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家で、誰もいない部屋。遥は机にノートを広げる。
書いて、消して、また書く。
書いているのは、
ただ「ごめん」の一行だけ。
その文字を、何度もなぞるうちに、滲んで読めなくなる。
──“声をかけることもできない”という沈黙の残酷さを、
初めて理解した夜。
ペンを置いた手が震える。
机の端に落ちた涙のしずくが、乾く前に光っていた。
その光が、どこか遠い誰かの痛みに似て見えた。
──日下部、今、どんな顔してるんだろう。
聞きたくても、聞けない。
謝りたくても、近づけない。
沈黙という距離が、壁みたいに二人の間に立っている。
窓の外の風の音が、やけに冷たい。
遥はページを破り、一行だけ残した紙をそっと折りたたんだ。
その指先は、どこか祈るようだった。
同じ夜。
日下部は、机に向かっていた。
ペン先が止まり、目だけがノートの上をさまよう。
頭の奥で、昼の教室のざわめきが何度も蘇る。
笑い声、机を叩く音、誰かの小さなため息。
──また今日も、何もできなかった。
息を吐くと、胸の奥に錆びた音がする。
その音の正体が、悔しさなのか、恐怖なのか、自分でも分からない。
ふと、机の端に置いた紙切れに目をやる。
そこには、滲んだ一文字。
「ごめん」。
拾ったのは、放課後、誰もいない教室。
紙の角に小さなインクの跡。
誰の字かなんて、聞かなくても分かる。
──あいつ、まだ……。
胸の奥が痛む。
でも、もう何もできない。
自分が動けば、あいつがまた傷つく。
それを知っているから、何もできない。
その無力さが、いちばんの暴力みたいに感じた。
窓の外の風が、カーテンを揺らす。
その音が、まるで名前を呼ぶように響いた。
けれど、日下部は顔を上げなかった。
──あいつを守るなんて、もう言えない。
けれど、放っておくことも、できない。
ペンを握る指先が震える。
書こうとした言葉は途中で途切れた。
“もう一度”と書きかけて、線を引く。
その下に、“見てる”とだけ残した。
月明かりが机の上を照らす。
その白さが、やけに冷たい。
同じ夜、違う部屋。
互いの名前を呼ばないまま、
ふたりの沈黙だけが、同じ闇を共有していた。