驚いた顔をしている良に向かって栄子は言った。
「良っ! 寒いのに上着も着ないで風邪ひくよー」
栄子は良の傍まで行くと持っていたコートを良の肩に掛けてやる。
自分のコートを栄子が持っていたので良はかなり驚いている様子だった。
しかしあまりの寒さに我慢出来なかったのかすぐにコートを着た。
その間に栄子は隣のブランコに腰を下ろす。
「うわぁ夜景綺麗! 昔と全然変わってないねー」
「…………」
「あの頃もこの並びで座ったね。いつも良が右側で私が左」
「…………」
「ここでよく喧嘩もしたなー。なんか懐かしい! ねぇ、良、覚えてる?」
「…………覚えてるよ」
良はぽつりと呟く。
「あの頃はさぁ、いつもお互いに遠慮なく言いたい放題だったからさぁ、結構派手な喧嘩になってたよねー。私達、結局何回くらい喧嘩したかなぁ? 多分2桁じゃすまないよね?」
「どうかな?」
「ねぇ良……どうしたの? 急にいなくなったからみんな心配してるよ。彼女には連絡入れたの? もうすぐ十時だよ、連絡してないならしときなよ」
「……いや…いい……」
「何で? ご飯作って待ってるんじゃないの? 心配してたら可哀想じゃん」
「いいんだ。彼女とはもう結婚しないから……」
その言葉に栄子は驚く。
「え? どうして?」
「全部バレた。借金の事も……楓の事も……。だから婚約は破棄された。会社もクビになった」
「…………」
予想もしていなかった答えが返ってきたので栄子は言葉を失う。
「笑えよ! お前の言った通りになったんだ。俺の事を思いっきり笑えよっ」
そこで良は両手で目を覆うと急に泣き始めた。
いきなり泣き出した良を見て栄子は驚く。良が泣いている姿を見たのは今日が初めてだった。
その切ない泣き声を聞き、栄子の胸は激しくギュッと痛んだ。
「ハハッ、俺みたいなクズには無理だったんだな。あの世界には最初から俺の居場所なんかなかったんだ……」
泣きながら良は言った。
「なに弱気な事言ってんのよっ! 居場所なんてね、自分で作るものよ! 周りに決められるものなんかじゃないわ」
「いや……周りが決めるのさ……ううん、もう既に決まってるんだな……俺はその事にやっと気付いたよ。この世には俺達みたいな施設上がりの人間が入ってはいけない世界があるってな……それにもっと早く気付いていれば……」
「そんな事……」
栄子はどう慰めていいのかわからずに口ごもる。
その横で良は泣き続ける。
「一つ聞いてもいい? 良は何でそんなに上の世界へ行きたかったの? 何で行こうと思ったの?」
「うっ…….っっ」
良は嗚咽を漏らすだけで何も答えない。
そんな良に栄子は続ける。
「私思うんだけどさ……あの頃の良はよくここで言ってたよね? 俺は医者になったら医者不足の僻地や海外に行って沢山の人達を救いたいって。それなのになぜこんな風になっちゃったの?」
「…………ずっとそう思ってたさ。就職して金を貯めたら医学部に入り直そうって。でもいざ会社に入ったら、上司や同僚達との付き合いに追われて勉強する時間なんて持てなかった。それに周りの奴らは楽して親のコネで入ったくせに適当に手を抜いて遊んでばかりだ。そんなのを見てたら自分だけ努力をするのがなんだか馬鹿らしくなって別の野心が生まれたんだ。のうのうと生きている奴らを追い抜いて一番に出世してやろうってな。そんな時に専務の娘に気に入られたんだ。彼女と結婚すれば出世も出来るし会社での将来も安泰だ。おまけに上流社会にも簡単に入り込める。そうなればもう二度と馬鹿にされる事もないって思ったんだよ」
「馬鹿にされるって……一体誰があんたを馬鹿にしたのよ?」
「高校時代の同級生だよ。中高一貫の進学校でクラスのほとんどが医学部に進学する奴ばかりだ。それなのに俺は親がいなくなった上に叔父にまで騙されて、金もないのに医学部に6年も通えるか? 授業料の安い国立の医学部に行けたとしてもそれなりに金はかかるから、俺は夢を諦めたんだ。あの時の俺のみじめさがお前にわかるか? 受験が終わると合格した大学が校内に張り出されてさ、友人全員が医学部合格で俺だけが違うんだぞ? 卒業後の同窓会に行っても俺以外は全員医者なんだ。奴らは医者以外は人間じゃないと思ってるような生き物なんだ、そんな中にいる俺のみじめさがお前にはわかるか? 俺がどれだけ悔しい思いをしたか誰もわかっちゃいないんだ」
そこで良は更に大きな声を出して泣き続けた。
「何だ……そんな事か」
栄子のあまりにも軽い返答を聞き、良はムッとして顔を上げる。
「そんな事なんかじゃないっ!」
「フフッ、見栄っ張り」
「見栄なんかじゃないっ!」
「じゃあ男のプライド?」
「女のお前にはわかりっこないっ!」
良が声を荒げたので、栄子は大袈裟に言う。
「あーこわっ! でもさ、本当は見栄とかプライドなんかじゃないんでしょう? 私にはわかるよ」
「わかるって……何が?」
「あんたはまだ医者になりたいんだよ。本当はまだ夢を諦め切れていない……そうじゃない?」
「…………」
「良! 正直に答えて!」
「…………なんでわかったんだ?」
「そりゃあわかるよ。どんだけあんたと一緒に過ごしてきたと思ってんの?」
「…………」
そこで栄子はフーッと深呼吸をしてから言った。
「だったらさぁ、今からまた医学部を受ければいいじゃん」
その言葉を聞いた途端、良は驚いて栄子を見つめる。
「今なんて言った?」
「だからぁ、今から医学部を受けなさいよ。私が応援するから」
「…………無理だよ。借金もあるし……」
「もちろん借金はバイトでもしながらちゃんと返しなさいよ。それと並行してちゃんと受験もする!」
「簡単に言うけど、俺はもう30過ぎてんだぞ? 今からじゃ無理だよ」
「あら、歳なんて関係ないわ。私が仕事で知り合ったドクターは40の時に医学部に合格したんだよ。で、今は60過ぎてもバリバリ医者として働いてるわ」
「40で?」
「そう。それに比べたら良なんてまだ若い若い」
「…………」
「あんたが本気なら私がサポートしてあげるわ」
「お前が?」
「うん。きっと家も追い出されて住む所もないんじゃない? だったらうちに来れば?」
「……お前の所に?」
「あ、変な意味に捉えないでね! まあシェアハウスみたいな感じよ。ちゃんと家事も分担してやってもらうから。私も今ちょうど彼氏いないし」
「お前そんなに綺麗になったのに彼氏いないのか?」
「悪かったわね。あ、やっぱりうちに入れるのやめようかなー?」
「…………ごめん、悪かった」
「妙に素直ね」
「……でもお前はなんで恋人を作らないんだ? 綺麗になったからモテるだろう?」
「失礼ねぇーっ、それじゃあ昔はブスでモテなかったみたいじゃん」
(この鈍感男っ!!! あんたの事が忘れられなくて新しい恋人を作れないんじゃん)
栄子は心の中で呟いた後言った。
「まあ仕事が恋人みたいなもんだからねー」
「ったく色気がねーな」
そこで二人は声を出して笑った。
笑いがおさまると、良は涙を手で拭ってからフーッと息を吐く。
「お前の言う通り、もう一度夢を追いかけてみるかな……」
「そうそう、その調子」
「あんな足の引っ張り合いと見栄ばかりの世界にもう行かなくて済むと思うとせいせいするな……」
「聞いてるだけで反吐が出そう。そんな場所こっちから御免だわ」
「全てを失ったどうしようもない俺に、新しい居場所なんて見つかるのかな?」
「ちゃんと真面目にやってればいつか見つかるよ、絶対に。だから前を向いて行きなよ」
栄子の言葉に良はうんと頷く。
(あんたの居場所はあたしの隣だよ、ばーか)
そう思いつつ、栄子はもう一つ良に忠告する。
「それとさぁ、少し落ち着いたら楓に謝りなよ! あんたは兄として絶対にやってはいけない事を妹にしたんだからね。そこは素直に謝りなさいよ」
「…………わかってる。でも楓は許してはくれないだろうな」
「そうよ、あんなひどい事したんだもの許すはずがないわ。でもね、絶対に謝らなきゃダメよ!」
「わかったよ」
良が素直に受け入れてくれたので栄子はホッとする。
その時良のお腹がグーッと鳴った。
そこで二人はまた声を出して笑った。
「ホッとしたらなんか腹が減ったよ」
「ラーメン食べて帰ろうか? 昔よく行ったあの店まだやってるみたいだよ」
「懐かしいな。行ってみるか」
「うん」
栄子はブランコから立ち上がると、持っていた良のバッグを手渡す。
それから二人は肩を並べて坂道を下り始めた。
あの頃と同じように二人並んで歩いていると、まるで昔に戻ったみたいだ。
思わず胸が熱くなり栄子の瞳に涙が溢れる。しかし暗闇の中にいるので良には気付かれずに済んだ。
ゆっくり歩いて行く二人の身体には、夜空に浮かぶ半月の光が静かに降り注いでいた。
コメント
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栄子さん、優しい良い人だね… 良、もう栄子さんを裏切ったり泣かしたら 承知しないよ!😤 そして、楓ちゃんに心からの謝罪をして お金も返済してね....
いい方向に向かってくれてよかった。素晴らしい、栄子さん。
栄子ちゃんと楓ちゃんの為に死に物狂いで頑張れ🥹