長年の風化によって角の取れた石は、蘇った古代竜が暴れたせいか、それとも魔導師達との戦いの跡なのか、その建物の面影はほとんど消え、石が周辺に散乱していた。ただ森の中の切り開かれた空間と、人工的に削り整えられた円柱や四角い石は自然の中では異質に見えた。
愛猫に導かれるまま、重なり合った石の山へと進んで行った葉月は、その石の要塞の奥で、くーとは別の鳴き声を耳にした。
「ナァー」
掠れたか細い声。
そっと覗き込んでみると、とても小柄な三毛猫が身体を丸めていた。小さいと思っていた愛猫よりも、さらに小さい。ガリガリに痩せ、バサバサに荒れた毛並み、弱り切った身体で力なく葉月に向かって鳴いていた。
「くーちゃん、この子は?」
「みゃーん」
訴えるように、葉月に擦り寄ってくる。弱っている友達を助けて欲しい、そう言っているのがはっきりと分かった。
葉月達が石の中から出てくるのを、ソワソワしながら待っていたベルはその姿が石の隙間から見えて胸を撫でおろした。中に入っている時に石のバランスが崩れたらと思うと気が気じゃなかった。
「ベルさん、見て!」
狭い中を這うように進んだせいで、砂と埃まみれになった少女は汚れたことも気にせず、ローブに包んで抱えているものを満面の笑みで見せた。
「まぁ!」
「連れて帰って、いいですよね?」
「何言ってるの、勿論よ!」
少女が大事に抱えていたのは、ガリガリに痩せ細った三毛猫。そして、そのお腹に必死でしがみついている5匹の子猫だった。
「まだ目が開いてない子もいるから、生まれたばかりみたい」
「母猫もあまり食べてないようね。急いで戻ってマーサにご飯作ってもらいましょう」
上空に旋回しているブリッドに合図を送る。オオワシは木箱を取りに館の方角へと飛んで行った。
「ティグの奥さんと子供達なのかしら?」
「そうかも。縞模様の子もいますし」
落ち葉の上にシートを敷いて、その上にローブに包んだままの猫達をそっと降ろす。出産してからまともに食べていないようなので、母猫の前に水とパンなどを置いてやるが、匂いを嗅ぐだけで口にしようとしない。
昔、親戚の家にいた臆病な性格の子が出産した時も同じような感じだったと葉月は思い出していた。猫にも産後のマタニティブルーは存在する。子猫から離れることが出来ず、あの子も食事がままならなくなっていた。
――あの子の時はどうやって克服したんだっけ? ああそうだ、あの子はお刺身なら食べた。おじさんがお酒飲みながら食べてたマグロの刺身を貰ってから、食欲も戻ったんだった。
マタニティブルーに打ち勝つ食べ物なら、きっとマーサが用意してくれるはずだ。現に人見知りの強いくーも、ガッツリと胃袋を掴まれているのだから。
初めての出産だったのだろう、三毛猫はオロオロしながら子猫達を舐めたり、少し離れただけでも必死で連れ戻したりとせわしない。そんな母猫にティグとくーは心配そうに寄り添い、一緒に子猫の世話をしてあげていた。
「この子の出産が気になって、くーちゃんは戻って来たのね」
「みたいですね。で、助けて欲しくて、私達をここに――」
木箱を運んで戻って来たブリッドは、猫が増えていることにギョッとしているようだった。着地しようとして一瞬だけ躊躇ったのをベルは見逃さず、小さく噴き出した。
三毛猫と子猫達をローブに包んだまま抱えると、葉月は木箱へ率先して乗り込んだ。今は飛ぶのを怖がってる場合じゃない。
さすがに今回は定員オーバーで、くーもティグと一緒に自力で飛ぶことを選んだようだ。ブリッドと一緒に翼を広げて飛び上がった。
木箱を運ぶオオワシと、二匹の猫が飛び立つのを遺跡の石に腰掛けながら、ベルは手を振って見送った。
「まあ、まあ、まあ、まあ!!」
帰って来た木箱の中から出てきた猫達に、マーサは他の言葉が出て来なかった。両手を口に添え、感嘆の声を上げていた。
「母猫が全く食べてないみたいなので、何か用意してもら――」
「ええ、ええ。すぐに作らせていただきますわ。まあ、何が良いかしら!」
葉月の言葉に被せまくって、慌ただしく館へと戻って行く。「お嬢様のお迎えはよろしくお願いします」と葉月へ言い残して。
第二便で帰って来たベルは、迎えに出ていない世話係の様子を聞いて苦笑いしか出来なかった。
「さあ、ナァーちゃん、召し上がれ」
マーサの用意してくれた産後食は、一見するとパンのミルク煮だった。けれど魚介のダシの良い香りもするので、ほぐした魚なども入っているのだろう。栄養もありつつ、胃にも優しそうだ。
「ナァーちゃんって?」
「ナァーナァー鳴いてるから、ナァーちゃんですわ」
知らない内に世話係によって単純明快な名付けが終わっていた。
ナァーちゃんこと、三毛の母猫は皿に乗ったご飯に鼻をピクピクさせて反応してはいたが、食べには行かない。頑なに子猫の傍からは離れようとしない。
「みんなが食べたら、食べるんじゃないでしょうか?」
そう言って、マーサはくーとティグの分の皿も並べた。二匹は並んで唸りながら遠慮なく食べ始める。喋りながら食べる猫が倍に増えると、なかなか賑やかだ。三毛猫はその様子を少し気にしているように見えた。
「あ、食べたわ」
ゆっくりと起き上がって、皿に顔を付けたナァーちゃんは小さな口で少しずつ食べ始めた。二匹とは違い、とても静かな食事だ。
「あの勢いだと、食べないと勝手に無くなりそうでしたしね」
すでに自分の分は食べ終えて、口の周りを手入れしている二匹をちらりと見る。
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