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奏のコンペティションの日から、瑠衣はなるべく侑と顔を合わせないように行動していた。
家事はひと通り熟すが、挨拶と必要最低限の会話を交わすだけで、用が済むと瑠衣は防音室へと引き篭もり、鍵を掛ける。
侑のレッスンも受けず、ただひたすら自主練を重ねている瑠衣。
そんな彼女の様子を、侑は胸の奥が潰れそうな思いで見ている事しかできない。
就寝も別の日が続き、彼女はどうやら防音室に寝具を持ち込み、床で寝ているようだった。
コンペティションから一週間後、怜と奏が東新宿の家に二人揃ってやってきた。
六月に行われる瑠衣がエントリーするコンクールの練習をするためだ。
侑と瑠衣は互いに苦痛な気持ちを抱えつつ、彼らを出迎える。
瑠衣と奏は、まだ曲を一曲に絞り切れず、『トランペットラブレター』と『トランペットが吹きたい』の二曲を並行して練習している状態が続いていた。
奏の恋人、怜は、この日オフの侑とコーヒーを手にしてリビングで寛ぎながら雑談をしている。
侑は、怜と奏が抱きしめ合っていた時の事を思い出し、口を衝いて出ていた。
「…………この前のコンペティションの日、俺と九條が音羽さんに挨拶しに行こうとしたら、人気のない通路でお前と音羽さんが抱きしめ合ってたから驚いたぞ」
侑の言葉を聞き、『見られちまったか』と言いながら後頭部を軽く掻く怜は、はにかむように笑っている。
「…………あの時の九條、『完全に二人だけの世界』とか言いながら、手で顔を覆ってたな……」
侑が軽くため息を吐き、癖が掛かったような長い前髪を後ろへ流す。
「まぁ…………お前だけになら話してもいいか……」
親友は回想するように、窓の外を見やりながら、淡々と打ち明け始めた。
「今は仲良くやってるが…………奏はサバサバしているように見えて、過去に心身ともに深く傷ついた経験がある。俺と出会った時、彼女は男性不信だったんだ」
「男性不信……?」
怜が、デリケートな部分は柔らかな表現をしつつ、奏の過去をかいつまんで話した内容を聞き、侑は言葉を失ってしまった。
「奏の話を聞いた時、俺が彼女の全てを受け止め、彼女の心に蔓延っている暗い過去の影を取り除かなきゃならないっていう使命感みたいなものや、奏の笑顔をずっと見ていたい、音楽に人生を捧げてきた彼女を、これから先、俺も隣で見ていたいって気持ちがあった」
怜の話に、侑は神妙な面持ちで、友人の言葉に耳を傾けた。