テラーノベル
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#ハッピーエンド
26
大きな扉が、ゴゴゴゴ……と塔そのものの腹の底から響くような音を立てて開いていく。
暗闇に沈んでいた巨大な空間の壁面に、ぱち、ぱち、と松明の火がひとつずつ灯った。橙の輪が闇を押し返し、広大なボス部屋の輪郭が、ゆっくりと浮かび上がる。
本来なら、その中央には——。
巨大な魔物が、威圧感たっぷりに陣取っているはずだった。
「えっ!?」
最初に声を上げたのはミラだ。
見渡す限り、広い床。あるべき場所に、巨大な影がない。
「空中か!? 隊列を組むぞ!!」
ダリウスの声が飛ぶやいなや、三人の身体は条件反射で動いた。
ダリウスが一歩前へ出て剣を構え、オットーが半歩後ろで盾を掲げ、エドガーが下がりながら魔導書を開く。視線は一斉に天井へ跳ね上がり、空中を警戒したまま、無駄のない陣形が固まった。
熟練の冒険者ならではの、「説明不要」の連携だった。
「わ、わっ——!」
ミラは二、三歩遅れて駆け出す。エドガーの背後に滑り込もうと、真剣な顔で手足をばたばたさせた、その瞬間——。
ズドン、と嫌な音がした。
地面が沈むように、三ヶ所で床が崩れ落ちた。
「っ!?」
床に、真円に近い巨大な穴が三つ。底の暗がりで、うごめく影と重たい息づかいが確かに蠢いている。
「トラップ!?」
「クソがぁ!」
「……チッ」
ダリウス、オットー、エドガーは、それぞれ自分の足元に開いた穴へと、抗う暇もなく飲み込まれていった。
視界がぐるりと反転し、三人の姿が闇に吸われる。
「きゃ——!」
ミラの足場も崩れ、身体がふわりと宙に投げ出される——が、その腰を横合いから伸びた腕がしっかり掴んだ。
「……っと。暴れないで」
「エリー!!」
ミラが顔を上げると、そこには青髪の魔女がいた。
エリーは片腕でミラを抱えたまま、足元に淡く光る魔法陣を展開している。薄青い紋様が空中に広がり、二人の身体をふわりと支えた。
底の見えない大穴の上を滑るように漂いながら、エリーは心底うんざりしたように息を吐く。
「……つくづく、このダンジョンに愛されているのね、あの中年三人組」
ミラは慌てて下を覗き込み、真剣な表情で手足をばたばたさせた。
「エリー!! その空飛ぶやつで、みんな助けに行こうよ!」
必死の声に、エリーはミラを軽く持ち上げて、そっと魔法陣の上に立たせた。ミラの足元にも光の紋が広がり、ひとまず体がぶれなくなる。
「いえ」
エリーは首を横に振り、背筋を伸ばす。
「ここから三人の動きを見ながら、必要になれば援護するわ」
そう言って、青い瞳を細めた。
「——《鷹の目》、発動」
虹彩が淡く光り、穴の底の暗がりが輪郭を持つ。そこに潜む魔物たち、落ちていった仲間たちの位置が、ひとつずつ像を結んでいく。
「でも……」
ミラは俯き、拳をぎゅっと握った。
「……」
言いたいことは山ほどある。今すぐ飛んでいって、オットーの前に結界を張りたいし、ダリウスに治癒魔法をかけたいし、エドガーの盾役だってやりたい。
けれど——。
「一人助けに行って、その間、残りの二人はどうするの?」
エリーの声は淡々としていた。責めも慰めもなく、ただ事実だけを机に置くみたいに。
ミラはゆっくり顔を上げ、エリーをまっすぐ見た。
「…………わかった」
小さく息を吸い込み、言葉を選ぶ。
「前にいかないことが、私の仕事だよね?」
エリーの口元に、わずかな笑みが浮かぶ。
背中から弓を抜き、いつでも矢を番えられるように構えたまま、静かに頷く。
「そうよ」
矢羽根に添えた指に、ぎゅっと力が入る。
「よく、わかってきたじゃない」
弓を握る掌が、じんと痺れる。
(——さすがに厳しいけど)
(ここが踏ん張りどころよ)
高所でふたりを乗せた魔法陣は、ゆっくりと三つの大穴の真上へ移動していった。見下ろす視界の先で——中年三人と三体の魔物の、別々の地獄が同時に口を開けようとしていた。
*
まず落ちたのは、オットーだった。
「——《シールドバッシュ》!!」
反射的に叫び、掲げた盾が眩い光を放つ。半透明の光盾が身体を包み込み、落下の衝撃を受け止めるように弾んだ。
ドンッ、と鈍い音を立てて着地。膝に衝撃は走ったが、骨が軋むほどではない。
「ふぅ……危ねぇ」
息を吐き、盾を構え直す。
目の前に、巨体がぬうっと影を落とした。
岩を削り出したようなごつごつした皮膚。節くれ立った筋肉が盛り上がった腕。その右手には、人間用の斧が玩具に見えるほど巨大な大斧。
ぎょろり、と赤い眼がひとつ、オットーを見下ろした。
「ちっ……またお前かよ」
オットーの口から、自然と悪態がこぼれた。
オーガ——。かつて十階層で、彼の足を切断した魔物が、そこにいた。
*
同じ頃。
「——《深き森》」
ダリウスは、落下しながら静かに息を吐いた。
意識が、すとん、と沈む。
背中側の岩壁が迫る瞬間、剣を逆手に持ち替え、切っ先を壁に突き立てた。
ぎぃいいい——!
火花が散り、鋼と石が擦れ合う。衝撃を肩と肘と腰のしなりで逃がしながら、落下速度をじわりと殺していく。
ある程度まで減速したところで剣を引き抜き、壁を蹴った。
空中で身体をひねり、両足、片手、剣先——と、五点で床を捉える。
コツ、と床を踏む音。着地は、それだけで終わった。
顔を上げる。
そこにいたものを見て、ダリウスは無意識に息を呑んだ。
四肢は鋼鉄の柱のように太く重い。大きく息を吸い込めば、それだけで吐息が上級魔法のブレスになりそうな圧。岩盤を紙屑みたいに削り飛ばすだろう爪。
全身を覆う赤い鱗は、一枚一枚が巨大なプレートアーマーのように重なり合い、松明の光を弾いて不吉な光沢を放っている。
巨大な頭部が、ぐぐ、とこちらを向いた。黄金の瞳が、虫けらでも見るような冷たさでダリウスを射抜く。
「……ドラゴン、か」
ダリウスは小さく笑った。笑うしかなかった。
「これが塔の意思か? 連携も何もあったもんじゃないな」
冗談めかした言葉とは裏腹に、握る剣の柄がじっとり湿っていく。
*
一方その頃——。
「……ガルゥ……ジィン——《伸縮紐》!」
エドガーは落下中にも関わらず、滑らかな発音とリズムで詠唱を終えた。
パシンッ、と乾いた音が響く。
透明な魔力の紐が、穴の側面から突き出した岩の出っ張りに巻きつき、ぴんと張る。紐がエドガーの身体にも絡み、びよん、と弾むように落下の勢いを受け止めた。
最後はやや不格好に尻もちをついたが、致命傷には程遠い。
「ふぅ……あぶないあぶない」
埃を払って立ち上がる。
その正面に——影が、あった。
大人二人分は優にある巨体。灰色の剛毛に覆われた体躯。口元から覗く鋭く長い牙。二本の脚で立ち、人間じみたバランスで前傾姿勢を取る。
黄色く光る獣眼が、じろりとエドガーを見据えていた。
ワーウルフ。
かつて彼らの命を狙った、あの魔物と同じ種——いや、もしかすると。
「おや……」
エドガーは一歩だけ退き、乾いた笑みを浮かべた。
「……久しぶりですね」
(まずいですね……後衛職が一人きり。そのうえ、あれは魔法耐性持ち……二重詠唱の貫通術式、間に合いますかね)
ワーウルフが地を抉るように後ろ足で蹴った。
岩場を砕く勢いで距離が詰まる。振りかざされた爪は、岩に筋を刻めそうな鋭さだった。
「フルゥ……エルシィ——《魔導糸》!」
エドガーの指先から白い糸と銀の針が奔る。糸が地面を縫うように走り、ワーウルフの足首を貫いて背後の床に縫い付けた。
バチン、と音がして、獣の巨体が僅かにつんのめる。
エドガーはその隙に、土埃を巻き上げながら後ろへ距離を取った。
(よし、これで詠唱の時間は——)
そう考えたのも、ほんの数秒。
ワーウルフがぎろりと睨む。爪が閃いたと思った瞬間、糸は断ち切られていた。
十秒も持たない。
(……早すぎる。爪を使って、ピンポイントで……相変わらず賢いですね)
解き放たれた獣が、再び地を蹴る。今度は腕だけでなく、全身をばねのようにしならせた突進だ。
振り下ろされる爪を、エドガーは転がり、紙一重で避ける。肩口すれすれを、冷たい刃の風が撫でていった。
(ふぅ……前衛は、いつもこんな死線をくぐっているんですね……)
立ち上がりざま、魔導書を胸元に抱え直す。
(集中しろ、エドガー。考えろ……!)
ワーウルフが低く唸り、牙を剥き出しにして迫る。大きく開いた口腔の黒が間近に迫った。
「ガルゥ……ジィン——《伸縮紐》!」
エドガーはとっさに手をかざした。
透明な紐が獣の顎の間へ滑り込み、上下の牙の間にぐるりと巻きつく。もう一方の端は、横の岩壁の突起へ。
「縮め!」
虫眼鏡をワーウルフに向けて叫ぶ。
ぴん、と音を立てて紐が一気に縮んだ。
ごしゃん!
巨体が横向きに引き倒され、そのまま壁へ叩きつけられる。岩壁がひび割れ、粉塵が舞った。
「フルゥ……エルシィ——《魔導糸》!」
間髪入れず、エドガーは次の術式を紡ぐ。
針と糸が奔り、ワーウルフの脚へ絡みついた。何重にも巻きつき、その場に縫い止めるように締め上げる。
固定を確認すると、エドガーは魔導書の別ページへ栞をめくった。
(……急がないと。貫通術式を完成させる時間を、ここで稼がないと)
ワーウルフが、くぐもった唸り声を上げる。
伸縮紐を牙であっさり噛み千切ると、全身の輪郭がぐにゃりと歪んだ。
二本足の姿勢から骨格が変形し、背が丸まり、四足歩行へ移行していく。筋肉がしなるように移動し、体勢が低く、地を這う獣そのものの形へ。
その過程で脚は細くしなやかに変わり——
さきほどまで「太い脚」を縛っていた糸は、ギチギチと鳴りながらも、締め切る前にふっと緩んだ。
次の瞬間、ひゅるりと空を舞い、頼りなく地面に落ちる。
拘束が解けた。
「……くっ。本当に、こざかしい!」
エドガーは舌打ちし、詠唱を中断する。代わりに身体を反転させ、回避へ切り替えた。
爪が目の前を掠め、石片が頬に当たって飛び散る。
(距離を詰められた……!)
「ガルゥ……ジィン——《伸縮紐》!」
今度は紐がエドガー自身に巻きつき、もう片方は少し高く突き出した岩へ飛ぶ。
ぎゅん、と身体が引かれ、ワーウルフの一撃が空を切る。エドガーは岩の上へ転がり込み、かろうじて距離を取り戻した。
片膝をつき、息を整える。
少し上空——高所から、その様子を見ている青髪の魔女がいた。魔法陣に立ち、弓を構えたまま。
(エドガー……あなたは、魔法を“百”の精度で再現できる)
(だからこそ、決定的に足りないものがあるのよ……)
エリーの青い瞳が、鋭くもどこか惜しむように細められる。
一方、岩の上のエドガーは荒い呼吸のまま額の汗を拭った。
(どうする……考えろ。何か手はないか!?)
目の前でワーウルフが身をかがめ、次の一歩を踏み出そうとしている。その姿を見据えながら——ふと、まるで別の光景が脳裏をかすめた。
潮風の匂い。
きしむ小舟。
小さな船に網をのせ、波に揺られながら沖へ出ていく、痩せた背中。
父が振り返りもせずに網を投げる。弧を描いて広がり、陽光を受けてきらりと光る縄目——。
(……!!?)
エドガーの瞳に、一瞬だけ驚きの色が灯る。指先が、無意識に魔導書の“糸”の術式のページをなぞった。
「フルゥ……エルシィ——《魔導糸》」
声に応じて、頁から細い光の糸が奔った。先ほどまでの“縫い付ける”直線ではない。空中で幾重にも交差し、輪を描き、編まれていく。
(できるか……? 違う、“やる”んだ。集中しろ。制御しろ)
突進してくる四足の獣の輪郭に合わせ、光の糸がぱっと広がった。潮風の中、父が放った投網の軌跡と同じように——。
ばさり、と網が落ちる。
ワーウルフの巨体が、その場で縺れるようにつんのめった。
「ふぅ……なるほど。こんな使い方も、あるんですね」
荒い息をひとつ吐き、エドガーは虫眼鏡の奥の視界を細めた。
「……ですが、念には念を入れましょう」
(まだだ。さっきよりさらに細かく、正確に)
「フルゥ……エルシィ——《魔導糸》」
今度は、糸と針が狂ったような速度で動き出した。より太く、より密に束ねられていく。
きしり、と空気が鳴る。
編み上がったのは、一本の“綱”だった。膨れ上がる筋肉を見越して余裕を潰すように、ワーウルフの胴へ、首へ、腕へと巻きつき、容赦なく締め上げていく。
「ガァ……ッ!」
獣が苦鳴とも怒号ともつかぬ声をあげる。形態変化し、四足から二足へ——だが、細く長い四肢は逆に枷となり、綱はさらに深く肉に食い込んだ。
ギリギリ、と繊維が軋む音。
綱が負けているのではない。獣の筋肉と骨格が、抗いながらも一歩ずつ折られていく音だった。
仰け反った首に綱が食い込む。ワーウルフの咆哮は、途中で途切れた。
「……ふぅ。では——」
エドガーはゆっくり虫眼鏡を取り出した。懐から小瓶を出し、慣れた手つきで目薬を一滴、瞳に落とす。
「さぁ、ここからは——私の芸術的魔術詠唱を、あなたにだけ特別に披露しますよ」
縛り上げられ、身動きの取れないワーウルフの前で、エドガーは一歩踏み出した。
数分後、洞窟の一角を白熱の炎柱が呑み込む。轟音と熱風が吹き抜け、灰と焦げた毛の匂いが立ち昇った。
炎が収まったとき——そこに“敵”と呼べるものは、もう何ひとつ残ってはいなかった。
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