「有馬男爵の!」
子爵が、驚きの声をあげた。
華族社会、特に社交界で力を持つのが、有馬男爵だった。
当然、皆、男爵には逆らえない。そして、何事も、ご機嫌伺いを兼ねて報告するのが暗黙の了解になっていた。
「ええっと、とにかく、ご成婚がお決まりだそうで。そうだなぁ。私からも、記念の品として、何か絵画をお贈りしましょう」
いやいやいや、まいった、まいった、と、高井子爵は、ハリソンの地獄耳というべきものに苦笑う。
その隣で、金原は、唖然としていた。
ハリソンは、何がしたいのか。
当然、面白半分で、ここにやって来たに違いない。有馬男爵から、噂を聞いたと言い切っているが、それも、どうだか。成田屋で、大まかな話を二人して交わしているのだ。ハリソンは、情報屋として、こちらの動きを掴んだのだろう。
「なんと、ご成婚!」
金原には、そう言うしかなかった。
ハリソンの動きが読めなかったからだ。まさかとは思うが、なんらか、裏切り的に、邪魔立てするかもしれない。
情報屋とは、そうゆうもの。自分の利益に正直に動く。
内心、焦れている金原の耳を、亀松の嘆きがつんざいた。
「あれ!!なんで!!!子爵様、この亀松は?!あたしは、どうなりますの?!」
言って、袖を目に当て、よよよと、泣き崩れた。
「か、亀松?!」
驚いたのは、高井子爵で、どうしたことかと、崩れ混む亀松を、オロオロしながら、凝視した。
「……酷い。酷いじゃあ、ないですか。あれだけ、あたしに、お声をかけてくださって。なのに……他の女を、選ぶなんて、この亀松にも女の意地があります。決して、主様を離しはしませんよ!」
早速、太鼓持ちが、声をあげた。
「ありゃー!これは、とんだことに!亀松姐さんの想いは、何処へーー!」
袖の脇から、亀松は、茶化す太鼓持ちを睨み付け、さらに、派手に泣いて見せた。
「ああ、亀松、お前こそ、今の今まで、つれない態度だったろう……」
「そんな、そんな、女の方から、二つ返事で、お受けするなんて、はしたない事などできません。主様は、そんなことも……あたしの、誠の心を知らなかったとお言いですか?!」
あきらかに、芝居と分かる亀松の勢いも、高井子爵には、本心と写っているようで、困りきった素振りをするが、その顔はにやけきっていた。
そんな、馬鹿馬鹿しい会話を聞きながら、金原は、ちらりと、ハリソンを見た。
「あらま、なんだか分かりませんがね、子爵は、二股かけていたと?こりゃ、罪作りな男ですねぇ」
ありゃ、本当に、などと、太鼓持ちも、ハリソンの言葉に乗っかった。
「いやいや、待ちたまえ、結婚は、家同士が決めたこと。これは、どうしても、避けて通れない。だが、亀松のことは、私は、遊びなんかじゃないよ!」
さあさあ、機嫌を直しておくれなどと、子爵は、崩れる亀松を抱き寄せる。
「まあ、嬉しい!」
しっかりと、子爵へ抱きつく亀松が、子爵の背中越しに、金原へ目配せしてきた。
思わず、吹き出しそうになった、金原だったが、ハリソンのお陰で、手間が省けたと、ほっとした。
同時に、亀松の機転のよさに、驚きを越え、呆れ返ってもいた。
「じゃあ、子爵は、この芸者さんとも結婚なさるおつもりで?」
ハリソンが、不思議そうな顔をして、高井子爵へ尋ねる。
もちろん、金原は、また、吹き出しそうになっていた。
まったく、どいつもこいつも、と、思いつつ、本来の目的を持ち出した。
「……ハリソン、日本でも、正妻は一人だけだ。ただ、例外というものがあってな……」
「おや、どのような?」
ハリソンは、とぼけ通す。
「……主様。あたしは、芸者の身。決して贅沢は、申しません。日陰の身で、お側に置いてくださいませ」
「亀松!わかった!お前を、見受げするぞ!そして、結納の時に、お前も御披露目する!正妻にはできんが、日陰の身などには、しないと誓う!」
高井子爵は、亀松をしっかり、抱きしめ、高らかに言い切る。
と、同時に、亀松が、金原へ向かってニヤリと笑った。
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