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教室の空気が昼の陽に溶け、眠気すら誘っているはずの時間帯――遥の背中は、窓からの光を受けながらも、どこか薄く透明に見えた。日下部はそんな遥を視界の端に捉えながら、授業に集中するふりをしていた。
昨日のことが、引っかかっている。
遥が、自分のジャージを黙って返してきたあの瞬間。
「……ありがとう」と呟いた声は、素直すぎて、どこか不自然だった。
まるで、誰か別の人間の台詞を模写したみたいに。
授業が終わり、ざわつきが広がる中で、日下部はふと立ち上がって遥の机へと向かった。
何の理由もなく、ただ――様子を、見たかった。
「なあ……最近、なんか元気ないな」
その言葉に、遥はぴくりと肩を揺らした。
けれど顔は向けず、ただ「は?」と気の抜けた声を返す。
「元気とか、ねぇし。つか、元からこうだけど」
吐き捨てるようなその言葉に、日下部はほんの少しだけ違和感を覚えた。
(本当に、元から……こうだったか?)
少なくとも、あのとき見せた「ありがとう」は、この口調とは正反対だった。
何かが――少しずつ、変わっている。
その夜。
遥はスマホを握ったまま、布団の中でじっと天井を見つめていた。
画面には未送信のメッセージ。
「もういいよ、おまえも」
それを打ちかけて、消す。打って、また消す。
(なんで……まだ、いるの?)
日下部のことだ。
いくらでも距離を置けた。いくらでも見ないふりできたはずなのに。
優しさが怖い。
信じた瞬間、手のひらを裏返される。
過去、何度もそうだった。
優しさは、罠だった。期待させて、後から引き剥がされる。
だから――先に自分から、壊しておきたくなる。
拒絶される前に、拒絶しておきたい。
愛されるような価値は、自分にはないって。
思い知らされる前に、自分で証明したくなる。
(日下部なんか、信じてない)
(……でも、どこかで、信じたくてたまらない)
そんな矛盾が、遥の中で暴れていた。
次の日の昼休み。
遥はふいに日下部の机の上に、パンの袋を叩きつけた。
「これ。おまえにしか買えねぇヤツだったんだろ?別に、欲しかったわけじゃねぇけど?」
投げやりな口調。
けれど、その言葉の奥には、“覚えてた”という事実が滲んでいる。
日下部は受け取らなかった。代わりにじっと遥を見つめる。
「……なんで、そういうことするんだ」
遥は一瞬だけ目を逸らした。
けれどすぐに、笑った。皮肉めいた、あの“からっぽな笑い”で。
「さあ?意味なんかねーよ、バカにしてんだろ、どうせ」
それでも、日下部は笑い返さなかった。
「俺、バカじゃねぇよ。お前のこと、ちゃんと見てるから」
その言葉に、遥の笑顔が一瞬止まった。
それが痛みだったのか、怒りだったのか――
遥自身にもわからなかった。
(試してるんだ、俺……)
(こいつが、どこまで“本気”なのか。どこまで“見てる”って、言えるのか)
――その夜、遥はまた未送信のメッセージを打っていた。
「うざい」
「やめろ」
「なんで逃げねぇの」
そしてそのすべてを、消した。