風のない森の中はとても静かだった。木々の声が聞こえて来ない代わりに、小鳥達のさえずりがよく届く。たまにガサガサという音も耳に入ってくるが、魔獣除けの効果か、あるいは猫とオオワシのおかげだろうか、獣らしき姿はまだ一度も見ていない。
手頃な倒木に並んで腰掛けて、森の魔女達はのんびりと薬草茶を味わっていた。否、のんびりという表現は正しくないのかもしれない。
この先に何が待ち伏せているかが分からない為、少しでも落ち着くようにと穏やかな時間を演出していた。焦ったり慌ててしまうと魔力は乱れ、身を護るのが難しくなる。
ベル自身、攻撃魔法を一通りは使えるけれど戦いの経験はない。たまたま遭遇した魔獣を倒したことがある程度で、冒険者だった父と比べると実践経験はかなり劣る。そもそも、咄嗟に素早い動きが引き篭もり魔女に出来るとは到底思えない。当然、葉月の運動神経もあまり良さそうにも見えない。
ふぅっと大きく息を吐くと、勢いをつけて立ち上がる。猫の目的の場所はすぐそこにある。
「さあ、行きましょう」
木製のカップを水魔法ですすぎ洗いしてから風魔法で乾燥させ、リュックにしまう。魔法が使えることで荷物が少なくて済むのは本当に便利だ。
木の枝をくぐり抜け、草むらを掻き分けて歩いていると、ずっと無風だった森の中を一吹きの風が駆け抜けていった。途端、静寂を保ち続けていた木々が騒めき出す。
進路を塞ぐ枝に気を取られていた二人は、それを無理矢理押し上げて通り抜けた先で広がる空間に、思わず息を飲んだ。
古の時代に建設され、何に使われていたのかさえ定かではなく、その地下深くには竜が封印されていたこともある古代遺跡。周辺に転がる巨大な石は建物の一部だったのかもしれないが、竜が暴れた時に壊れてしまったのか、あるいはもっと前からこの状態なのか。ただ、人為的に作られた何かが存在していたのは、四角く削り整えられた石が多いことで辛うじて分かった。
校外学習で石垣の一部だけを見せられて、「昔はここにお城があったんです」と説明された時と同じくらい、想像力が追いつかない。
「ここが、遺跡……?」
元々の建物の姿は分からないが、重機を使わずには持ち上げられそうもない大石の集合体は圧巻の光景だった。奇跡的に残されていた円柱には文字か記号らしき何かが彫り込んであるのが見えたが、風化によって大半は削られてしまっていた。
絶妙なバランスで積み重なっている石が多い為、気軽に近付けないでいた葉月は、遺跡を遠巻きに見渡していた。その時、視界の中で動く物の存在に気付いた。
「べ、ベルさん!」
葉月の慌てた声に振り返り、指で差された方に顔を向けた瞬間、森の魔女はその場で動けなくなった。少女が示す先、遺跡の中央の大きな石の上にそれは見えた。
「――?!」
そこにいたのは、茶色の縞模様の猫だった。警戒か威嚇か、翼を大きく広げて石の上からこちらの様子を伺っていた。
「まさか……」
驚きのあまりに失いかけた声を絞り出し、その名を呼んでみる。石の上の猫はピクリと耳を動かし、広げた翼は静かに折り畳んだがすぐには降りてくる気配はない。ただ、こちらをじっと見ていた。
ベルも葉月もどうして良いのか分からず、トラ猫の動きを見守るしかできない。最初に動いたのは、くーだった。
「みゃーん」
葉月の傍にいた白黒の愛猫はまるで挨拶でもするかのように一鳴きした後、石へ飛び乗ってトラ猫に近付いていく。遺跡の上の猫達は互いに鼻を合わせて確認し合っていた。
そして、くーが石から降りるとトラ猫も後に続いてきた。トラ猫はくーに付いて葉月の元に近付き、その足元で匂いを嗅ぐ。次いでベルの匂いを嗅ぐと、魔女の顔を不思議そうに見上げた。
「あなたは、ティグなの?」
「にゃーん」
ベルの足に擦り寄って、ゴロゴロと喉を鳴らす。まるで懐かしい相棒と同じ匂いに喜んでいるかのように。
しゃがみ込み、そっと手を伸ばして縞々の丸い頭を撫でてやると、その手にも擦り寄って来る。
「ティグなのね……お父様が、魔導師ジークがよろしくって」
「にゃーん」
掛ける言葉がなかなか出て来ない。ここに居たのは、父の戦友だった。トラ猫はベルの膝によじ登ると、身体を伸ばして彼女の頬にも顔を擦り寄せた。
「あれ? くーちゃん?」
ティグの警戒が解かれたのを確認すると、くーは遺跡の中へと入って行った。付いてくるようにと振り返りながら入っていくので、葉月は恐る恐るその後を追う。石と石の間にできた隙間は、無理すれば何とか通れるという狭さだ。大型の獣から身を隠すには丁度良い。トラ猫はここを住処にしていたのだろうか。
「ナァー」
光があまり届かない石の影から、愛猫とはまた違う声がして、葉月は耳を疑った。間違いなく、今の鳴き声はくーじゃない。
そっと奥を覗いて、息を吞む。悲鳴を上げなかった自分を褒めてあげたい。
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