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#戦乙女
「スピリタス?」
カシスは眉をひそめた。
報告を持ってきた伝令を見つめる。
「誰だ、それは」
「ライナー王配下の将でございます」
「ライナー王の?」
思わず鼻で笑った。
「聞いたこともないな」
天幕の中にいた将校たちも顔を見合わせる。
王都では多少名が知られているのかもしれない。
だが少なくとも戦場では無名だった。
カシスは卓上の地図へ目を落とす。
「ジュリアスならともかく」
「ライナーなど所詮は若造だ」
指先で王都を軽く叩いた。
「あの男はジュリアスの威光を借りていただけだ」
「後ろ盾を失った今、何ほどのものでもあるまい」
周囲の将校たちも頷く。
ライナーは王であって軍人ではない。
少なくとも彼らはそう考えていた。
「むしろ問題はアントンだ」
その名が出ると空気が変わった。
誰もが顔を引き締める。
ジュリアス亡き今、
王国最強の猛将と呼ばれる男。
幾度も戦場を共にした相手だった。
カシスは不機嫌そうに舌打ちした。
「だから一緒に殺しておけばよかったものを」
誰に向けた言葉かは明らかだった。
「ブルートゥースが」
天幕の中に苦笑が広がる。
暗殺の日。
アントンも始末するべきだった。
そう主張したのはカシスだった。
だがブルートゥースは反対した。
結果として、
その判断が今の戦争を招いている。
「まあいい」
カシスは椅子から立ち上がった。
地図の一点を指差す。
そこは街道と河川が交わる要衝だった。
「本軍が到着するまで奴らを防げばいい」
ブルートゥース軍主力が合流すれば、
兵力差はこちらに傾く。
焦る必要はない。
「敵兵力は?」
「一万二千ほどかと」
「こちらは一万八千」
カシスは満足そうに頷く。
数では勝っている。
地形も悪くない。
補給も十分。
負ける理由が見当たらない。
「なら決まりだ」
剣を腰に差しながら笑う。
「王の寵臣というそのスピリタスという男に教えてやろう」
「戦争とは何かをな」
将校たちも笑った。
誰も疑っていない。
迫り来るスピリタス軍は、
ブルートゥース本軍到着までの時間稼ぎの相手。
その程度の存在だった。
少なくとも――
この時のカシスはそう信じていた。
「さあ、いきますか」
スピリタスは馬上から戦場を見渡した。
正面にはカシス軍。
兵数ではこちらが劣る。
だが彼の表情に焦りはない。
「本陣はこちらに」
丘の上を指差す。
「左翼はジョージ・パーカー」
「はっ」
兄ジョージが頭を下げた。
「右翼はチャールズ・パーカー」
「了解」
弟も短く答える。
「中央は私が率います」
命令はそれだけだった。
軍勢はゆっくりと前進を開始する。
そして――
敵から見れば妙な陣形になった。
右翼の部隊が南側の湿地へ向かっている。
隊列も乱れているように見える。
まるで戦場を知らぬ新兵の集団だった。
その様子を遠くから眺めていたカシスは目を細めた。
「なんじゃあれは」
隣の将校も首を傾げる。
「敵右翼が湿地へ入っております」
「自ら足場の悪い場所へ?」
「そのようです」
しばし沈黙。
やがてカシスは大きくため息をついた。
そして――
笑った。
「ははは」
「素人同然ではないか」
将校たちもつられて笑う。
「ブルートゥースについて正解だったな」
カシスは肩を揺らした。
「こんな奴らについていたら」
「いくら命があっても足らんだろうな」
敵軍を見渡す。
本陣は前へ出すぎている。
左右の連携も悪い。
右翼は湿地へ。
左翼は孤立。
中央は薄い。
どこから見ても欠陥だらけだった。
「将軍」
「いかがなさいますか」
カシスの目が鋭くなる。
先ほどまでの笑みが消えた。
「作戦変更だ」
「は?」
「本陣を急襲する」
将校たちが息を呑む。
「敵中央を突破するのですか」
「あんな素人陣」
カシスは剣を抜いた。
陽光を受けて刃が輝く。
「一撃で粉砕できるぞ」
そして剣先を前へ突き出した。
「全軍前進!」
「敵本陣を討つ!」
伝令たちが駆け出す。
ラッパが鳴る。
旗が振られる。
数千の兵が一斉に動き始めた。
土煙が舞い上がる。
その様子を丘の上から見ていたスピリタスは、
静かに口元を緩めた。
「食いつきましたね」
隣のジョージが苦笑する。
「見事なくらいに」
スピリタスは頷いた。
「名将ほど、自分の目を信じます」
「そして、自分の判断を疑わない」
迫り来るカシス軍。
だがスピリタスの視線は、
敵軍ではなくその後方に向けられていた。
まるで最初から、
そこへ誘導するつもりだったかのように。
コメント
1件
うわあ、第9話、すごく痺れました……!カシスが「素人同然」と笑ったあの陣形、全部スピリタスの誘導だったんですね。右翼を湿地に、中央を薄く見せて、本陣ごと囮にする発想が鮮やかすぎる。「名将ほど自分の目を信じる、だから見たいものしか見えなくなる」——この台詞、胸に刺さりました。心理を読んだ上での布石、一文一文に緊張感があって、ページをめくる手が止まらなかったです。次が待ち遠しいです🌷