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昼休みが終わって、教室に戻ったとき、そこには、空気の“変質”がはっきりと漂っていた。
誰もが、日下部を見ていた。
けれど、誰も、正面からは視線を合わせなかった。
「……なあ、昨日のあれ、マジだったの?」
「さあ。でも、そういうことじゃね? 遥、けっこう長くやられてたんだろ?」
「つか、“一緒にいた”ってそういう……」
声は囁き交じりで、内容は明確ではない。
けれど、それが日下部を中心に“巡って”いることだけは、誰の目にも明らかだった。
彼の机の引き出しが、わずかに引き出されている。
中に入っていたプリントには、こう書かれていた。
「人前で泣かせるの、クセになってんだろ」
日下部は、それを破かない。
丸めもしない。
ただ、元に戻して、何もなかったふうに閉じた。
──誰かと喋ることも、視線を返すこともない。
“無言”が、彼の唯一の選択だった。
遥は、それを見ていた。
けれど、目が合うことはなかった。
(おれが、あんなふうに)
(何もできなかったから──今、あいつが)
頭の中で、何度も“過去”が再生される。
まだ、遥が日下部を「許そう」なんて思えていた頃。
誰よりも“遠ざけよう”として、それでもなお近づかれていたあの時期。
今、蓮司の言葉が形を変えて、教室中に染み出している。
「遥って、変わってんだよな。やられても、笑ってたりして」
「てか、日下部って、あいつのことそういう目で──ほら、“昔の習慣”?」
冗談のように、悪意のない顔で。
けれど、内容だけは救いようがない。
それを聞くたびに、遥の胸が締めつけられる。
──まるで、自分が誰かの痛みを“誘発”しているかのように。
蓮司は、それを止めない。
むしろ、飄々とした顔で隅の席にいて、時折、笑ってるだけだった。
ただ一度──遥のほうを見て、こう呟いたのだ。
「ねえ、“どっちが先に壊れるか”、かけてみる?」
それが、何のことかなんて、すぐにわかった。
(おれが、近づいたから)
(おれが、信じたから──)
(また、あいつが、巻き込まれてる)
遥は立ち上がろうとする。
でも、足が震える。
その隣の席には、誰もいない。
日下部は、遅れてやってきて、無言で教科書を開いた。
遥を見ない。
誰とも喋らない。
“浮いている”。
でもそれは──誰かを責めるためではない。
誰かを、守るために選んだ“孤立”のようにも見えた。
けれど──それこそが、蓮司の“罠”だった。
遥は知っている。
今ここで、言葉をかければ──
また、誰かが何かを見て、笑って、広げる。
(おれが動けば、また“誰か”が代償を払う)
(おれのせいで)
それでも。
その“でも”が言えなかった。
彼の中の“核”が、呟く。
──おまえは、元から「そういうやつ」だ。
壊す側だったんだろ?
それを、今さら守れるなんて思うな。
そして、昼休みが終わる。
蓮司の視線が、また、誰かを射抜いていた。
それは遥ではなかった。
日下部でもなかった。
けれど──きっと、次の“燃料”だった。
彼は、教室の空気を知っていた。
誰が次に浮くか。
誰が次に沈むか。
「誰かを守るってさ、結局、もう片方を沈めることなんだよ」
そう言った彼の口元は、笑っていた。