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「……戻りませんね」
ソファーに座ったまま、そわそわと体を揺らしながらティオが言った。物音が気になり、庭の様子を見に行ったルナールがしばらく待っても居間に戻らないのだ。
「そうですね。でも、羽音も遠去かりましたし、戦闘が始まった様な気配も無いから心配はいらないんじゃないですか?」
「いやまぁ、【純なる子】の従者って話でしたから、そっちの心配はしていませんけど……」
眉間にシワを寄せ、ティオが窓の外へと視線を移す。彼が何を心配しているのかわからず、柊也が首を傾げた。
「エリザと二人きりのまま、随分経つので……何か、良からぬ事があったりはしないかと」
「——はぁぁぁっ⁈ルナールに限ってソレだけはあり得ません!」
大声で柊也が即座に断言し、絶対に無いと否定した。声といい表情といい、完全に『普段真面目な伴侶の浮気を心配された者の反応』そのものなのだが、柊也にはその自覚が無い。だが、自覚が無いからこそ咄嗟に出てしまった反応だった。
「ご、ごめんなさいっ!」
安易な発言により、柊也を怒らせてしまったのでは⁈とティオが焦った。【純なる子】は世界を救うために呼び出される存在であるので王族以上の権威を持つとされる。そんな相手の機嫌を損ねては何が起きるかわからない怖さがある。柊也がどういった性格かなど知りようが無い程度にしか面識が無いため、ティオはただただ気を揉むばかりだ。
「ルナールは、いくら可愛らしくても人様の奥さんに手を出す様な軽率な者ではありません。先程の様な心配はエリザさんにだって失礼ですよ。彼の……違った、彼女の貞操観念をも否定する発言は、いくら奥さん可愛さからの心配だとしても、してはいけません!」
「すみません、以後気を付けます……」
最もな柊也の発言にぐうの音も出ず、素直にティオが頭を下げる。柊也が『謝ればよし!』と言いたげな顔で大きく頷いていると、キョトンとした顔をしながら、ルナールが家の中に入って来た。
「どうかされましたか?」
「ルナール!外の様子はどう?大丈夫だった?」
「えぇ、もちろんです」
やっと柊也の顔を見られた嬉しさから、ルナールの尻尾がぶんぶんと揺れている。そんなルナールのわかりやすい反応を見て、柊也から言われた事をティオはしっかりと理解した。
「ところで、エリザは?」
ルナールの姿しか見えず、ティオがルナールに問いかける。だが「さぁ?無事なのは確かですよ」と言われ、ティオはちょっと心配になったが「そう言えば、トマトがどうこう言っていました」と追加された言葉を聞き、晩御飯の用意をしてるのかと勝手に納得した。
実はこの直前。
ルナールに『さて、一緒に居間へ戻りましょうか』と誘われたが、エリザは『三人で話すと仰っていたので、私はまだ外にいます』と返事をしていた。なのに彼は全くその言葉を聞かず、連行されるエイリアンか囚人の様な無様な姿でエリザはズルズルと引き摺られて戻って来ていた。少年ように小さな体では、とてもじゃないが二メートル越えのルナールに抗える筈がなかった。
(ト、トマトって——そんな事、私は一言も言っていませんよー!ルナール様ぁ!)
今の状況的に自分は喋っていけないはずと判断し、エリザは心の中だけで叫んだ。
「ところでトウヤ様。ティオから、『言い訳』とやらは聞けましたか?」
にこーっと意地の悪い笑みを浮かべ、ルナールが言う。
連行されて来たエリザの姿はルナールの長身の体に隠れており、柊也達からは全く見えないままだ。
「あ、聞いてないや」
そう言えばそうだったね、と柊也がティオの顔を見る。『さぁさぁ言ってみなさい』とハッキリ書いてある瞳を向けられ、ティオの額から冷や汗が流れ出た。
こんな澄んだ目をしている相手に、ティオは不純に塗れた動機を絶対に詳しくなど話したくない。話さねばならぬ理由も見出せない。彼はただ、このまま放っておいて欲しいだけなのだから。
「え?いやいやいやいや!そこそこ御納得出来る話はしましたよね⁈『エリザの今の姿が、たまたまツボだったんだ』って。だから『短い間だけでもあのままでいて欲しい』って、ちょっと考えちゃっただけで、別にボクは小児性愛者ではないって!」
ティオの言葉を聞き、ルナールの背後でエリザの肩が揺れた。
(……ち、違うの?そんな……)
先程自分の選んだ決断が『本当に正しいものだったのだろうか?』とエリザの心が不安でいっぱいになった。
「では、エリザさんが元の姿に戻ろうが、今のままであろうが、ティオさんはどっちでも構わないという事ですか?」
ティオと同じく、エリザが同じ部屋に戻って来ている事に気が付いていないままである柊也が、一番の疑問を投げかける。
「当然です!姿形が『女性』だろうが『少年』だろうが、今のボクはちゃんとエリザ本人を愛していますから」
胸を張って、ハッキリと答える。結婚したばかりの頃のティオのままだったならばこうは断言出来なかった事は勿論内緒だ。
夫の姿はルナールの体で見えずとも、そう断言する言の葉に喜び、エリザは瞳を潤ませた。
「姿がどんなに変わろうが、エリザがエリザである事は揺るぎませんからね」
「ティオさん……」
ハッキリ告げた言葉を聞き、柊也が感涙しそうになる。だが「でも、少年の姿が、元の姿よりも、もっと好きなのですよね?」とルナールが現状を台無しにしかねない事をボソッと呟いた。
元来自分に素直なティオが、つい大声で力強く断言してしまった。
「……わぁ。ティオさん、びっくりする程に素直っすね」
『素晴らしい夫の情愛を見たな』とさっきまでは思っていた柊也の目が、一瞬で冷ややかなものになる。『もういっそ、エリザさんの呪いを勝手に解いてやろうかな』とまで考えてしまった。
「だ、だって、めちゃくちゃ可愛いじゃないですか!」
開き直り、ティオが言った。
「従順で気遣いの塊みたいな人が、小さな体で必至に『家業』に勤しむ姿とか……もうっ!」
ギュッと拳を作り、ティオが堰を切ったようにぶちまける。口では『家業』と言ってはいるが、ティオの頭に浮かんでいるワンシーンは残念ながらかなり卑猥な内容だった。
そんな夫の姿をこっそりルナールの脚に隠れながらエリザが見ているが、彼女は褒められている部分だけに反応し、嬉しそうな顔をしていた。
自分の姿がどうなろうが、今のティオなら一緒に居てくれるに違いない。エリザは今までのティオの発言から、そう思えたみたいだ。
「……ア、ティオ。今言った事は全て……本心ですか?」
“アナタ”と呼ぼうとした言葉を、愛しい名前に訂正する。そして エリザがヒョコッとルナールの背後から顔を出し、ティオの顔を仰ぎ見た。
「エ、エリザ⁈い、い、い……いつからそこに?」
ティオの声が裏返り、顔が青ざめていく。全て、エリザが居ない事を前提に話していたので、当然の反応だろう。
「あ、あの……私が、どんな姿を選んでいたとしても、ずっと愛してくれますか?」
「当たり前じゃないか、ボクらは夫婦だろう?……確かに、ちょっと前までのボクだったら、君には……その、どう想っているかとかは、あんまり伝わらなかったかもだけれど」
エリザに対する自分の態度が友人の様なものと大差ない自覚がティオにはあった。だが、それが『自分』であり、『それでもいい』と思ってくれる相手でなければ婚姻関係を続けるなど『以前の彼』には到底無理だった。情熱的恋愛をする傾向の強い獣人の中ではかなり特異な事なのに、それにずっと文句も言わずに合わせてくれたエリザの事をティオは、姿が変わる前からちゃんと好きだった。毎日少しずつ、インテリアとしてしか役立ずになってしまった様な、壊れた砂時計みたいに、驚く程ゆっくりと『恋心』は確かに積もっていったのだ。
一方ルナールは、エリザの言葉の言い回しに対し少しだけヒヤヒヤしていたが、顔色は変えぬまま様子を見ている。彼の頭の中は、当初の予定通り飲み水を貰い、さっさと人様の問題から解放されるために次はどうしようか、といった考えに対しての比重の方が大きい。柊也さえ、『先程エリザに何かあったのでは?』と気が付かなければそれでいいのだ。
(エリザならば、誤魔化せる範囲の発言しかしないでしょう。……多分)
「うふふ、自覚があったのね。でも……それならば、より安心です」
ほっとした顔をし、エリザがルナールから離れ、ティオの元へと遠慮がちに近づいて行く。両手を広げつつ、てちてちと歩く仕草は少年というよりも幼児に近い。きっと自分の行動への照れが隠しきれていないせいだろう。
ティオも両手を広げ、恥ずかしそうなエリザをその胸に優しく抱く。『夫婦が愛を確かめ合ったシーン』と言うよりは『親子の抱擁』にしか見えないが、それでも柊也はちょっと嬉しい気持ちになった。
ギュッと強く抱きしめ合い、どちらからともなくそっと体を離す。
「すみません、お客様の前なのに……」
ティオが謝罪を口にしてはいるが、エリザと見つめ合ったままだ。
「いいんですよ。えっと、僕等はもう行きますね」
これはもう早く二人きりになりたいだろうと思い、柊也が言う。『呪い』の件については、この様子を見る限り、放置で良さそうだなとも判断した。
「そうですね、トウヤ様。もう出ましょう、今すぐに。——ですがティオ、トウヤ様のために飲み水だけは分けて頂けませんか?」
「そうでした!すみません、すっかり忘れて。エリザ、水筒に水を入れて来てもらえないか?」
「はい、すぐに」
頷きながらそう答え、エリザが台所へと駆けて行く。そして 新鮮な飲み水をたっぷり入れた水筒を片手に彼女が居間に戻った時にはもう、三人は玄関先に移動していた。
一歩出遅れながら玄関に来たエリザが「お待たせしました」と声をかけ、水筒をルナールへと渡す。目の合った二人が意味ありげに頷きあい、柔らかに微笑んだ。
「……色々と、ありがとうございました」
「いいんですよ。アレが相手では難ありでしょうが……まぁ、お幸せに」
一言余計な事を言ったルナールに対し、エリザがクスッと笑った。『根はいい人なのだろうな』とは思うのだが、『興味外の相手にはこうなのね』と色々察してしまう。
そんな二人のやり取りを見ていたティオが、ムッとした顔をしながらエリザの腕を引っ張り、子供のように抱え上げる。独占欲丸出しの行動だったが、エリザはとっても嬉しそうだ。
「えっと……お邪魔しました!お水ありがとうございます」
今にも二人だけの世界に入りそうなティオとエリザに、『おーい!まだ僕らが居るからね⁈』と言いたげに大きな声で柊也が礼を言う。
「なんのお構いもできず、すみませんでした。お二人はお忙しい身でしょうから、水筒は差し上げますね」
ティオに抱えられたまま、エリザが申し訳なさそうな顔で頭を下げる。【純なる子】が家に居たのに、水とお茶以外なんのもてなしも出来なかったのが悔やまれてならないが、『早くトウヤ様と二人にさせろ』感が滲み出ているルナールが柊也の傍に居るので、“おばさんっぽさ”を丸出しに引き止めるような事はしなかった。
「これからの道中、お気を付けて下さいね」
そう言ったティオもエリザに続き、柊也達に向かい軽く頭を下げた。
「ではこれで!」と言い、手を振りながら柊也とルナールが再び目的地に向かい歩き出す。そんな二人の姿をティオ達は玄関前で見送り、久しぶりに来た客人は随分とすごい人達だったなぁと二人は思った。
「そうだわ、ティオ。さっきルナール様からすごい物をもらったのよ」
「凄い物?何だろう?気にはなるけど、ルナール様からって辺りが、なんかちょっと怖いなぁ……」
「あのね、あのね、なんと!王妃様の作った——コント?コンチュ?コン……」
『コンフィチュール』という単語を思い出せず、エリザが唸り始めた。
「おいおい、王妃様のコントって何だい。見てはみたいけど、もらうのは無理だよね」
ティオが心底楽しそうに笑っており、エリザから単語を思い出せない悔しさが消えていく。
「『ジャム』!なんかね、とってもオシャレな林檎のジャムをもらったのよ」
「あぁ、『コンフィチュール』の事か。それは確かにスゴイね」
どうして王妃様のお手製品をルナールが持っているんだろう?とティオは疑問に思ったが、【純なる子】の従者なら当然なのかな?という考えに落ち着いた。
「ま!ティオは知ってるの?……なんか腹が立つわ、私よりも年下なのに」
「ごめんごめん。そんなに怒らないで、怒っても可愛いだけだよ?」
ポカポカとエリザに胸を叩かれるが、ティオはただただ笑うばかりだ。いつかこの姿のエリザとは会えなくなるんだなと思うと、この一瞬一瞬がとても貴重なものに思える。怒ろうが、拗ねようが、全てを一生忘れまいとティオは心に誓った。
「……エリザ、さっきの続きをしよっか」
「っ!」
——この先。エリザは元の姿に戻る事は無いのだが、それを彼が知るのはもっと先の事だ。