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「……嬉しいです、功基さん。わざわざ俺の為に、作ってくださるなんて」
「っ」
(『俺』になってる)
最近気がついたことだが、邦和は感情が高ぶると『俺』になる傾向がある。
そっと見上げて表情を伺うと、頬をほんのりと染め、どす黒いオーラの代わりにホワホワと花が舞っているように見えた。
ついでに尻尾があるのなら、全力で左右に振られている所だろう。そんなわかりやすい歓喜に、功基の心臓も幸せだと高鳴る。
言葉が見つからず、真っ赤な顔のまま手も引けずに視線を彷徨わせていると、不意に邦和の表情が複雑な色をさした。
(え、なんだ?)
次いで落とされた言葉に、功基は絶句した。
「……嬉しい、ですが。それは私の『役割』です」
ガンッと、頭に岩が落ちてきたようだった。『役割』。その言葉に、全てが崩れ落ちる。
こうして邦和が功基にあれこれと世話を焼くのも、執着しているように見えるのも、それは全て彼の憧れる『執事』としての『役割』を果たしているだけであって、功基に対しての特別な感情から起因している行動ではない。
(……わかってた筈なのに、オレは、なんで、勘違いを)
スッと頭が冷え、全身から力が抜けた。
ガクリと膝から崩れ落ちた功基に、邦和が焦燥を浮かべる。
「功基さん!?」
「あ、いや……大丈夫だ、なんでもねぇ。腹、減っただけ」
なんとか作った笑みは上手くいっただろうか。多分失敗していたのだろう。
邦和は何か物言いたげに口を開いたが、そのまま閉口して、功基の手を開放すると荷物を下ろして唸るように言った。
「……直ぐに準備致します。少々お待ち下さい」
「……ん、よろしく」
ありがたい。理由を問われても、邦和には伝えられない。
なんとか常を振る舞うのは年上としてのプライドで、でもそれを壊さないようにと気を使わせている時点で、色々と駄目な気がする。
(……指、つめてぇ)
そっと触れた自身の指先は氷のように冷えていた。邦和の熱など、全く残ってはいない。
それが全てを暗示しているように思えた。
邦和の『熱』は、功基には移らない。功基の『熱』もまた、邦和には――。
空気の重い夕食を終え、邦和がいつも通りに洗い物をする音を、邦和は体育座りでボンヤリと聞いていた。
今は何も考えたくない。脳がスカスカになってしまったようだ。
(ショック、って、こういう感じなのか)
不思議な感覚だった。何も心に残らない。真っ白な思考の中に、思ったことだけが投影されて、直ぐに消えていく。
どれだけそうしていたのか、斜め前に腰を下ろした邦和の気配に、功基は顔を上げた。洗い物は終わったらしい。
時間的にも、そろそろ帰るだろうなと礼を口にしようとすると、邦和が先に言葉を発した。
「……功基さん。昴さんから、何を受け取ったんですか」
「……え?」
邦和の表情は険しい。
暫くしてやっとの事で、問われた意味を理解した。
(――見てたのか)
よりによって、そのタイミングで。
「……なんのコトだ?」
「とぼけないでください。紙を、受け取ってましたよね。出してください」
内密に、と言われた以上、バラすわけにはいかない。
功基は睨みつけるようにして沈黙を貫いたのだが、痺れを切らした邦和が転がしていた鞄に手を伸ばしたのを見て、慌ててそれを引き寄せた。
邦和が剣呑に目を細める。耐え切れなくなったのは、功基だった。
「……オレ達にとって、話しが合う人間は貴重なんだよ」
言い訳のように呻きながら、昴に渡された紙を引き出す。
瞬間、邦和に奪われた。
「っ、何すんだよ! 返せ!」
「……やっぱり、連絡先だったんですね」
低く呟いたかと思うと、邦和はその紙をビリリと破き出した。
「なっ!」
「功基さんには、俺がいるでしょう?」
功基が目の前の事態についていけず、呆気にとられている間にも紙は散り散りとなっていく。
仕上げのようにただの端切れになったそれを丸めた邦和が、忌々しそうに自身の鞄に突っ込んだ所で、ようやく功基の処理が追いついた。
途端に、怒りがこみ上げてくる。
「今日はこれで……功基さん?」
「……おま、なんだよ……なんでそんなっ、オレがどうしようと、お前には関係ないだろ!?」
叫んだ功基に、立ち上がっていた邦和が息を呑んだ。
次いでグッと耐えるように眉根を寄せる。
「……関係なくは、ありません」
(――駄目だ)
功基の中の冷静な部分が静止をかけたが、止まらなかった。
「それもっ、オレが『主人』だからか!? そーやってオレを『監視』するのが、お前の『役割』なのかよ!? お前は、おまえはっ……」
――あんなに真っ直ぐに、他の女を見るくせに。
辛うじてその言葉を飲み込む事が出来たのは、目奥に熱い衝撃がこみ上げてきたからだった。
これは、嫉妬だ。悔しくて、惨めで、ヘドロみたいにドロっとした感情がへばりついて、呼吸が出来なくなってくる。
醜い、醜い感情。それを勢いのまま邦和にぶつけた自身に、嫌気が差してくる。
「……功基さん」
そっと伸ばされた手に、功基の身体は怯えるようにビクリと跳ね上がった。
反射だった。自身でも驚いているうちに、停止した邦和の手が戻っていく。
「……昴さんには、気をつけてください」
「っ!」
それだけを言い置いて、邦和は部屋を出て行った。
バタリと閉じられた玄関の扉の音に、功基はその場にへたり込む。
「……結局、肝心なコトはなんもナシかよ」
関係あると言った理由も、功基への問いかけに対する答えも。
何一つ言わないまま去っていた邦和に、功基は乾いた笑みを浮かべた。
「……こんなになってもまだ、『契約』は続行かよ」
いや、今は怒りに告げられなかっただけで、家に帰り冷静になってから、改めて破棄されるのかもしれない。
もう、それでも良かった。いっそ、そうしてほしかった。
おもむろに視線を流すと、こちらを見つめる子犬と目があった。コイツはいつだって愛らしい。
力の入らない身体をなんとか動かし、功基は子犬を抱き寄せベッドに倒れこんだ。
『……功基さん』
邦和が残していった寂しげな声が、いつまでも鼓膜に張り付いていた。