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アドラル皇国
18
1,373
#日常
寿命㌫(主) 🔮🖤ᩚ
2,231
数日後。
レグザの荒野を、一騎の馬が彷徨っていた。
馬上の男は、泥と血にまみれていた。
カルドだった。
どれほど走ったのか。
どこへ向かっているのか。
もう、自分でも分からない。
ただ馬が進むままに、荒野を彷徨い続けていた。
やがて、カルドは馬を止めた。
誰もいない。
味方も。
敵も。
息子も。
そこにはただ、どこまでも続く荒野と、空だけがあった。
カルドは、ゆっくりと空を見上げた。
「これは……儂が神を崇めなかった罰なのか」
声が震えていた。
「神よ」
返事はない。
「儂に、何を見せようとしている」
カルドは叫んだ。
「息子を奪い――」
拳を握りしめる。
「友も奪い、仲間も奪い――」
そして、とうとう声を張り上げた。
「儂に何をさせようというのだ!」
その叫びは、何もない荒野を駆け抜けていった。
だが。
神は、何も答えなかった。
ロウム教皇領、モネ砦。
ナガグツ半島北方にある城塞である。
かつてのヴァンガルド帝国領、グラツィア王国、そしてロウム教皇領。
三つの勢力圏が接するこの地は、古くから北方の要衝として知られていた。
そのモネ砦へ向けて――。
モンゴリア帝国軍が動き始めていた。
バトウ、スブタイ率いる本隊三万。
さらに、各地へ先行していた別働隊二万。
総勢五万。
彼らは一つの街道を進んではいなかった。
東から。
北東から。
北から。
そして、サヨ河上流から。
四つの軍勢に分かれ、ロウム教皇領へ侵入したのである。
バトウの征西軍には、スブタイの発案によって組織された特殊な伝令隊があった。
――天狼隊。
彼らには、軍中でも特別な権限が与えられていた。
進軍中であろうと。
戦闘中であろうと。
天狼隊の行く手を妨げてはならない。
必要とあらば、将軍の馬すら徴発することを許されていた。
その命令は、バトウの名によって全軍へ厳命されていた。
昼夜を問わず、伝令は走った。
ある者は馬を潰せば乗り換え、
ある者は敵地を迂回し、
ある者は河を渡って、数十里離れた別働隊へ命令を届ける。
これによって、四つに分かれ、広大な地域を進軍するモンゴリア軍は、
まるで一つの軍であるかのように動いていた。
一方。
モネ砦の守将ベラも、決して無能な男ではなかった。
斥候を放ち。
街道を監視し。
商人や村人からも情報を集めていた。
それでも――。
彼が把握できたのは、ロウム教皇領へ侵入したモンゴリア軍の一部だけだった。
バトウ率いる本隊。
およそ二万。
残る三路。
三万の軍勢について、ベラはまだその存在すら知らなかった。
さらに、ベラを悩ませている問題があった。
難民である。
モンゴリア軍の侵攻によってキプチャン高原を追われた人々が、
次々とロウム教皇領へ流れ込んでいた。
戦える男も多かった。
そこでベラは、彼らを自軍に編入し、
モンゴリア軍に対抗する戦力として利用しようと考えた。
難民たちをまとめていた男の名は、クマル。
彼自身もまたモンゴリア軍によって故郷を失っており、
ベラの要請に応じて多くの騎兵を集めていた。
だが――。
それは、領内に新たな軋轢を生んだ。
「なぜ、よそ者どもに武器を与える」
「奴らが本当に味方だという保証がどこにある」
古くからこの地を治める貴族たちは、難民たちを信用しなかった。
土地を奪われるのではないか。
食糧を奪われるのではないか。
そして何より――。
モンゴリア帝国の間者が紛れ込んでいるのではないか。
疑念は、日に日に大きくなっていった。
ついには、ベラ配下の貴族カールマーンが独断で動いた。
クマルを捕らえ、
モンゴリア帝国のスパイであると断じ、
処刑したのである。
当然、難民たちは激怒した。
昨日までモンゴリア軍と戦うために剣を取ろうとしていた者たちが、
今ではロウムの兵士たちへ憎悪の目を向けている。
ベラは頭を抱えた。
城外には、モンゴリア軍。
領内には、不満を募らせる難民たち。
そして、その間に立つはずの自軍さえ、一枚岩ではなくなりつつあった。
「もし、これが敵の策だというのなら――」
「我らは、まんまと乗せられたことになるな」
モネ砦へ入ったレイナ大后は、これまでの事情を聞き終えると、
静かにそう呟いた。
現実に、キプチャン高原から南下してきた難民たちは、
各地で住民との小競り合いを起こしていた。
食糧。
土地。
宿。
そして宗教。
わずかな違いが争いを生み、領内には不穏な空気が広がっている。
難民たちを戦力として受け入れようとしたベラ。
その一方で、彼らの指導者クマルをモンゴリア帝国の間者と疑い、
独断で処刑したカールマーン。
当然、この一件は大きな問題となった。
カロチャ大司教ウグリン・チャーク。
エステルゴム大司教マーチャーシュ・ラートート。
二人の高位聖職者もまたモヒ砦へ入り、ベラを厳しく問い詰めた。
だが――。
そうして彼らが内輪の問題に追われている間にも、事態は別の方向へ進んでいた。
モンゴリア帝国の侵攻。
異教徒による村々の破壊。
キプチャン高原から押し寄せる難民。
それらの噂は、瞬く間にロウム教皇領全土へ広がった。
やがて、
「神の地を守れ」
「異教徒を討て」
そんな声が、各地で上がり始める。
騎士。
修道兵。
諸侯の私兵。
農民兵。
さらには、罪の赦しを求めて剣を取る者まで現れた。
モヒ砦には、日に日に兵士が集まっていった。
一万。
二万。
三万。
いつしかその数は、数万に達しようとしていた。
誰もが口々に叫んでいた。
――聖戦だ、と。
コメント
1件
ああ、このエピソードは重かった……。カルドの「神よ、何を見せようとしている」という叫びが胸に刺さる。答えてくれない神に問い続けるしかない絶望、よく分かる。一方で、モネ砦の内紛と集まる聖戦の熱狂——この対比が怖い。クマル処刑の一件で難民と領内の軋轢が生まれ、それが「聖戦」という名の暴力へと変わりつつある。世界の裂け目が広がっていく感覚がひしひしと伝わってきた。続きが気になる。