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第1話:物置の光
祖父が亡くなって半年が経った。
誰も住まなくなった家は静かすぎて、土の匂いだけが強く残っていた。
玄関の鍵を開けると、乾いた木のきしみが足元から返ってくる。
母に言われた通り、今日は物置の整理をしに来た。
廊下の突き当たりにある小さな木戸を開けると、細かい埃が宙に舞った。
湿った畳、積まれた新聞紙、何かのパーツが入った木箱。その奥に、古びた布でくるまれたものがあった。
そっと布をめくると、手のひらより少し大きい、革のような表紙の本が現れた。
角は丸く削れていて、ページは少し波打っている。けれど、表紙には何も書かれていなかった。
そのとき、ちょうど西陽が小さな窓から差し込んできて、本の表面にあたった。
反射した光がふっと揺れて、一枚めくったページにだけ、文字が浮かび上がっていた。
そこには、大きく——**「わ」**の一文字だけがあった。
思わず、口の中でつぶやく。「……“わ”? なにこれ?」
もう一度めくっても、他のページは日で焼けていた。インクのにじみも、跡もない。
けれど、その一文字だけは、まるで今書かれたかのように鮮やかで、ぬくもりが残っているようだった。
*
その夜、家に戻ってからも、私はあの「わ」が頭から離れなかった。
本を持ち帰ったわけではない。けれど、あの文字だけが、まるで瞼の裏に焼きついたようだった。
翌日も、私は祖父の家に向かった。
物置は昨日と変わらない匂いがしていた。窓から差す西陽の角度も、変わらなかった。
例の本を開いてみる。
昨日のページの隣、次のページに——**「た」**という文字が現れていた。
「……“わた”?」
たった一日で、ページにもう一文字増えている。誰かが書いた? いつ? なにのために?
私はその本を、両手でそっと抱えてみた。
少し重たかった。
そして、なんとなく。
どこかで、だれかに見られているような気がした。
*
鏡のように反射する窓の向こう、うっすらと祖父の姿が浮かんだ気がして、私はすぐに顔をそらした。
——祖父は、痩せ型で白髪まじりの髪。
よく作業着のまま庭に出ていた。口数は少ないけれど、私の髪を乾かすときだけ、やさしくタオルを巻いてくれた。
その姿が、ふと、あの物置の西陽と重なるように思えた。