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#戦乙女
「つづけえ!」
カシスは剣を振り上げた。
騎兵が地を揺らし、歩兵が鬨の声を上げる。
敵の右翼は脆かった。
湿地を越えて進んできた部隊など、訓練不足の寄せ集めにしか見えない。
槍衾を押し潰し、
盾列を踏み砕き、
反乱軍は一直線に敵本陣へ突き進んだ。
「見ろ!」
副官が叫ぶ。
「敵が崩れています!」
「当然だ」
カシスは笑った。
「素人に戦などできるものか」
前方には豪華な旗が見える。
スピリタスの軍旗だ。
あれを倒せば終わる。
そう確信していた。
やがて本陣へ突入する。
護衛兵たちは散り散りになり、
天幕は切り裂かれ、
軍旗は倒された。
しかし――
「……いない?」
カシスは眉をひそめた。
本陣にいるはずの男がいない。
机もない。
地図もない。
軍旗すらない。
その瞬間。
背筋に冷たいものが走った。
「将軍?」
副官が不思議そうに振り返る。
カシスはゆっくり呟いた。
「……退くぞ」
「え?」
「今すぐだ」
「これは本陣ではない」
「罠だ」
その時だった。
遠くから土煙が見えた。
一騎の伝令が全速力で駆けてくる。
顔面蒼白だった。
「た、大変です!」
「何事だ!」
「こちらに向かっていた本軍が……」
「が……何だ?」
カシスの表情が凍りつく。
「アントンの軍に敗れたとのこと!」
「ありえん!」
怒鳴った。
ブルートゥースの軍勢は敵軍より多い。
相手はアントン軍だとしても、そう簡単に敗れるはずがない。
「間違いではないのか!」
「いえ!」
伝令は震えながら後方を指差した。
カシスは振り返る。
遠くの地平線。
そこには無数の土煙が上がっていた。
味方が逃げているようにも見える。
敵が迫っているようにも見える。
距離が遠すぎて判別できない。
だが一つだけ分かっていることがある
今この場の自軍は混乱している
そして――
スピリタスがどこにもいない。
「……」
「今一度、確かめる」
「砦に戻る」
カシスの背筋を冷たい汗が流れた。
まるで。
最初から自分だけが、
見えない罠の中を走らされていたようだった。
スピリタスは高台から戦場を見下ろしていた。
風が軍旗を揺らす。
その視線の先では、カシス軍が本陣へ雪崩れ込んでいる。
副官が焦った声を上げた。
「よろしいのですか!」
「本陣が突破されました!」
スピリタスは静かに頷く。
「構わん」
その視線は左翼へ向いていた。
「ジョージ」
伝令が駆け出す。
やがて左翼に展開していたジョージ・パーカー軍が動き始めた。
前進ではない。
後退でもない。
大きく円を描くように戦場の外縁を回り込む。
そして――
反転。
騎兵部隊が一斉に駆け出した。
目指す先はカシス軍の背後だった。
土煙が立ち上る。
大地が震える。
「突撃!」
ジョージの号令が響く。
騎兵たちは槍を構え、敵の退路へ殺到した。
その頃。
カシスは異変に気づいていた。
「敵はどこだ」
本陣は空だった。
スピリタスはいない。
旗もない。
指揮所らしいものすらない。
嫌な予感が胸をよぎる。
「将軍!」
副官が叫んだ。
「後方です!」
振り返る。
土煙。
無数の騎兵。
自軍の背後へ迫っている。
カシスの顔色が変わった。
「反転だ!」
「全軍反転!」
「陣へ戻れ!」
兵士たちが慌てて向きを変える。
だが――
次の瞬間。
別の悲鳴が上がった。
「敵歩兵!」
「丘に敵がいます!」
前方。
いや、今や後方となった方向。
そこには盾を並べた歩兵たちが現れていた。
ゆっくりと丘を登ってくる。
まるで待ち構えていたかのように。
「ばかな……」
カシスは息を呑んだ。
前に歩兵。
背後に騎兵。
ならば湿地へ抜けるしかない。
「左へ!」
「湿地へ向かえ!」
兵たちが殺到する。
しかし。
湿地の葦が揺れた。
次の瞬間。
無数の矢が空を覆う。
ヒュウウウッ――
黒い雨だった。
「ぎゃあああ!」
「弓兵だ!」
「伏せろ!」
矢が盾を貫き、人を倒す。
湿地帯から砦に進んでいたチャールズ・パーカー隊だった。
逃げ道はない。
前には歩兵。
後ろには騎兵。
横には弓兵。
カシスはようやく理解した。
スピリタスは最初から本陣を囮にしていたのだ。
敵本陣を落としたと思った瞬間、
自分たちこそが袋の中へ入り込んでいた。
「ばかな……」
震える声が漏れる。
「こんなことが……」
遠くの高台。
そこに一人の男の姿が見えた。
風に軍服をなびかせながら、
静かに戦場を見下ろしている。
スピリタスだった。
その表情は驚くほど穏やかだった。
「名将ほど、自分の目を信じる」
スピリタスは静かに呟いた。
「だからこそ、見たいものしか見えなくなる」
コメント
1件
カシスが「勝った」と思った瞬間に全てが裏返る——あの絶妙なタイミングとスピリタスの落ち着き、本当にゾクゾクしました。「見たいものしか見えなくなる」という台詞、戦略ものの魅力が凝縮されてますね。次の一手が気になりすぎます🔥