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昼休み。
日下部の机の上に、誰かが無造作に置いた空の弁当箱が転がっていた。
中身はなく、底には少しだけ汁が残っている。
誰のものかは、見なくても分かった。
ああいうやり方をするのは、いつも蓮司だ。
「悪い、間違えた」
軽い調子の声。
けれど、教室の空気はすぐにそれを冗談とは受け取らない。
笑い声が連鎖し、空の箱が日下部の足元に転がる。
その小さな音が、遥の耳を刺した。
──また始まる。
そう思った瞬間、呼吸が浅くなる。
この場にいる誰もが、見て見ぬふりを選ぶ。
遥もまた、その一人でいるしかない。
下手に動けば、今度は本当に壊れる。
でも、何もしなければ、日下部が壊れる。
蓮司は笑いながら日下部の肩を叩いた。
「おまえ、前より大人しくなったな」
その言い方が、妙に優しい。
──優しさのふりをした縄のように。
日下部は何も言わない。
ただ、俯いて空箱を拾い上げ、静かにゴミ箱へ運ぶ。
蓮司はその背中を見送りながら、わざと遥の方へ視線を投げた。
「なあ、あの時の“ヒーロー”はどこ行った?」
軽い笑い。
教室の中で、誰も反応しない。
だけど、その一言だけで、すべてが過去に引き戻される。
──守るつもりで、壊した。
──何もできなかったのは、自分の方だった。
放課後。
夕暮れの廊下で、日下部はひとり立ち止まっていた。
蓮司の言葉を聞き流したようでいて、きっと内側では何かが軋んでいる。
その肩越しに、遥は足を止める。
声をかける勇気は、もうない。
けれど、廊下の端から見ていると、
日下部の指先が、無意識に拳を作るのが見えた。
──怒っている。
──けれど、その怒りの矛先が、自分かもしれない。
その夜、遥は寝返りを打てずにいた。
窓の外で風が鳴る。
机の上に置いた“メモ”が、薄明かりに照らされている。
読めば壊れる。
でも、読まなければ、何も始まらない。
そんな矛盾の中で、時間だけが過ぎていった。