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#シングルファザー
広い草原を風が撫でていく。太陽が雲の切れ間から顔を覗かせ、また隠れた。
目を閉じ草の香りを深く吸って、心地を落ち着ける。
いまから大人と会敵するまでは、覚悟を体に刻み付ける時間。
わたしはなかなかの怖がりだから。
だからこそ逃げない。いままでだってそうだった。
逃げれば得た全てを失う。それは死ぬよりもずっとずっと怖い。
自分に言い聞かせ、目を閉じたまま吸って吐いてを繰り返した。そのまましばらく待つ。次第に地面の揺れが大きくなる。強烈な気配が近くなってくる。
そしていよいよ大人の気配がわたしの感知できる範囲に触れ、目を開いた。
「ああ……」
近付いてくるのは山だ、と思った。
高さだけでなく、体を覆う緑の草木、肥え太った肉体。
空を仰ぐように見上げると、顔には目鼻の代わりにツノが生えていた。
図体に似合わない猫の耳のような愛らしいツノ。見覚えが確かな、あのツノ。
「やっぱり、亜鐘姉さまですね!」
わたしは大きな声で呼びかけてみる。
無貌の大人は歩みを止めた。そのとき、大人から穢悪の気配が薄れ、飛んできた鳥が肩の辺りについ居った。
「穢悪に、なったんですかーっ?」
問いかけても返事はない。当たり前だ。当たり前なんだけど、その当たり前だという事実がやるせなかった。やるせないから、考えない。あれは穢悪だ。晴明さまと都を狙う悪いやつ。
「……残念ですけど、ここには晴明さまはいません! いまの亜鐘姉さまにお渡しするわけにはいきませんから! どうしても狙うというなら!」
腹に力を込め、大声量を大人に浴びせる。
「わたしが相手ですっ! 恨んでください!」
言い切った瞬間。
大人に再び禍々しい気配が宿り、肩からは鳥立が見えた。
口はないのにどこから発声しているのか、大人は魔物の断末魔を思わせる叫び声を上げ、地を鳴らしながらわたしへ突進してくる。あの図体の全力疾走は、もうそれだけで迫力だ。
――いよいよ。
恐い恐い恐い恐い。恐くていますぐ逃げ出したい。
挑んだところで、どれだけときを稼げるか分からない。
だけどわたしを真っ当な人として扱い、愛し、そして居場所を与えてくれた晴明さまへ最後のご奉公。少しでも多くの時間を晴明さまに!
「こっちも行きますよ!」
わたしは逃げず、大人に向かって地面を蹴る。
あっちよりこっちが優れているのは小回りだけ。
身の回りを鬱陶しく飛び回る小虫のように、足が擦り切れるまで走り回って、かわして隠れて捨て身でまとわり付いてやる!
「ああああああ!」
全力で腕を振り大人に接近。
間合いにわたしを見た大人は腕を大きく振り上げ、鞭のように腕をしならせ拳を向けてきた。まるで地面に見付けた虫を叩き潰すように。
あっちにとっては、まずは挨拶代わりの一撃。
だけどこっちは一発もらっただけで命取りだ。
「ふっ!」
さらに足を速め、跳んで大人の股下に転がり込む。
大人はわたしを捉え切れず、その拳は後方の地面に振り下ろされた。
――瞬間。
落雷の如く耳を臈ずる爆発音が、背中から鳴り響く。
予想以上の大音響に屈んだまま振り向くと、大人の拳は地面にめり込み、もうもうと舞い上がる砂塵の中で池のような大穴をそこへ開けていた。辺りには地割れまで。
「ひえ~」
ゾッと戦慄が背中を駆け抜ける。だけど怖じない。跳ねるように立ち上がり、脱兎の如く前へと飛び出す。
そのまま大人のうしろへ回ると、踵から生える木々に手足を引っかけ、わたしは大人の体を上へ上へと登った。大人は見失った虫を探すように、自分の体のあちこちへと手を這わしていく。
こうしていると、人間に追われる虫の心地がよく分かるなぁ。
あの大きな手じゃ、払いのけられただけでも致命傷だ。
わたしの仕事はときを稼ぐこと。深追いはしない。
「ごめんなさいっ」
膝裏辺りまで駆け上がると生えていた木を折り、手近なそこへ突き刺した。大人は土で形を結んでいてことの外に脆く、木は深々と体の中へとめり込んでいく。――と、いっても大人の大きさからすると、蚊に刺されたも同じだろう。
早く退いて次の一手を……。
考えながら飛び降りようとすると、わたしの体を陰が覆った。
ハッと視線を飛ばすと、眼前に大人の巨大な手。
「ちょっ……!」
よけようと体を捻るけど、もう遅い。
はたき落とすような大人の手が体をかすめる。
ほんの少し。でも経験のない力でわたしは吹き飛ばされ、回転しながら地面に叩き付けられた。
「~~~~~~~~!」
水面に跳ねる平石のように地に何度も弾んで視界が回り、臓腑が引っくり返るような激痛が体内で暴れる。口には血の味が濃く広がった。わたしは衝撃で息もできず、声にならない悲鳴を上げて地面をのたうち回る。とてもすぐには立ち上がれない。
――速く大人の死角へ逃げないと……。
分かってはいた。だけど体が思う通りに動かない。
死の恐怖が背を舐めた。
同時に大人の指がわたしをつまむ。
早くも、ここまで……?
もうちょっとは、粘りたかった。
岩のようにごつごつとした大きな指。草と土が香るここへ、大人がほんの少し力を加えると、すぐにこの体は潰れ絶命するだろう。
さようなら。目をつぶり、色んなものにそう告げる。
だけど……。
いつまで待っても、圧迫する力は体に訪れなかった。
それどころか大人は優しくわたしを手の平に載せると、片膝をついて愛でるようにそっと……、そう、亜鐘姉さまが庭の草花をそうしていたように、ゆっくりとわたしを地面へと下ろした。
「にげて」
わたしの体が平らげるように少し間を置いて、大人はそう言った。
掠れて籠るようだけど、亜鐘姉さまの声だった。
「亜鐘、姉さま……?」
「このからだ、もうわたしがおもうままにならない」
大人の言葉に、わたしは膝をついた。
時間を置かれた……、いや、置いてもらえたので、息使いは徐々に整って体はなんとか動けるようにはなっていた。けど、夢から覚めた感覚がまた四肢から力を奪った。
ああ、亜鐘姉さま。亜鐘姉さまだ。
一緒に市へ行った。読み書きを教えてくれた。穢悪を調伏した。
声によって頭には亜鐘姉さまとの思い出が堰を切ったように蘇り、底知れない悲しみが心の奥深い場所を暗く染めた。考えないようにしていたのに……。
「わたしがわるかったの。もしこのえおからあなたがにげられたら、せいめいさまにわたしをころすようにたのんで」
「――元には、戻れないんですか……?」
「わたしはもうしんでるの」
大人は悲しげな気配を漂わせると、
「ごめんね。このえおのえんぱくは……」
ここまで口にして、声は止む。
代わりに大人はまたどこからか咆哮を放ち、苦しげに自分のツノを押さえた。片膝をついたままで叫びは次第に大きく獰猛になり、辺りの空気を激しく震わせる。
――間合いを取らないと。
頭では危険を解していた。あの大人の『亜鐘姉さまの時間』は、たぶんもう終わりだ。きっとすぐに襲ってくる。
だけど体が動かなかった。体が痛むから? 違う。
もちろん痛みも怖さもあったけど、悲しみと自責の念で、自分が眩暈の沼に落ちていくようだった。大人を変わり果てた亜鐘姉さまと意識した動転もあったと思う。なにより責任の一端が自分にあると思うと、それらの後悔は激しく心を焼いた。
わたしは両膝をついたまま、しばらく涙を流していた。
そうしている間に、やがて呻いていた大人は落ち付きを取り戻す。
地鳴りと共に、山のような体を立ち上げた。
ここでわたしを殺せば、亜鐘姉さまもいくらか気が晴れるかもしれない。
馬鹿な考えだ。なすべき役目があるのに。
いつもならそう思えただろう。
だけどせめぎ合う様々な感情は、火に炙られた蝋燭のように、わたしの冷静さを溶かしていた。手足は蒼白になった心に応じようとはしなかった。
ふと見上げると、穢悪の足の裏が真上に見えた。
わたしを蟻みたいに踏み潰すつもりだ。
感情が伴わないまま、この目でそれを見上げていた。
これで死んだら、みんなどう思うだろう。
スケは怒るだろうな。霞姉さまはわたしを嫌っていたから、いつも通りかも。陸燈姉さまは想像が付かないな。命恋姉さまは悲しんでくれるかなあ。晴明さまは……。
そうだ、晴明さま……!
晴明さま!
ダメだ。まだ死ねない。
記憶に刻まれたうしろ姿が蘇り、稲妻が閃くように意識が頭に戻ってくる。
だけど、……全ては遅過ぎた。
眼前に迫る大人の足は巨大だ。立ち上がって飛び退く暇なんて……。
「馬鹿野郎!」
諦めかけたとき、耳から耳へ突き抜ける鋭い叱責。
と、同時に目の前に広がる裾野が一気に崩壊し、まるで沼のぬかるみのように姿を変えた。足場が抜けたようになった大人は重心を失い、地震を思わせるほど地面を揺らして尻もちをつく。
「これ……」
「ボサッとしてるやつがあるかよ! こっちだ!」
へたり込んだままのわたしの腕を、誰かが引く。
誰か? そんなの、分かり切っている。
「スケ……」
振り返ると、思った通りの顔がそこにはあった。
表情はやっぱり怒っている。怒っているけど、昔からいつも見ていた友達が、もう会えないかもと思ったその表情が、いま自分に向けられている。
こんなときなのに、わたしは嬉しかった。
「来て、くれたの……」
「……あんときは、逃げちまったからな」
彼女はぐいと引っぱり、膝をついたままのこの体を無理やり立たせた。
目元を拭いスケを小突く。彼女は白い歯を見せ、わたしの背を叩いた。
「で、なんでカミが一人なんだ? 愛しの晴明さまはどこだよ」
「姉さまたちを呼びに行ってる。時間を稼ぐ役目を、わたしが買って出て……」
「そんなとこだと思ったよ。目ぇ離したら貧乏クジばっかり引きやがる。ボロボロじゃねえか、全く」
「……ちゃんと側で見ててよ」
「見に来たじゃねえか」
「助かった」
「そいつはまだ分かんねえ」
スケは表情を引き締め、前を向く。大人はスケのつくったぬかるみから立ち上がろうと、手を地面についていたけど……。
「ふっ!」
スケは目を血走らせて、自分の手を地面に置いた。
その刹那。
大人が体重をかけていた片手の辺りがまたもぬかるみと化し、ズブズブズブッと吸い込まれるように太い腕が地面の中に落ちていく。まるで巧妙に隠された落とし穴に気付かなかったように。
「すっごい、スケ。泥が前より広いし深い!」
「力が戻ってきてからな。それでも、もういっぱいいっぱいだ」
スケは地に付く手に再び呪を込める。
すると泥にぬかるんでいた地面は一気に乾燥して固まり、大人の足と手を地の中へ取り込んだ。わたしは称えるように手を叩くけど……。
だけど見るとスケの顔色が悪くなっている。息も少し荒い。魚の穢悪を相手にした、あのあとのわたしに似ている。
「スケ……」
「あいつの手足が地面にある間に、少し距離を取ろう。俺もお前も休み……」
スケの言葉の途中。
谷底に吹く風音のような唸りが穢悪から聞こえた。
地面が細かく震える。まさかと思った直後。大人が地を持ち上げるように、力技でその腕を引き抜いた。とても強引に、固まった地面を抉り取って。
「ウソだろ……」
スケは呆れたように大人を見上げ、がくりと膝をついた。
そして目の当たりにした現実を疑う思いは、わたしも同じだ。
大人は引き抜いた勢いで腕を振り上げ、きっと拳をこちらに振り下ろす。短い付き合いだけど、なんとなく分かる。
――逃げないと。
土の塊が雨のように降り注ぐ中で、わたしは思う。
でも痛む体で弱ったスケを抱えてどうやって?
頭の中で方法を探す。せめて髪が伸びれば……!
失った力を想い、悔やみを込めて大人の振り上げた拳を睨み付ける。
するといきなりの、違和感。異変。
大人の体表がざわめいている? と。
刹那でそれに気付き、直後。
パン! と、いきなり厚みのある破裂音を立て、大人に生える木々が爆発的に成長した。まるで空から稲光が伸びるように、瞬きほどの一瞬で。ほんの小さな木が長い時間を生きた如くの真木に何本も。
大人は体中に……、振り上げた腕も、肥えた体も、太い足も全てが雁字搦めに木々に絡められ、動きを封じられたような有様だ。呻きは手負いの獣を思わせ、必死にもがいているけど、これは誰の……。
「まだ甘い!」
問うように大人を見上げていると、その足や腕が濡れたように輝き出す。
濡れた? 違う、凍っている。凍み付けてさらに動きを抑え込んでいるんだ。大人はもう抵抗の身動きも封じられた。見覚えのあるあの呪……!
「夜火!」
まさか。と思った。けど、見間違いじゃない。
大人の陰から走ってくる白の小袖に緋袴。矛みたいなツノ……!
「霞姉さま……」
「心配かけないで!」
わたしが反応に困っていると、霞姉さまは大きく跳躍して飛び込むように抱き付いてきた。息が止まるほど、強く強く。いつも勝気な霞姉さまが……。
「泣いて、るんですか?」
「そうよっ! いきなり消えるからっ! どんだけ心配させんのよ、あんたは、いつも!」
「驚きました。……嫌われてると、思ってたから」
「嫌うわけない! あんたはね、私の……」
霞姉さまは鼻をすすり上げた。そして再びわたしを強く抱き締める。
「死んだ弟にそっくりなのよぉ……」
「妹じゃなくて?」
ちょっと納得できなかったけど、わたしも霞姉さまの腰に手を当て、きゅっと力を入れた。嫌われていると思っていたから、照れ臭いけど。
「夜火を死なせたくなかった。だから早く隠岐に送りたかったの。なのに、こんなときに戻ってきて……」
「そりゃそうですよ。だってわたし」
抱き合う霞姉さまと少し顔を離し、笑ってみた。
「坤鬼舎の鬼女ですから」
「馬鹿」
霞姉さまは、わたしの腰に回した手にまた力を入れた。こんなときなのに、心の中の霧が晴れていくようだ。霞姉さまは、わたしが一方的に好きなだけだと思っていたから……。
「取り込んでるとこ悪いけど」
ここでスケがヨロヨロと、わたしの服を掴んで立ち上がる。
「あれもカミの仲間か?」
「あれ?」
わたしは霞姉さまの頭越しに、スケの視線を追った。
そしてすぐにその『あれ』を発見。スケが見ていたのは、背丈がわたしの倍ほどあろうかという土偶人。動きを封じた大人を前に、思いっきり振りかぶって……。
「そーれ!」
と、側にいた陸燈姉さまの合図と共に、唸る拳を大人の足へと叩きこむ。
グシャッとなにかが潰れる音が鳴って土くれが飛び散り、大人の足が削れた。
土偶人はすぐに逆へ腰を回すと、もう片方の拳でまた大人の足を削る。そしてまた逆、また逆。大人の足は僅かずつだけど確実に、穴を掘られるように削れていく。
さすが陸燈姉さまの呪と思わせる凄まじい力感だ。大人は苦しげに呻く。
「図体が大きくなれば、角にぶつけた小指も痛むもんさ」
陸燈姉さまは連撃を続ける土偶人の背を軽く叩いて労い、こちらを向いてその美しい瞳を細めた。まるでなにかを慈しむように。
「よくやったねえ、夜火と……」
「……あの、あの、こいつはスケです。ずっとわたしの友達だった……」
「聞いた覚えあるよ、晴明さまが取り逃がした鬼女」
土偶人に背を預け、警戒する目を向けるスケを横目に、陸燈姉さまはゆっくりとした足をこちらに向けた。
「二人ともあとは任せてお休み。あんたらの覚悟は、無駄にしないから」
「はい……」
わたしは陸燈姉さまの言葉で力が抜けて、へなへなとその場に崩れた。硬く張っていた気が緩み、体が地面にどろりと溶けてしまいそうだった。スケの助けを借りながらも、なんとか責任を果たせた喜びがあった。
けど……。
「でも、あの穢悪を縛っている木は? 誰の呪ですか?」
「女童の呪だそうだ」
疑問に答えたのは、土偶人に削られ土飛沫を飛ばす大人のうしろから。その姿を目にした大人は、呻きをいっそう大きくした。
「晴明さま……」
「生きていてくれたな。あのときの鬼女も一緒か」
晴明さまは下馬し、側にいたモリに紫雲を預けた。
「晴明さまっ!」
体の痛みも忘れて駆け出して、わたしは勢いそのまま彼に飛び付いた。
泣くつもりなんてなかったけど。甘えるつもりなんてなかったけど。
でもどうしても喉元にせり上がってくるものを止められない。生きて会えたらお役目果たしましたって威張ってやろうと思っていたのに。
「辛い役目を負わせたな。すまなかった」
「いいんです。また会えたから」
「あの子のお陰だ。陸燈と霞だけでは難しかっただろうね」
「あの子?」
腕を解いて顔を上げ、晴明さまの視線を追う。そこにいたのは、モリが胸に抱えて寝息を立てる女童。
でも、見覚えがある。スケも「あ」と、驚きを示していた。
わたしにそっくりなあのツノは……。
「悲田院の……」
「来る途中で出会った。夜火にえらく世話になったらしい。恩返しがしたいと駆け付けて来たそうだ」
「で、この子があの木を?」
尋ねると晴明さまは首肯した。
「呪の消耗が大きくて、使うと疲れて眠るようだけどね、恐ろしい呪だよ。木の生える場所でしか使えないが……」
晴明さまは大人に巻き付きそびえる大木を見上げた。
家一軒分はある太さの木が何本も複雑に絡み合っていて、確かに凄い。使う場所によっては陸燈姉さまを凌ぐ呪になるかも……。
「しかし、やはり夜火だな」
晴明さまはわたしに目を戻して言った。
「お前だからこそ、そこの鬼女もこの女童もここに集まった。情によって導かれた縁が、こうして誰もを救っている。人を憎んでいては難しいだろうね。やはりお前は夜に灯る火だ」
「――もったいないお言葉です」
腫らした目を見られるのが恥ずかしく、少し俯く。
晴明さまの言葉で、これまでの全てが報われた気がした。
夜に灯る火。勢いで『あなたの行く道を照らします』なんて言っちゃったっけ。でもそんな大それたものに、自分が相応しいとは思えないなあ。だって悪さをたくさんした賊上がりの鬼女だ。
けど、もしも、もしもわたしが誰かを導けるのなら……。
「晴明さま」
わたしは晴明さまの前に片膝をついた。
その様子を、スケも陸燈姉さまも霞姉さまも、じっと見ていた。わたしは息を呑んでから、感情が混じらないように注意して声を上げた。
「遅ればせながらご注進申し上げます。先ほどわたしが足止めで戦った折、大人は知性を戻した時間があり話ができました。……あの大人は、亜鐘姉さまその人です」
「……そんな気は、していた」
「晴明さまに殺して欲しいと、言付かっています」
わたしが導けるのなら。
せめて亜鐘姉さまを、安らかに送ってあげたい。表情を沈ませる陸燈姉さまや霞姉さまと一緒に。優しくて利発で情の厚い、ちょっと踏み外した道が大それてしまったあの人を。
「――引き受けた」
晴明さまは強くしっかりとした声で返事をして、
「亜鐘」
と、大人の方を向いた。
「お前の苦患に気付けなかった。責は私にある」
彼は口にすると、太刀を抜く。心なしか大人の呻きが悲しげに聞こえた。
「亜鐘と過ごせた日々は、私にとって宝だ。こうなったいまでも怒りや憎しみはない。お前を塗炭の苦しみから解き放ち、坤鬼舎で弔おう。想いは私の胸に生涯刻む。――陸燈、霞」
呼びかけに、二人の姉さまは晴明さまの背後に回って応じる。
「いくぞ。怨魄を探す」
『御意!』
晴明さまが号令を下すと、三人は疾風の如く大人に襲いかかった。
霞姉さまは大人の足元で氷を増やし、大人をよりきつく固める。
陸燈姉さまはもう一体の土偶人を地面から形作り、晴明さまと共にその背にまたがると、大人に絡まる木を伝い上へ上へと登っていった。
そう言えば、前に晴明さまが仰っていた。
生物を模した穢悪の場合、胸の辺りに怨魄がある場合が多いと。きっとこの大人もその辺りに目星を付けて探すつもりだ。
勝負は大人が絡み付く木々を千切ってしまうまでに付けないと。
だけどあの巨体の中では容易く見付からないと思うし……。
「行っちゃーダメ」
わたしも、と、思っていたら、うしろから小袖をグイと引っぱられた。
驚いて振り返ると、屈み込みわたしとスケに手を当てていたのは命恋姉さま。労わりの呪が、体を溶かすような温かさで染み込んでくる。
「命恋姉さま……」
「話は、あと」
「…………はい」
「でも」
彼女は普段通りに、緩い笑みを浮かべた。
「また夜火に会えて嬉しい。それだけ」
「わたしだって……。わたしの方が……」
言いたい言葉を呑み込むと、いたずらっ子のように命恋姉さまは笑う。
あまりにもいつものその仕草。わたしは飛び付きたい衝動に激しく駆られたけど、終わってから……。終わらせてからだと我慢。我慢した。
「おおっ。すげえ」
うずうずしていると、同じくスケが癒しの呪に驚きの声を上げる。見ると彼女の表情には当惑と驚きが混じり、不思議なものを見るように自分の両手をしげしげと見つめている。
「力……。夜火たちは呪って言ってるやつ? は戻らないけど、元気は元に戻った感じする。これ、あんたの力なのか?」
「そうよ。あなた、夜火から聞いてたわ。子供のときからの友達なんだって」
「――うん、まあ」
スケは照れて頬をかくけど、命恋姉さまは遠慮しない。スケを覗き込み、涙が浮かぶその顔で笑みを浮かべる。
「亜鐘を、よろしくね。わたしは戦えないから」
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