テラーノベル
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今日一日を大事に大事に過ごした。
あっという間に夜になってしまって、子と「また明日ね。いい子でおやすみ」と挨拶をしたあと、どうにも離れがたくてまた抱き締めさせてもらう。
眠そうに目を擦る子の額にキスをしたあと、「愛してるわ」と自然に口からこぼれた。
(でもどうしてかしら。名前を呼ぼうとすると言葉に詰まってしまう……。どんな名前だったか思い出せない……?)
もやもやした気持ちをおくびにも出さず笑顔で見送る。
夫婦の寝室に入ったあとは、もう母の顔をする必要はなかった。
肩の力が抜けるような感覚があり、まるで慣れないことをしたあとみたいな疲労感に襲われる。
グウェンダルといっしょにベッドに入り、彼の上に寝そべった。胸板に耳をつけて心音を聞いていると心地いい眠気に誘われる。
絶対に眠りたくなくて必死に抗っていれば、不意に「メリーティア」と硬い声で呼ばれた。
「なあに?」
「何かあったのか? 今日は様子が変だ」
グウェンダルに隠し事をするのは難しい。それだけ長い間ずっと共に過ごしてきたため機微に聡く、メリーティアの憂いを払おうとしていつも上手に心を暴いてくるのだ。
メリーティアも結局は彼に甘えたい気持ちが強いため、もともと心の扉はほころびまくりだった。
でもどうしてか今日は弱さを見せることに抵抗を感じて「いつもどおりよ」と答えていた。
今こうしている間にも油断をすると涙が出そうになるのはなぜなのか――自分でも説明がつかないから、誤魔化すしかなかったのも理由のひとつだ。
「だが、ずっと不安そうだ」
(だって、この幸せな時間が夢のようで、いつか覚めてしまいそうな気がして怖いの)
「悪夢を見たからかしら」
「……どんな悪夢だったんだ?」
悪夢の内容を語るくらいならかまわないだろう、と寝物語のようにぽつぽつと話した。話しだすと止まらなかった。
夢の中で起こった最悪な出来事の数々と、せっかくやり直しの機会をもらったのにグウェンダルを利用して傷つけてしまったことなどを、ときどき言葉に詰まりながらも気づけばすべて語っていた。
「――わたし、あなたにひどいことをしたわ。あなたがどんなわたしでも嫌いになってくれないとわかっていたら、あんなことしなかったのに」
黙って聞いていたグウェンダルが、そこで初めて口を挟んできた。
「きっと私はひどいことをされただなんて思っていない。それよりも、君に頼られないことを嘆いただろう」
グウェンダルを頼るというのは、メリーティアの復讐のために彼も悪事に手を染めさせるということだ。
「いっしょに地獄に堕ちてほしいなんて言えないわ」
「私は、君のためならどこへでも行ける」
「わたしがいやなの」
グウェンダルにそこは似合わない。
その場所は、救いようのない悪人の行くところだ。
それに、メリーティアは同じところへは行けない。夢の内容ではニルス神のもとに向かうことが決まっていたため、グウェンダルひとりだけが堕ちることになってしまう。
共に堕ちるならまだしも、そんなの受け入れられるはずがなかった。
「同じ悪夢を何度繰り返し見ても、私は君を傍で守り続けようとするだろう。君の行動が変わっても、それだけは変わらないと断言できる」
「……どうして?」
「初めて会った瞬間、私は君を守るために生まれてきたと感じた」
「……ふふ、意外とロマンティックね」
「冗談じゃないぞ。君のためならなんでもできる、なんでもしてあげたいと思ったんだ。付き合いが長くなればなるほどこの気持ちは強まっていき、今の私をつくりあげた」
「……うん」
頭を優しく撫でられるせいで、瞼が重くなってくる。
「だから、私を傷つけたと気に病む必要はない。私を想うなら、次に悪夢を見たそのときはどうか頼ってほしい。きっと私は、君にそうされるのを待っているはずだ」
「そうかしら……?」
「ああ、間違いない」
グウェンダルは一拍置いてふたたび口を開く。
「なぜなら私は、君を愛しているから」
胸に深く染みわたる優しくて甘い低い声だった。
心臓が締めつけられるような感覚は幸せな苦しみを生み、このまま鼓動が止まってもいいとさえ思ってしまう。
グウェンダルの愛の言葉は、メリーティアを満たした。
「ねぇグウェンダル、愛しているわ」
大事にそっと告げる。
毎日言い慣れているはずなのに、不思議とひさしぶりにその言葉を口に出した気がした。そのせいか声がひどく掠れてしまう。
「わたし幸せよ。あなたがいて、あの子がいる」
何日も、何カ月も我慢していたみたいに言葉が溢れてくる。
「できればもーっとたくさん子供がほしいわ」
静かに聞いてくれているグウェンダルは、穏やかな笑みを浮かべながら今度は頬を撫でてきた。
「それでたくさんの孫に囲まれて、あなたとふたり老いていくの」
想像するだけで涙が出てしまうくらい幸福な未来だ。決して夢に描いたようなものではない。グウェンダルと歩んでいく先にそんな光景がはっきり見えていた。
メリーティアの人生は幸せが約束されている。輝きに満ちている。だから苦しいことも、つらいことも、悪いことも何も起こらなくて当然なのだ。
そのうえグウェンダルがいれば何も怖くない。
彼とならどんな困難だって乗り越えていける気がするから。
「愛してる、グウェンダル。ずっと愛しているわ」
――するりと頬を撫でられる感触がして、微睡みから意識が浮上する。
(……またいつの間にか眠ってしまっていたみたいね……)
今夜は悪夢を見なかったことにほっとした。
いつもグウェンダルは朝の鍛錬で先にベッドを出てしまうのに、まだ隣に存在を感じる。そのおかげだろうか。安心する胸板にすり寄ってから、重い瞼をゆっくりと開いた。
「おはよう、メリーティア。いい夢を見ていたみたいだね」
ひゅっ、と息を呑んだ。
叫ばなかっただけよく我慢したと思う。
愛おしそうに見つめてくるケイリクスに吐き気がした。
(ああわたしは、なんて夢を……っ)
現実は悪夢よりもよほど醜悪だ。
しかしいちばん醜悪なのは自分だった。
(わたしがかけてほしかった言葉を、夢でグウェンダルに言わせてしまった)
それが心苦しかった。
彼に許されようだなんて思ってはいけないのに、心の奥底では理解してほしい、慰めてほしい、まだ愛していてほしいと願っているのは烏滸がましいにもほどがある。
自己嫌悪に苛まれるなかで、ケイリクスに対して必死に取り繕った笑顔を向けるので精一杯だった。
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