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美容室の予約を入れた。
今どきの重めのシルエットにしてもらい緩くパーマをかけた。
色はピンクブラウン。肌色がキレイに見えるカラーを選んだ。
続いて向かったのは駅裏のコミュニティセンター。
昨年建て替えて綺麗になったのは知っていたが、訪れたのは初めてだ。
まだそこここから木の香りがする。
エントランスの黒板を見上げる。
『街中フラワーアレンジメント教室 講師:城咲律樹』
律樹――りつきと読むのだろうか。
晴子は大きく息を吸うとスーッと吐いた。
そしてハンドバックにパンフレットを折って入れると、正面の階段を上り始めた。
◇◇◇◇
「やっぱり城咲さんのお花はちょっと違うわー」
「花だけじゃなくて葉っぱも茎も、瑞々しくて元気なのよね」
「色もちもね、すごくいいのよ。ずっと楽しんでられて、娘からは造花なのなんて言われたりして」
女たちの華やいだ声が聞こえてくる。
多目的室を覗くと、花の香りがした。
40代~50代の女性が15人ほど中央に集まっている。
その中心にエプロンをかけた城咲がにこやかに花と花器を並べていた。
「褒めすぎですよ。それにお花がキレイないのは、僕の力じゃなくて花農家さんたちの愛情のかけ方ですから」
「城咲さんは何か育てていないの?」
「今はマンション暮らしなので、バルコニーのフラワースタンドで、趣味で鑑賞する分だけは育てています。あとは今はだれも住んでいない実家の庭は広くて、そちらにはバラなんかを植えてますよ」
城咲はニコニコと微笑んだ。
実家。
この若さで家も持っているのか。
庭付きの家に、マンションに、ベンツ。
花屋が趣味というのもあながち嘘ではないのかもしれない。
何かの個人事業主か、それとも先祖代々受け継いできた不動産でも所有しているのか。
城咲の爽やかな横顔を見つめていると、その視線に気づいたのか彼は振り返った。
「あ、晴子さん!」
そう言いながら軽く手を上げる。
「………?」
女たちが一斉に振り返る。
どの女もハムのような体を馬鹿みたいに着飾って、カバのような顔を白く塗りたくったブスなババアばかりだ。
晴子は背筋を伸ばし胸を張って、それでも遠慮がちに右手を上げた。
「本当に来ちゃってよかったのかしら」
暗に城咲の方から誘ってきたのだということを仄めかしながら、教室に入るのを戸惑っているフリをする。
「あたりまえじゃないですか。さあさ、どうぞこちらへ」
城咲が迎えに来てくれる。
そして軽く背中に手をかけると、晴子を教室内に連れてきてくれた。
「…………」
あからさまな不歓迎の視線を感じる。
自分たちの愛が成就するわけないのに、若いアイドルが結婚した途端にがっかりしたような顔をして、晴子を睨んでくる。
悪い気はしない。
晴子は城咲には気づかれないように肩を竦めて見せた。
そのとき、
「市川さん?」
女たちの中心から声がした。
そこには長い髪の毛を三つ編みに結わえた、見覚えのない女が立っていた。
◇◇◇◇
「私、斎藤っていうんだけど覚えていないかしら?」
知り合いなら、ということで城咲の計らいで同じテーブルになった女性は、斎藤と名乗った。
「子供たちが高校の時に謝恩会で、先生への花束を一緒に考えた……」
「ああ……!」
そう言えばそんな人がいた気がする。
あの頃まだ30代だった晴子は、親たちの中で浮くほど若かったが、対照的に変に老けた女がいた。
「覚えていなくても無理ないですよ。輝馬君モテモテで、市川さんもいろんなお母さんに囲まれて忙しそうでしたもんね」
そうだっただろうか。
保護者会なんて、みんながみんな、厚化粧に香水を浴びたような中年女たちだったから覚えていない。
「かくいううちの佐奈(さな)も輝馬君に夢中で。結局3年生でクラスが分かれちゃったから叶わなかったみたいだけど」
斎藤が手で歯並びの悪い口を覆った。
クラスが分かれたことが問題なのではない。
この親から生まれてきたおそらく不細工であろう女子になど、輝馬が振り向くわけがない。あいまいに微笑んで会話を終わらせようとすると、
「あ、もしかして市川さんなら、知ってるかしら」
斎藤が顔を寄せてくる。
「峰岸優実ちゃんって覚えてる?うちの佐奈と仲良くしてくれてたんだけど」
その名前には聞き覚えがあった。
確か、クラスメイトの中ではダントツで美人な子だった。
輝馬に聞いてもろくな反応はしなかったが。
「なんか佐奈がね、ある日を境にここ数週間、優実ちゃんと連絡が取れないっていうのよ」
騒ぎ立てるようなことだろうか。
学生時代に仲良かった友達が、大きなきっかけもなく自然と疎遠になるのは仕方ないと思うが。
特に女性の友情なんて、元から薄っぺらいのだから。
「しかもなんか、優実ちゃん、卒業するちょっと前からストーカー被害にあってたらしくて」
「ストーカー?」
「追い掛け回されて、ノイローゼみたいになっちゃったみたい」
晴子はぞっと背筋が寒くなった。
「何か聞いてたりしない?」
斎藤が覗き込んでくる。
晴子は苦笑して首を振った。
「ごめんなさい、まったく……」
「そっかぁ」
斎藤はため息をつきながら背中を丸めた。
「優実ちゃんて、輝馬君と両想いだったじゃない?だから何か知ってるかなーって」
斎藤の声は途中から聞こえていなかった。
輝馬と両想い?聞いていない。
何か知ってるか?何も知らない。
喉の奥が熱くなってくる。
「何もなければいいけど……」
斎藤は首を傾げながら、おおよそ不似合いなバラの花を手にした。
―――ミネギシ、ユウミ……。
晴子はその名前を胸に刻みながら、手にしたカキツバタの茎を、ジョキンとハサミで切った。
◆◆◆◆
カキツバタをメインに、シャクヤクとツリガネソウを配置していく。
大体の造形はできた。
ひと息ついて視線を上げる。
城咲は各テーブルを回っているのだが、どこでも呼び止められ捕まって、なかなか晴子のところまで来てくれない。
(こんなあからさまな教室も珍しいわね……)
晴子は人知れずため息をついた。
皆、花など見ていない。
城咲の一挙手一投足に注目していて、どうやって話しかけようか、どうやったら自分のところに長くいてくれるか、それだけを考えている。
(来なけれよかった)
そんな言葉が脳裏を霞める。
晴子がいつも通っているサロンの教室は、男女比でいえば圧倒的に女性が多いが、夫婦一緒に参加している人も多いし、ただ純粋に花を愛し、花と触れ合いたい人ばかりがいるように思える。
こんな風に、花と自分の間に、色と欲望を挟んだようなアレンジメントで、いい作品になるとは到底思えない。
それよりも―――。
先ほどの斎藤の言葉が気になる。
彼女はというと、自分の話したいことを話してすっきりしたのか、それとも晴子の迷惑そうな顔にやっと気が付いたのか、アレンジメントの方に集中してこちらに話しかけてくることはなかった。
今すぐ飛んで帰って輝馬たちの部屋に入り、卒業アルバムを開いて確認したい。
斎藤佐奈はどうでもいい。峰岸優実のことだ。
彼女のことはいつどこで見たのだったろうか。
そうだ。
輝馬が一度、風邪をこじらせて肺炎を起こし、2週間ほど学校を休んだ時だ。
その際に授業をまとめたノートを届けてくれた女子の中に、確かあの娘もいた。
派手ではなかったが、目を見張るほど美人だったから、印象に残ったのだ。
しかしその名前を口にしたときの輝馬の反応があまりにそっけなかったから、安心しきっていたのに。
両想いだった?
じゃあ付き合ったのだろうか。
セックスしたのだろうか、あの娘と。
同じく高校の時、マンションまで輝馬を付け狙っていたストーカーのことは、悠仁に相談して同席してもらい忠告をした。
それ以来何もなかったと記憶しているが、まさかその裏で違うメス豚に食われていたなんて。
(……ん?ストーカー?)
偶然だろうか。
輝馬を付け狙っていたあの首藤灯莉とかいうストーカーと、峰岸優実を狙っているストーカー。
「……さすが」
晴子は視線を上げた。
「お上手ですね、晴子さん」
目の前にはいつの間にか、城咲が立っていた。
◆◆◆◆
「後片付け、手伝ってもらってすみません」
城咲はベンツの後部座席に晴子がまとめた余った花材を置くと、高級車特有のドンッという音を響かせながらドアを閉めた。
「いいんです、別に」
教室が終わるとともに、生徒たちに囲まれた講師の後ろで、残っていた花が可哀そうだっただけだ。
10分でも放置して道管が閉じてしまえば、植物は枯れてしまう。
だからティッシュに水を染みこませ、アルミホイルで巻いてあげただけだ。城咲のためにではない。
「ーーただし、お花の教室を開くなら、講師の先生だけじゃなくて、ちゃんとお花の愛し方も指導するべきだとは思いましたけどね」
ついチクリと言ってしまう。
「はは。痛いところを……」
城咲は苦笑しながら、黒々と輝く髪の毛を掻いた。
「じゃあ、私はこれで」
「――晴子さん」
城咲が晴子の肩を掴んだ。
「僕、何か怒らせるようなことしましたか」
城咲がこちらを見つめてくる。
「――別に、何もしてないんじゃないですか」
責めるような口調に腹が立ったのが半分、その言葉が図星で恥ずかしいのが半分。
晴子はふんと鼻をならし、踵を返そうとした。
しかし、城咲は今度は両手で肩を掴んだ。
「機嫌直してください。ちゃんと僕に送らせてください」
「……ちゃんと?」
その言葉に眉間に皺をよせる。
「晴子さん、今日タクシーでいらっしゃいましたよね。教室の窓から見ていたんです」
「私は別に……!」
見透かしたような城咲の瞳に、顔が熱くなる。
「……行きつけの美容室の駐車場に停められる台数が限られているから、いつもタクシーで行くんです。このコミュニティーセンタにも来たことがなくて、駐車場がわからないといけないからと思っ――」
「何でもいいですから」
城咲にしては珍しく強い口調で、晴子の言葉を遮った。
「僕に、送らせてください」
「…………」
晴子はその真剣な目を見つめた。
美容室には、表通りの狭いそれとは別に裏に大きな駐車場があった。
大きなイベントも行われるコミュニティセンターの駐車場がわからないはずはないと思っていた。
「…………」
自分は何をしているのだろう。
彼が悪いのではない。
彼に腹が立つのでもない。
そうではないが、年老いた中年女性に囲まれた城咲が、ニキビだらけの女子高生に囲まれた輝馬と被って見えただけだ。
晴子は取り繕う自分がバカバカしくなり、肩の力を抜いた。
その気配を察してか、城咲が手を放し、助手席のドアを開ける。
「…………」
晴子は黙ってその車に乗り込んだ。
車がマンションの方向へ向かわなくても、晴子は何も言わなかった。
そしてその車がシティホテルの駐車場に入っても、包装されたフラワーアレンジメントを、静かに抱きしめただけだった。