蒼に抱かれながら、私は自分の弱さを受け入れた。
たった三週間が三か月にも三年にも感じた。今は一緒にいるべきではないとわかっているのに、もう蒼の手を離せる気がしなかった。
子供が出来るかもしれない危機感と緊張感も、快感の前には些細な感情に思えたくらいだ。
違う。
子供が出来たら、堂々と蒼を私のものに出来ると思った。たとえ結婚できなくても、蒼に似た子供がいたら、それだけで生きていける気がした。
だから、私は蒼が止まれないように、彼をきつく締め付けて放さなかった。
あんなに悩んで、あんなに泣いて、あんなに格好つけたのに、最後は自暴自棄にも似たような決断だった。
もうっ! どうにでもなれ!
女は度胸だ!
夜まで何度となくセックスをして、デリバリーのピザを食べて、ベッドで抱き合っているうちに、蒼は眠ってしまった。
私は皺だらけのスーツを着て、タクシーでウィークリーマンションに帰り、着替えて必要なものを持って、翌日の朝食の材料を買ってから蒼のマンションに帰った。
私が出て行って、帰ってきたことに気が付かないほど、蒼の眠りは深かった。
フィナンシャルに異動してから、毎日日付が変わるまで会社にいるか、仕事を持ち帰っているようだと、真から聞いていた。
真が蒼のためにとお父さんを呼び寄せた時も、驚きはしたけれど、真がそこまでするほど蒼が追い込まれていることが心配だった。
こうして蒼の寝顔を見ていると、蒼と距離をおこうと強がって無理をしていたことが馬鹿らしく思える。
結局……、蒼なら私のすべてを知っても受け入れてくれると信じきることも、受け入れてもらえなくても一緒にいられて幸せだったと諦めることも出来ない私の弱さが、自分の首を絞めただけだった。
『お前は自分が思ってるほど器用じゃない』
真の言葉が思い出される。
『本当のことを知ったって、あいつはきっと変わらない』
私より真の方が、よっぽど蒼のことをわかってるわね……。
ナイトテーブルのライトを消そうとして、少し開いた引き出しが目に留まった。
見覚えのある箱。
『必ずその指輪を取り戻す』
確かに、私は蒼に言った。
引き出しを閉め、ライトを消して、私は寝室を出た。
薄暗いリビングで、今日の戦利品をじっくりと吟味した。
内藤社長のUSBメモリーのデータは私より充副社長の手にあるべきものと判断して、別のUSBメモリーにコピーをした。ディスクのデータはPCに移して、さらに侑との共有フォルダにアップした。
同じように内藤社長の秘書のPCにあったデータを選別して、侑に短いメッセージを送った。すぐに、静かな部屋にCyndi Lauperの『Time After Time』のメロディーが鳴り響いた。
昼間、面倒をかけた手前、侑と直接話すのは緊張した。
「もしもし……」
『今度、今日みたいなことがあたら、お前の部下を辞めるからな』
有無を言わさない物言いに、侑の怒りがひしひしと伝わった。私の暴走を心配して、侑は蒼に、次いで充さんに連絡した。もともと蒼の見合いを壊そうとホテルにいた充さんは侑からの電話を受けて、蒼を私の元へと走らせたというわけだ。
「ごめんなさい……」と、私は素直に謝った。
『で、収穫は?』
「共有フォルダに」
『確認する』
「侑!」
電話を切ろうとした侑を、私は呼び止めた。
「百合さんの謹慎は終わりよ」
『え?』
「百合さんに直接伝えて」
『……わかった』
私はスマホをテーブルに置いて、無心でキーボードを打ち始めた。
翌日、私と蒼は真の家にいた。侑と百合さんも一緒だ。
「やっと素直になったか」
キッチンで人数分のコーヒーを用意している私に、真が言った。
リビングでは、蒼が百合さんと挨拶を交わしていた。
「そう言われると、なんか悔しいんだけど」
「すっきりした顔して……」と、真は私の顔を覗き込んで、ニヤニヤと笑った。
「愛莉ちゃんは?」
私は真から視線を逸らし、カップにコーヒーを注ぐ。『愛莉ちゃん』は真の彼女で、私が学生の頃に家庭教師をしていた子。
「忙しそうだ」
「そっか……」
私と真がリビングに戻ると、蒼が百合さんにからかわれて顔を引き攣らせていた。
「どうしたの?」
「ううん? 三男に咲との馴れ初めを聞いていたの」
「百合さん、あんまり蒼を苛めないでよ?」
私は百合さんにカップを手渡す。
「いいじゃない。三週間も引きこもり生活してたから、若い子とのお喋りが楽しいのよ」と、百合さんは満面の笑みで言った。
「百合……、下世話なおばさんになってるぞ」
侑がコーヒーを一口、ふくんだ。
「誰が『おばさん』?」
「さ、本題に入ろうぜ」と、侑が話を逸らした。
「そうね……」
私は自分のカップをテーブルに置いて、蒼の隣に座った。
「単刀直入に言うわ。今回の騒動の黒幕は、宮内晃広」
百合さんと侑の目の色が変わった。
「みやうちあきひろ?」と、真が復唱した。
「そう。私と百合さんは『虫使い』と呼んでいたわ」
「虫使いって……三年前の?」
「ええ」
蒼だけが話を掴めずにいた。
「蒼、三年前にグループの全システムがダウンした騒ぎ、覚えてる?」
「ああ……。仕掛けたのが咲と百合さんだってことは聞いたよ」
侑から聞いたのかな……。
「その時のスパイが宮内晃広よ」
「宮内が黒幕? 使いっ走りじゃなくて?」
侑が驚いて確認した。
「そ」
「まさか、三年前の復讐なんてドラマみたいな話じゃないわよね……」と、百合さんがばつが悪そうに言う。
「当たらずとも遠からず?」
「もったいぶらずに言いなさいよ。大筋でも掴めてるんでしょう?」
「三年前、私と百合さんの仕掛けた罠で、宮内と宮内の雇い主の企業を突き止めたけど、結果的には宮内自身には逃げられた。当時の宮内は自分のクラッキング技術を過信して乱用するだけのお馬鹿さんだと思ってたのに、自分の素性を改ざんして姿を消した。それが、三年経った今、またT&Nのシステムに侵入して和泉さんと百合さんの情報を盗んだ。それが利用されて、百合さんは和泉さんの共犯者の疑いをかけられて謹慎処分になった」
私は侑に目配せをした。
「宮内の素性を調べたが、大した情報はなかったよ。K大情報システム学部を卒業後はクラッキングの技術で儲けていたようだ。あいつのマーキングを数件見つけた。ま、それも三年前に咲と百合に捕まるまでだけど」と言って、侑はコーヒーで喉を潤した。
静かな部屋に、外で元気に遊ぶ子供の声が微かに聞こえてくる。
「その後の宮内の情報は一切なかった。雲隠れなんてレベルじゃない。クレジットカードはもちろん使われていないし、免許の更新もしてない。銀行の口座も三年前から一切動きがない。医療機関に受診した形跡もない。普通なら、海外にいるか死んだと思うだろうな。だが、出国の履歴も残っていなかった」
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