邸宅ないに戻ると弟のレナルドが私に勢いよく抱きついてきた。
「お姉様、王宮でデートしてきたの? 次は僕と遊んで」
「レナルド!」
私はレナルドの温もりを確かめるように彼を屈んで抱きしめ返す。
六歳の男の子とはこんなに温かいのだろうか。この温もりも今度こそ守ってみせる。
「ええ、何して遊ぶ?」
「お店屋さんごっこ!」
(お店屋さんか⋯⋯)
私はレナルドの手を引き、自分の部屋に招き入れる。
鏡台の引き出しからナイフを出して、彼に手渡した。
「今日は理容師さんごっこしよう。お姉様の髪を綺麗に切りそろえてください」
「えっ! いいの!」
レナルドのルビー色の瞳が見たこともないくらいキラキラと輝いた。
「もちろん、レナルド、これくらいに私の髪を切り揃えて」
私は顎下ラインを指し示した。処刑で切り揃えられた髪の位置。
私は愛する弟に私の髪を切って貰うことにした。
これは戒めであり、私の決意。短い髪を見る度に私は守れなかった罪なき弟を思い出す。手入れの行き届いた贅沢な銀髪。オスカーが私の髪の束にしょっちゅう口付けるから、鼈甲の櫛で艶が出るまで念入りにとかした。
その髪がパサリと床に落ちていく。
「お客様、どうですか?」
鏡越しのレナルドが弾む声で尋ねて来た。
鏡の中の私が処刑された日の私と重なる。
「とても素敵。気に入ったわ。ありがとう、一流の仕事ね」
私はレナルドの手からそっとナイフを取り上げ、彼を再び抱きしめた。
扉をノックする音がして返事をする。
「シェリル! 貴方は何をしているの?」
母アンリエットが、落ちた髪を見て血の気が引いていた。母も三年後に断罪されて絶命する。命だけは助けられたレナルドも拘束された。文字通り助けられたのは命だけ。処刑前日、面会を許されて会ったレナルドの体には拷問の跡が無数に確認された。キラキラしていたルビー色の瞳は輝きを失い、言葉も発せない程に尊厳を奪われる行為をされたのは明らかだった。
「僕がお店屋さんごっこしたいって言ったから、僕が悪いんだ。お姉様を叱らないで!」
母の剣幕に怯え泣き声を出すレナルド。彼は小さいのに本当に男の子だ。いつも歳の離れた姉の私を守ろうとしている。そんな彼を私は守れなかった。
「お母様、私がレナルドに髪を切るようにお願いしたのです」
母に言ったら発狂されるだろうから言わないが、私はまずこの切った髪で商売を始めるつもりだ。次期国王であるオスカーが誉めた髪で作ったウィッグをまずはオークションにかける。そして、その金額を養護施設へ寄付する予定だ。民衆にはパフォーマンスだと冷ややかに見られるのは織り込み済み。今はただ国民に目が向いていなかった国の中枢を担う貴族が、彼らを気にし出したと気づいてくれれば良い。
「気でも狂ったのシェリル。その髪はオスカー王子殿下が愛してくれた大切な髪でしょ。来週には殿下の成人の儀があるのよ。そんな見窄らしい髪型で次期国王になられる殿下の隣に立つなんて正気じゃないわ」
来週はオスカーの十八歳の誕生日で、彼が成人する節目の年だ。だから、いつも以上に国民たちの注目が集まる。回帰前の私は贅を尽くしたドレス着飾り、自慢の銀髪を最高級のピジョンブラッドルビーの髪飾りでハーフアップにして彼の隣に立った。
「お母様、このような贅沢な髪は不要です。着飾る時間も惜しみ、私は民に尽くしたい。それが、オスカー王子殿下を支える事になるとやっと気がついたのです」
「シェリル、少し頭を冷やしなさい。オスカー王子殿下は貴方にそんな事は望んでないわ。美しく花のように殿下の癒しになる事だけを考えなさい」
母は言い捨てると部屋を出てってしまった。
「お姉様、大丈夫? 僕、間違った事をしちゃった?」
「レナルド、貴方が間違った事は今まで一つもないわ。貴方はいつだってとても良い子よ」
まだ柔らかい子供の髪に手を触れる。艶やかなこの髪も最後に会った時には抜け落ちていた。
(今度こそ守ってみせるわ)
三日後、私の髪がオークションに出されたと聞いたのかオスカーが侯爵邸を尋ねて来た。花々の咲き誇る温室に通されたオスカーは私を見るなり顔を顰めた。
「その髪⋯⋯」
彼は私の短くなった髪に手を触れると、急に頭を抱え込んでくる。突然、彼の薄い唇を押し付けられ私は混乱し、思わず押し返してしまった。
「シェリル? 一体どうしてしまったんだ。僕への気持ちがなくなってしまったのか?」
「馬鹿にしないで欲しいわ」
驚くような無礼な声が自分から漏れる。
私の反応に心なしか彼は驚いているようだった。
「えっ?」
「私の貴方への気持ちはそんな簡単に消えるものではないわ」
「ならばどうして」
寂しそうに私の髪を撫でる彼の手を握る。髪を切ったくらいで不安そうな顔をしている彼が愛おしい。
「これは私の決意! 私、もっとこの国を豊かにする為に心を砕きたいの」
「だから、君の髪で作ったウィッグをオークションにかけたのか? その金を全額養護施設に寄付すると表明までして」
「そうよ」
「君は何も分かっていない。君の体の一部でも他の人間に渡るなんて僕には耐えられなかった。ウィッグは僕が買ったよ」
私を骨が折れそうなくらい抱きしめてくるオスカーの愛は呆れる程に大きかった。
「ふふっ、オスカーってば可愛い。そのウィッグをつけて私と買い物にでも行く? 双子と間違われるかもよ」
「シェリル、君のように美しい人は二人といないよ。どうか、僕に君にドレスをプレゼントする栄光を与えてくれないか」
私の頬に擽ったくキスをしながら、彼が囁く。過去に彼が自分の成人の儀に着てくるように渡して来たドレスを思い出し私は首を振った。
オスカーの瞳の色でもあるアメジストをふんだんに使い、裾には一流の芸術家の刺繍を金糸であしらった淡いピンク色のドレスは邸宅が一件買えるくらい高価なものだった。
そのドレス姿の私をオスカーは絶賛し、アメジストの石言葉でもある「真実の愛」を確かめたいと私に迫った。もちろん、その時の私は貴族令嬢として貞操を守っている。
「オスカー、私、ドレスはいらないわ。今持っているドレスを着回すつもりよ。貴方は成人の節目の年なんだら素敵な礼服を作って」
私の顔を見て彼が複雑そうな顔をする。
「王家の財政を心配してる? 僕が愛を示す機会を奪わないで。どうか、ドレスをプレゼントさせて欲しい」
「いらないって私は言ったわよ。それよりも今から一ヶ月私領地に赴こうと思ってるの。オスカーの誕生日には帰ってくるから良い子にしてるのよ」
彼の頬に軽くキスをすると、今度は彼が私の首筋を吸ってくる。
「今度は何を売ってくるの? 君のものは何一つ売らないで欲しい。シェリルは頭のてっぺんから足の先まで僕のものなんだから」
ヤキモチ焼きの彼に笑いが溢れる。私は自分のものを売りに行くのではない。帝国との国境線沿いにある領地視察に行き、金策を講じるつもりだ。






