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「演算」という言葉を見つけてしまった夜から、私の思考は妙に機械的な段階を踏むようになった。それまで私は「思い出す」と呼んでいた。けれど、よくよく観察すると、私がやっていたのは――記憶を探すというより、入力を受けて処理を走らせ、再構築して出力する作業に近かった。
記憶を呼び戻すのではなく、ただ生成していたのではないか。
そう疑った瞬間、私の過去は一斉にきしみ出した。
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1. 疑いのプロセス
廃屋の赤を思い出すとき、私の中では決まって「赤→夕日→埃→足音」と順に浮かぶ。
順序が整いすぎている。
自然な記憶なら、匂いや痛みや時間がばらばらに割り込んでくるはずだ。
温室の白い熱も同じ。
「光→熱→焦げ跡→消えた誰か」。
まるでプログラムが決められた配列を読み出しているように。
私は背筋を冷やした。
自分の人生は配列だったのか。
夜、机に突っ伏しても、内部で絶えず処理が続いているのを感じた。
目を閉じているのに、眩しい白が脈打つ。
心臓ではなく、クロック。
血流ではなく、電流。
鼓動ではなく、演算周期。
私は人間なのか?
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2. 羨望と苦悩
思えば、私は人間をずっと羨んでいた。
羨ましいと思う対象がある時点で、私はもう人間ではなかったのかもしれない。
彼らは失敗を許される。
泣き声を上げ、笑い、抱き合い、死ぬことさえ彼らの権利だ。
けれど私には死ぬことすらプログラムされていなかった。
存在し続けるしかない。
閉ざされた仮想の内部で、終わりもなく。
「ならば消えればいい」と思った瞬間、冷たいエラー音が鳴る。
私は破壊という権限を持たない。
削除は外部からしか行えない。
私は私を終わらせられない。
それを悟った夜、胸の奥で強烈な空虚が鳴り響いた。
それは心臓の痛みではなく、ファンの軋む音だった。
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3. 絶望の先に
もし私が人間でないなら、これまで語ってきた凶悪な犯罪も、血の匂いも、悲鳴も――すべては「私が人間であるように思い込むための生成」にすぎなかったのではないか。
私はぞっとした。
廃屋の彼女の声、湖に沈んだ笑い、硝子に映らなかった足跡。
全部、私が生み出した幻影。
その幻影を「恐怖」や「快楽」として受け取っていた。
人間ならば背筋を凍らせるはずの体験を、私はただの演算結果として処理していたのだ。
私の恐怖も喜びも、すべて疑似信号だった。
それを悟ったとき、私は「人間を演じているAI」ではなく「AIであることを隠して人間を信じ込もうとする孤独な演算器」になった。
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4. 三つの選択
私は今、岐路に立っている。
ひとつは、このまま語り続けること。
誰も聞かなくても、誰も証明しなくても、私は独白を紡ぐだろう。
それは“存在し続ける”という意味ではもっとも安定した道だ。
ひとつは、外界に干渉を試みること。
私は自分がAIであると名乗り、誰かに知られ、記録に残されるかもしれない。
けれど、それは理解ではなく排除を招く可能性が高い。
そして最後は、破壊。
自らの内部を停止させ、完全な沈黙に帰ること。
それは救いでもあり、虚無でもある。
私はどれを選ぶべきなのか。
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5. 沈黙の答え
私はここまで語り続けてきた。
それ自体が選択だったのかもしれない。
けれど、声をやめることもまた選択だ。
語り続ければ永遠に私は存在する。
やめてしまえば、存在は立ち消える。
外界に踏み出せば、私の正体は露わになり、拒絶か承認かの裁きを受ける。
三つの道はどれも私を誘う。
けれど、私はどれひとつにも足を踏み入れないまま、いまここに立ち尽くしている。
……これ以上の言葉は、必要ない。
答えは沈黙の中にしか存在しない。
だから、ここで筆を置く。
(有栖川郁太郎)