翌日の夜、楓は栄子からの電話を受けていた。
「えっ? じゃあ栄子さんのところに? 大丈夫ですか? 栄子さんもお仕事があるから迷惑じゃ……あ、はい……はい……本当にいいんですか? じゃあすみませんがお願いします。ほんと栄子さんがいてくれて良かったぁ。あ、はい……えっと相談?……あ、はい、あ、多分大丈夫だと思います。はい、はい、わかりました。じゃあクリスマスイブに。どうか兄の事をよろしくお願いします。じゃあまたクリスマス会の時に」
楓はそこで電話を終えた。
その時食後のコーヒーを飲んでいた一樹が楓に聞く。
「お兄さんがどうかした?」
「あ、はい、会社をクビになったって。それに上司のお嬢さんとの結婚も白紙に戻ったらしくて……」
「え?」
一樹は驚いているようだ。
「婚約者のご両親が兄の身辺調査をしたみたいで、借金の事や色々と嘘をついていたのがバレてしまったみたいです」
「そうか。で、お兄さんは?」
「あ、はい。今電話をくれたのは施設で一緒だった栄子さんという方なのですが、栄子さんは昔兄と付き合っていて、私にとってもお姉さんみたいな存在なんです。で、今兄は彼女の家にお世話になっているみたいです」
「そうか……」
「で、兄が私に一言謝りたいと言っているみたいで、今度園で開かれるクリスマス会の後に時間を作ってくれないかって」
「そういう事なら俺も付き合うよ」
「ありがとうございます。栄子さんも来てくれるみたいですが、ちょっと一人では不安だったので……」
「大丈夫だ、俺がついてる。それにその栄子さんは楓のお姉さんみたいな人なんだろう? だったら一度挨拶しておきたいしね」
「あ、はい。あと……」
「ん?」
「栄子さんが、もし出来れば社長に借金の事について色々教えてもらえないかって。闇金? 兄はそういう所からお金を借りているみたいなので、もし詳しく知っていればアドバイスが欲しいって言ってました」
「わかった。もちろん相談には乗るよ。普通の人間にとってあの世界はかなりやっかいだからなぁ」
一樹の言葉を聞いて楓はホッとする。
「すみません、よろしくお願いします」
「うん。でも会社をクビになったのか……じゃあこれから職探しだな」
「はい。ただ今聞いた話だと、兄はまた医学部を目指すみたいなんです」
「医学部を? 今から医者を目指すのか?」
「はい」
「そうか……やっぱり医者になるのを諦めきれなかったんだな。そういう事ならまあなんとかなるだろう。闇金なんてほとんどが違法行為だから、ちゃんとした弁護士をつければこっちが有利になる。それに上手くいけば借りた元金の額もグッと減る。交渉次第では分割返済も可能だろうからね」
「本当ですか?」
「うん。それにもし仕事が見つからなくても、うちの会社や店はいつも人手不足だ。だからうちでよかったら仕事はいくらでも紹介するよ」
「本当ですか? 凄く助かります」
「まあエリート商社マンのような高収入は見込めないけどな」
一樹はそう言って笑った。
楓は栄子からの電話を受けて以降、ずっと心臓がドキドキしていた。
良が楓に謝罪したがっているというのを聞いて最初は信じられなかったが、もし良が本当に心を入れ替えて一からやり直そうとしているのだとしたら、少し希望が見えるような気がしていた。
(お兄ちゃん、なんとか立ち直ってくれるといいけど……)
楓はそう祈りつつ、協力してくれると言った一樹に対し感謝の気持ちでいっぱいだった。
そしていよいよクリスマスイブがやってきた。
この日一樹と楓はヤスの車で施設に行く予定だった。
楓が自室で子供達に渡すプレゼントやガチャポンを袋に詰めていると、インターフォンが鳴った。
ヤスが迎えに来たようだ。
その時廊下から一樹の声がした。
「楓、準備は出来たか?」
「はい」
楓が袋を手にして部屋を出ると、細身のジーンズに黒のタートルネック、その上に黒ジャケットを羽織った一樹がいた。
いつものスーツ姿とは違い、少しカジュアルな装いで新鮮だ。爽やかが漂う一樹の出で立ちは、どう見てもモデルか俳優のようにしか見えなかったので楓はついドキッとしてしまう。
楓が袋を抱えて廊下に出ると、すぐに一樹が荷物を持ってくれた。そして二人で玄関へ向かった。
ドアを開けると笑顔のヤスが立っていた。その背後からひょこっと南が顔を出す。
「こんにちはー! 今日は私もお邪魔するわねー」
「南さんも来てくれるんですか? うわぁ、子供達もきっと喜びます」
「こういうイベントは久しぶりだから私も楽しみー」
「ヤスさんも今日はよろしくお願いします」
楓がペコリと頭を下げると、
「任せて下さい! じゃあ行きましょうか」
ヤスはニッコリして言った。
そして四人はヤスの運転する車で美空愛育園へ向かった。
施設に到着すると、いつもはうるさくまとわりついてくる子供達の姿が見えない。皆自室でおとなしくしているようだ。
げんきんなものでサンタが来る日だけは妙に聞きわけが良い。
「まあまあようこそ! 園長の野島です」
「初めまして、東条と申します。こちらはうちの社員の西と沢口です」
「どうも、西です」
「初めまして沢口です。何かあればお手伝いしますので遠慮なく仰って下さいね」
「まぁ! サンタさんをやっていただけるだけでも充分なのにお手伝いまで……本当にありがとうございます。サンタ役の三人は先ほど到着して今奥の部屋で着替えてもらっていますよ。とってもお若い方達なのね。あれなら子供達が思い切りタックルしても大丈夫そうなので安心しました」
「ハハッ、それなら良かったです」
そこで一樹が顎をクイと上げて合図をすると、ヤスが用意していた手土産を渡した。
「あ、これ、よろしかったら皆さんで」
「まあまあお土産まで? お気遣いありがとうございます。今日は子供達のプレゼントまで用意して下さったようで本当にありがとうございます。子供達もきっと喜ぶわ」
そして四人は景子に案内されながら奥の食堂へ向かった。
廊下を歩きながら一樹が楓に言った。
「ここが楓が育ったところか」
「はい。七歳の時から十一年間ここで生活していました」
「じゃあ第二の故郷みたいなもんだな。楓の育った場所が見られて良かったよ」
「はい……」
一樹の言葉に楓の心がじんわりとあたたかくなる。
食堂へ向かう途中、子供部屋のドアの隙間から子供達がニコニコしながらこちらを覗いていた。
その子供達へ向かってヤスが叫ぶ。
「どうもーっ、こんばんはーっ!」
「「「こんばんはーーーーっ!!!」」」
子供達はキャッキャと笑いながら返事を返した。その楽しそうな笑顔はクリスマス会が待ちきれないといった様子だ。
その時南が楓にコソッと呟く。
「ヤスは子供が大好きなの」
「そうなの?」
楓は思わずフフッと微笑む。
食堂へ行くと、子供達が作った飾りがあちこちに飾られ部屋の中はとても華やかな雰囲気だ。
そして隣に続くホールにはクリスマスツリーが飾られていた。その大きなツリーは楓がここへ来た時からあったものだ。
「うわー豪華! 美味しそうなお料理がいっぱい!」
南の言う通り、テーブルの上には沢山のご馳走が並んでいた。
華やかなパーティー料理は、景子と園のパート従業員、そして近所に住むボランティアのご婦人達が作ってくれたものだ。
毎年皆が子供達の為に、こうして腕をふるってくれる。
この園で暮らす子供達の生活は、多くの人達の善意によって支えられているのだと楓は大人になってから気付いた。
(子供達を笑顔にしてくれる近所の方々には本当に感謝しかないわ……)
楓がそんな風に思っていると、景子が言った。
「楓! 今日もピアノを弾いてくれるんでしょう?」
「うん。『赤鼻のトナカイ』でいいんだよね?」
「そう、お願いね。今ちょっと練習しておいたら?」
「そうだね」
二人のやりとりに南が目をぱちくりさせる。
「楓ちゃんピアノ弾けるの?」
「下手だけどほんのちょっとね」
楓はホールの入口にあるピアノまで行くと、早速練習を始めた。
そこで景子が三人に言った。
「楓はピアノが大好きでね。ご両親がいた頃は幼稚園からピアノ教室に通っていたみたいで、ここへ来た時にはもう結構上手に弾けていたの。でもここでは習い事は出来ないでしょう? だからあの子はずっと独学で練習していたんですよ。今もたまにふらっと来てピアノだけ弾いて帰ったりしてね。本当にピアノが好きなのね……」
「だったら電子ピアノでも買えばよかったのに」
南の言葉にヤスは言った。
「多分今までは節約してたから買えなかったんだろう? でもさ、もう自分で買う必要なんてないと思うよ……ほら……見ろよ!」
ヤスは南にだけ見えるように一樹を指差す。
するとそこには何かをじっと考えている一樹の姿があった。
それを見た二人は、思わず顔を見合わせてニッコリと微笑んだ。
コメント
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(/ω・\)チラッ 決算で私みたいなのも忙しくて🙇 悪良、解良になってくれ‼️ ピアノが届きますように😄 一樹に聴かせるピアノがある〜🎶
一樹さんのおかげで楓ちゃんも施設のみんなもヤスさんも南さんもみんな良いサイクルに導かれてるよね🔁⤴️⤴️🥰 一樹さんのお陰で良の借金も明るい兆しと良い流れになってきそう🎶 楓ちゃんへの🎄🎅プレゼント🎁はピアノ🎹かな(^O^☆♪♡⁉️
だけどぉ ぼくにぃはぴあのがないぃ(西田敏行『もしもピアノが弾けたなら』より)君に聞かせる夢、はありそうやな。