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四人と一人は、いつもと同じようにテーブルを囲んだ。だが今夜は、誰もすぐには口を開かなかった。
ミラが両手で包んだマグを見つめたまま、そっと顔を上げる。
「ねぇ、ダリウス……」
金のまつげが小さく震えた。
「次のボス……前線から下がった方がいいんじゃないかな?」
ダリウスの指が、マグの取っ手のところで止まる。
向かい側で、オットーが無精ひげを指でなぞり、視線を自分のマグに落とした。
「……そうだな」
低く、喉の奥から絞り出すような声だった。
「前線は、俺がなんとかするぞ」
(あぁ……間に合わなかった)
胸の内側で、ダリウスがつぶやく。
ミラの視線も、オットーの言葉も、全部「優しさ」だとわかっている。それでも、自分の足元へ影が落ちてくる気配だけが、妙に生々しく耳に入った。
だからこそ、彼は口角を上げる。
「ありがとう。わか――」
「ダメよ」
刃物みたいに、短い声が差し込んだ。
エリーだった。
マグを口元まで持ち上げかけていた全員の動きが止まり、視線が一斉に青髪のエルフへ向く。
エリーは焚き火を映した瞳で、ダリウスだけをまっすぐ射抜いた。
「前に出なさい」
火が、ぱち、と爆ぜる。
「あなたには……いいえ、“あなたたち”には、守りに入る時間なんて残っていないの」
(これは賭けよ)
(この階層のボスで《深き森》を自分のものにできるかどうか――じゃなきゃ、先の階層で全員、静かに死ぬ)
胸の内側でだけ、エリーは賭け金を積む。
「おい」
低い声が落ちた。オットーだ。
いつもの冗談めいた調子は消え、酒場の喧嘩を止める老兵みたいな重さだけが残っている。
「なんだかは知らねぇが……ダリウスにはそれが必要か?」
真正面から向けられた問いに、エリーも視線を返した。
「必要よ」
短く、迷いなく。
オットーはしばらく黙ったまま、エリーの瞳を覗き込む。焚き火の明かりが、刻まれた皺に揺れる影を落とした。
「それは、“今この時”に必要なんだな?」
言葉が一歩、踏み込む。
エリーは瞬きもせず、受け止めた。
「ええ」
返事は揺れない。
オットーは長く息を吐き、いつもの癖で頭をがしがし掻いた。
「……わかった」
「お前がそう言うんなら、信じるよ」
「おいおい、ちょっと待て――」
ダリウスが慌てて口を挟む。輪の空気が崩れないように、どこかが必死だった。
「お前ら、そんな大事な話を俺抜きで進めるな――」
「ダリウス」
エドガーが穏やかな声で遮った。視線が、逃げない。
「決めるのは、リーダーのあなたです」
静かな言葉なのに、熱を含んでいる。
「もしあなたが前に出ると決めるなら――私は、全力でバックアップしますよ」
ミラも、オットーも、エリーも黙ったままダリウスを見ていた。冗談も笑いもない。火の音だけが小さく続く。
(……ああ、そうか)
ダリウスは一度、ゆっくり目を閉じた。
鼓動がうるさくならないように、呼吸をひとつ整える。吸って、吐く。目を開ける。
迷いはなかった。
「……ありがとう、エドガー」
焚き火の明かりの中で、彼は笑った。さっきまでの引きつりではなく、肩の力が抜けた笑みだ。
「明日、俺が前でバテたら――回収、頼む」
「ええ、もちろん」
エドガーも笑みを返す。
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次に、ダリウスはオットーへ顔を向けた。
「オットー。俺がいないあいだ、前線はかなり厳しくなる。けど――任せていいか?」
「だからよ」
オットーは爪楊枝で歯の間をしゅっしゅと掻きながら肩をすくめる。
「お前が言うなら、そうするさ」
それからミラへ。
「ミラ――」
金の髪が、火の光で小さく揺れる。
「明日は、お前が何もしなくても勝つ。……心配させずに、勝ってみせるよ」
ミラは唇をきゅっと結び、いったん目を伏せた。次に上げた顔には、決意が乗っている。
「……うん」
小さいのに、はっきりした声だった。
「決めたんだよね? だったら、私も全力でみんなを助けるから。後ろからでも、絶対に」
その様子を、エリーは黙って見ていた。口元が、ゆっくり薄くゆるむ。
沈黙を区切るように、ダリウスがぱん、と手を叩いた。
「よし。じゃあ気を取り直して――明日もいつも通り、想定モンスターから始めようか」
号令みたいな一言に、三人が「おっ」と顔を上げる。
「シーサーペント、クラーケンあたりが妥当ですかね?」
エドガーが真顔で軍師のように言う。もう完全に「作戦会議モード」だ。
「水辺の魔物にこだわらず想定しようぜ」
オットーも顎をかき、いつもの“経験者の顔”になる。
「うーん、なんだろう……」
ミラは腕を組み、真剣に考え込んだ。
ここまでは、いつも通りの老齢の塔キャンプ夜会議だった。
ただ一人を除いて。
エリーは四人の顔と焚き火を交互に見回し、眉をひそめた。
「……????」
耐え切れず、口を挟む。
「ちょっと。あなたたち、いったい何してるの?」
「え?」
ダリウス、エドガー、ミラ、オットーが揃って間の抜けた声を出す。
エリーはこめかみに指を当て、ゆっくり言葉を並べた。
「……もしかして、ボス部屋の魔物を“予測”してるの?」
四人「え?」第二弾。
「だったら、それ意味ないわよ」
「え?」
今度はハモり具合が完璧だった。
エリーはため息をひとつ落とし、淡々と告げる。
「意識が読めるこの塔に、そんなの通じるわけないでしょう」
四人は沈黙ごと固まった。焚き火のぱちぱちという音だけが、頭上を通り過ぎていく。
エリーは表情を引き締め、声を落とす。
「この塔はね。試練もボス部屋も、“願う祝福”の大きさによって姿を変えるの」
夜の空気が、わずかに重くなる。
「あなたたちの場合、望んでいるのは病気の治癒なんて生ぬるいものじゃない。もう“死の回避”よ。代償は、当然かなり大きくなる」
青い瞳に焚き火の揺らぎが映った。
「ボス部屋でエルダードラゴンが出てきたのが、その証拠よ」
ごくり、と誰かの喉が鳴った。
ミラが両手を胸の前でぎゅっと握りしめ、恐る恐る口を開く。
「それって……」
揺れる視線が、仲間たちをなぞる。
「それって、もしかして……私のせいで、みんな毎回、死にかけてるってこと……?」
火が、ミラの横顔に影を落とした。
エリーは三人――オットー、エドガー、ダリウス――をちらりと見渡し、肩をすくめる。
「気にしちゃダメよ」
その前置きに、ミラの顔がぱっと上がる。
「こいつらが中年で、弱いのが悪いんだから」
「返す言葉もねぇな」
オットーは頭の後ろで手を組んだまま、天井の見えない暗がりを仰ぐ。
「全くですね」
エドガーも諦めのように息をひとつ落とす。
ダリウスは小さく笑い、ミラの頭に手を置いた。
「ミラ。そういうことだから、気にするな」
ミラは一度「でも」と言いかけ、唇を噛みしめた。やがて、小さくうなずく。
「……うん」
それを見て、エリーは目に見えない息をこぼす。
「そういうことだから、今日はもう早く寝なさい」
淡々としているのに、どこか柔らかい。
「連携のパターンは、ここまでの階層で散々試した通りにやればいいわ。余計なことを考えずにね」
そう言って踵を返し、テントへ歩き出す。
布の入り口に手をかけたところで、ふと足が止まった。振り返る。
焚き火の光が、横顔だけを照らす。
「――おやすみなさい」
今度の声は、驚くほど優しかった。
ミラが目を丸くし、オットーが瞬きを忘れ、エドガーがわずかに息を飲む。
エリーは全員の目を、順に一度だけ見据える。
「もしもの時は、私が必ず守るから」
それだけ告げて、テントの影に消えていった。
テントの中は、嘘みたいに静かだった。
灯りは落としてある。ランタンの残り火が、布越しにぼんやり薄明かりを落としているだけだ。
寝袋に仰向けで潜り込みながら、エリーは天井――帆布をただ見上げた。
(……誰かが作ってくれたご飯なんて)
ふと、そんな思考が浮かぶ。
(千年ぶり、くらいかもしれないわね)
さっき口にしたドリアの熱さと、チーズの香りが、まだ舌の奥に居座っている気がした。湯気の向こうの笑い声。くだらない冗談。ミラのはしゃぎ声と、オットーの馬鹿笑いと、エドガーのどうでもいい薀蓄。
(…………美味しかったな)
そう思ってしまった自分に気づき、眉間に皺が寄る。
(美味しかったし、楽しかった)
胸の奥が、きゅう、と鳴った。
エリーは寝袋の中でごろりと寝返りを打つ。布が、かさ、と擦れた。その音がやけに大きい。
(完全に、一線を超えた)
距離を取っていればよかった。干し肉をかじって、冷たい水を飲んで、それで終わりにできればよかった。
(もう、引き返せない)
目を閉じると、ダリウスの「任せろ」という顔が浮かぶ。オットーの不器用な信頼の目が浮かぶ。ミラの「家族でしょ?」とでも言いたげな笑顔が浮かぶ。そして――
(また、一人になる)
一瞬だけ、昔の焚き火が重なりかける。炎の向こう側で、膝に開いた魔導書を指でなぞりながら笑っていた誰かの横顔。像が結びそうになって、エリーは慌てて闇の底へ沈めた。
ぽつりと、心の中で言葉が落ちる。静寂が過去と現在をごちゃ混ぜにして、遠い記憶を掘り起こそうとする。
エリーは寝袋の口をぎゅっと締め、目を固く閉じた。
(……だから嫌なのよ、こういうの)
胸の奥の痛みをごまかすように、浅い眠りへ身を投げ込むしかなかった。