テラーノベル
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帰り道、車内で黙り込む花梨に、柊が声をかけた。
「大丈夫か?」
「…………」
「嫌なら断ってもいいんだぞ? 現調は俺一人で行くから」
柊の申し出に、花梨はハッと我に返る。
「あ、いえ、あまりにも突飛なご要望だったので、ちょっと驚いただけです」
「そうか」
「でも、こんなことってあるんですね」
「まあな。長くやっていれば、もっといろいろあるけどな」
「もっといろいろ?」
「うん」
「例えば?」
「そうだなあ……あり過ぎて、どれから話していいか……」
「何でもいいです。教えてください」
「うーん、例えば、20代の頃だったかな……親会社で営業をやってる時、俺のことをホストか何かと勘違いしている客がいてさ」
「ホスト?」
花梨は驚いて思わず声を上げる。
その時、彼女の脳裏には、若かりし頃の王子が、厚化粧のマダムとベッドで交わっている場面が思い浮かぶ。いわゆる『枕営業』的なアレだ。
頬を紅潮させている花梨に、柊が笑いながら言った。
「今、変なことを想像したな?」
「ち、違いますっ! ただ、どんな感じかなーと気になっただけで……」
「『ホスト扱い』と聞いたら、誰でも同じようなことを想像するよな。でも、俺は一線は超えてないぞ」
「そう……なんだ……」
花梨は、ホッとしたように言った。すると、柊がこう説明した。
「まあ、打ち合わせと称したデートみたいなやつだよ。今はコンプライアンスが厳しいからあり得ないけど、あの当時は緩かったし、上司も行ってこいって言うのが当たり前だったからね」
「仕事は身体で取ってこい的な?」
「そうそう」
「そうなんだ。昔は接待が多かったって前の会社の先輩から聞いていましたが、やっぱりそうだったんですね」
「うん」
「で、その方の契約は取れたんですか?」
「もちろん。俺は狙った獲物は逃さないからな」
柊はそう言ってニヤリと笑った。
(狙った獲物は逃がさない……か。やっぱり、親会社から来たエリートは違うなあ……)
そこで、柊がぽつりと呟いた。
「それにしても、白馬か……。白馬に行ったことはある?」
「はい、一度だけ。大学の夏休みに友人と行きました」
「そうか」
「課長は?」
「うん、何度かあるよ。ここ4~5年は行ってないけどね」
「そうですか」
返事をしながら、花梨は思った。
(モテモテの王子様だもの。きっと、デートで何度も行ったことがあるのね)
花梨は小さいため息をつきながら、浜田夫人から受け取った書類に目を通す。
その時、書類の間に一枚の写真が挟まっていることに気づいた。
「写真?」
それは、片流れ屋根のモダンな別荘の前で、若き日の浜田夫妻が家族とともに写っている写真だった。
子供は、長男と長女と思われる男女二人だった。
写真をチラリと見た柊が、花梨に言った。
「家族写真か」
「お子様はお二人いらっしゃるんですね」
「いや、一人だよ」
「え? でも、ここには二人……」
「今はご長男だけだ。娘さんはもういない」
「いないって……?」
「中学生の時に白血病で他界されたらしい」
「えっ?」
驚いている花梨に、柊は続ける。
「生きていたら、きっと君くらいの歳じゃないかな? いや、もう少し上かな?」
「……そうだったんですね」
「浜田夫人はいつも明るく朗らかだけど、いろいろとご苦労もされてきたんだよ」
「いつもお元気だから、そんな風には思いませんでした」
花梨は、胸が締め付けられるような思いだった。天真爛漫で、何不自由ない暮らしをしていると思っていた浜田夫人に、そんな辛い過去があったとは夢にも思っていなかった。
「うん。そういえば、お嬢さんはスキーが好きだったって言ってたから、お元気だった頃はご家族で頻繁に白馬へ行っていたのかもしれないね。でも、他界されてからは、きっと足が遠のいていたんだろうなあ」
「私もそんな気がします」
悲しい過去を思い出したくなくて、浜田夫人は白馬へ行くことをためらっていたのかもしれない…… 花梨はそんなふうに思った。
けれど、今回彼女はその大切な思い出の別荘を売却する決心をした。
もしかしたら少し気持ちに区切りがついたのかもしれない……花梨はそう感じた。
(浜田夫人の悲しみの場所を、新たな幸せの場所に変えてみせる)
彼女は心の中でそう呟くと、浜田夫人の決意を無駄にしないよう、素敵な縁を結んでみせると心に誓った。
コメント
60件
浜田様の別荘 ここもまた素敵な方にご縁があるといいな^_^花梨ちゃんと柊様ならきっと良い方を探してくれると信じてます🩷 それにしても柊様❣️狙った獲物は逃さないとは 花梨ちゃんに言ってますか? 白馬でどんな事かあるのか楽しみです😊
浜田様ご夫妻は、真面目で優しく一生懸命な花梨ちゃんに 今は亡きお嬢さんか重なって見えているのかもしれませんね…🥹 実地調査には絶対に二人で行って、また素敵なご縁を繋げてほしいです🙏🍀
花梨ちゃんと娘さんが重なっているのかな🥺 白馬の別荘がまた素敵なお客様との出会いになるといいなぁ 浜田ご夫妻も納得できるようなお客様がきっと見つかると思います!