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怜に促されて、マンションに入る。
手洗いとうがいを済ませ、彼が『どうぞ』と奏に案内した後、エアコンとルームライトを点けた。
間接照明の柔らかな光で包まれた二十畳ほどのリビングにはソファーセット、壁に掛かっている大きな画面のテレビと、その下にはオーディオラック、傍らの大きなショーケースには、ソプラノからバリトンまでのサックスが綺麗にディスプレイされていて、リビングの隅の方には、箱型の小さな部屋のようなものがある。
さすが、ハヤマ ミュージカルインストゥルメンツの社長の息子、といったところか。
奏は、リビングの入り口に佇んだまま、気になっている箱のような部屋を指差す。
「凄い……。ちなみにあれは何でしょう?」
「ああ、これか。これは防音ユニット。要は箱型の防音室だな。ここでサックスの練習してる。広さは三畳で狭いけど、夜間も音出しできるから便利だよ。ちなみに、このユニットもサックス四台も全部うちの商品。といっても社割で買ったんだけどな」
怜が、先ほどコンビニで買ったドリンクを冷蔵庫にしまいながら、はにかむように笑った。
社割で買ったとはいえ、サックス四台に防音ユニット、トータルでいくらするのだろう? 奏はお下劣な考えをしてしまう。
「ここの他に部屋が三つあるけど、ひとつはリペアの作業部屋、もうひとつは寝室、残り一部屋は物置部屋。何なら見てきてもいいぞ?」
「いえ、大丈夫です」
つい数時間前に恋人同士となったからといって、恋人となった男の住まいを、いきなり見て回るのは、さすがの奏も、そこまでするほど図々しくはない。
「ってか、そんな所に突っ立てないで、中に入ったらどうだ?」
奏は黙ったままコクリと頷くと、こわごわとリビングの中に入っていく。
ガラス戸の前に立ち、彼女は暗闇に包まれた景色を見やる。
遠くには微かな光の粒子に覆われた多摩丘陵が見え、南西の方角には八王子のタワーマンションが見える。
(明るい時間に、ここから景色を見たら富士山もよく見えそう……)
そこに微かに映る自分の顔を見ながら考えていると、背後から怜が近付いてくるのが見えた。
ガラス戸越しに彼と目が合い、怜は奏をそっと抱きしめた。
長い艶髪を左肩に寄せ、怜は白磁の首筋を晒して唇を落とすと、奏の身体がピクリと震えた。
「はっ……葉山さん…………くすぐったい……です……」
肩を竦めて身じろぎしても、形の綺麗な唇は奏の首筋を彷徨い続ける。
ひとしきり滑らかな首筋の感触を楽しんだ後、怜はガラス越しに奏を視線で貫きながら耳朶に囁く。
「奏」
「はい」
「俺と奏は恋人同士になったんだよな? なら『葉山さん』ではなく、『怜』って呼んでくれないか?」
身体中に心地よく響く低い声音に、奏の脚が脱力しそうになってしまう。
崩れていきそうな身体を持ち堪えるように、彼女は慣れない甘美な雰囲気から逃れようと、消え入りそうな声音で言い返した。
「……『弟の方の葉山さん』じゃダメですか?」
「ダメだ」
怜は、先ほどよりも丹念に、唇を白皙の首筋に這わせていく。
「……っ」
「奏……呼んでくれ……」
今まで聞いた事の無い、怜の焦燥感に満ちた声音。
奏の唇から、吐息が溢れそうになるのを堪え続けるが、さすがにこれ以上は耐えられそうにないと思い、怜の名前を呟く。
「怜……さん……」
自分の唇から出たとは思えないほどの色を含んだ声に、奏自身が驚いたと同時に、怜は彼女の身体を向かい合わせ、華奢な身体を掻き抱いた。