テラーノベル
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そしてスプーンをゆっくりと口に近づける
白いヨーグルトが彼の舌に触れると、それはすぐに口内へと消えていった。
「美味しいですか?」
「ああ…」
仁さんは少しだけ微笑みを浮かべた。
「……楓くん、ありがと」
仁さんの部屋から帰る際、彼はそう言って俺の肩に手を置いた。
「いえいえ。友達ですから」
俺は笑って答える。
本当はもっと色々なことを伝えたいのに、言葉が出なかった。
食事を終えた仁さんはまた横になると静かに寝息を立てて眠りに落ちて行った。
残業疲れもあったのか、よほど疲れていたんだろう。
さきほど貼った冷却シートが、熱を持った肌の湿気で、端の方がふやけて波打ち
まるで水に浸かった紙のように頼りなく浮いてい
る。
ひんやりとした感触はすでに薄れ
むしろ生温い塊が仁さんの額に張り付いているかのようだ。
指先でそっと触れてみると
粘着力が失われた部分がずるりと動き、今にも剥がれ落ちそうになっている。
これはもう役目を終えた合図だ。
俺は仁さんの眠りを妨げないよう
そっと、ベッドの前に膝をついてしゃがみ込んだ。
古くなったシートを静かに剥がすと、額にはうっすらと汗が滲んでいた。
新しい冷えピタを袋から取り出してシートを剥がすと、仁さんの額にそっと貼り付けた。
ひんやりとした感触がじんわりと広がり、その冷たさを感じたのだろう
仁さんがパチッと目を開けた。
「あっ、すみません起こしちゃいましたか?」
「…いや、冷たくて、気持ちよかったから」
「それならよかったです」
俺がそう言うと仁さんはゆっくりと首を動かし俺の顔を見た後
目を瞑ったが、再び目を開けて
今度は突然腰を起こして起き上がった。
どうかしましたか?と聞く前に
仁さんが上に着ていたタンクトップを脱いで、上裸になった。
するとさんは少し恥ずかしそうに言った。
「汗でべたつくから、タオルと着替え適当に持ってきてもらってもいい…?この部屋出たら奥の部屋に白黒の五段のクローゼットに半袖たくさんあるから」
「それもそうでした…!今持ってきますね」
「悪いな」
俺は仁さんの部屋を後にした。
すぐにタオルと新しいTシャツを取って部屋に戻る。
仁さんは上裸でベッドに腰掛けながらスマホをいじっていた。
「お待たせしました」
俺は持っていたものを手渡した。
「ありがとう」
仁さんは受け取るなりすぐに
手にしたタオルで肩や胸元、腹筋につたう汗を拭き始めた。
鍛えられた体が露わになり、思わず視線が吸い寄せられる。
引き締まった腹筋のラインや
程よく筋肉のついた胸板に、思わず視線が吸い寄せられる。
しかし
仁さんは背中に回したタオルが届きにくいのか、少しばかり体をよじらせていた。
腕を後ろに回し、なんとか背中を拭こうとしているが、どうにも手が届かない部分があるようだ。
「仁さん、後ろ拭きづらいですよね?俺、拭くので貸してください」
つい、そう口にしてしまった。
仁さんは一瞬動きを止め、振り返ろうとしたが
すぐに「いや、大丈夫」と、はぐらかすように自分で拭こうとする。
その仕草に、何かためらいがあるように見えた。
もしかして、背中に何か見られたくないものでもあるのだろうか。
しかし、俺はそんなさんの戸惑いを気にせず、一歩踏み込んだ。
「いいですから、貸してください!」
俺は仁さんの手から半ば強引にタオルを奪い取ると、その背中に手を伸ばした。
そして、視界に飛び込んできたものに思わず言葉を失った。
仁さんの背中には、一面に広がる黒い龍の刺青がられていた。
墨の濃淡で表現された鱗は今にも動き出しそうで
鋭い爪や牙
そして威厳に満ちた眼光は、まさに生きているかのようだった。
その迫力と、細部にまでこだわり抜かれた精緻な彫り物に、俺はただ呆然と立ち尽くす。
息を呑むほどの美しさと、同時に畏怖の念を抱かせるような、圧倒的な存在感があった。
「さすがの楓くんでも、こればっかは怖いでしょ」
仁さんの声が、どこか自嘲するように響いた。
その声で、俺はハッと我に返った。
怖い、という感情よりも、その迫力と美しさに圧倒されていたのだ。
「え?…これ、黒龍ですよね?めちゃくちゃ綺麗じゃないですか……!!」
俺はその精緻な彫り物に見惚れてしまった。
指先でそっと触れてみたい衝動に駆られるが、寸前で思いとどまる。
仁さんは呆れたように目を細めた。
その表情には、驚きと、少しばかりの困惑が混じっているように見えた。
「そこ、普通怖がるとこだと思うけど」
「昔の俺なら「殺される」って思うかもしれないですけど、仁さんですし、怖くないですよ」
俺は思わずにこりと笑った。
仁さんの背中を拭きながら
その龍の鱗の一つ一つ、躍動するような曲線美をじっくりと眺める。
こんなにも間近でタトゥーを見るのは初めてで
まるで美術館の展示品を鑑賞しているような気分だった。
仁さんは俺の言葉に、ふっと息を吐き、どこか安心したような表情を浮かべた。
その口元には、微かな笑みが浮かんでいる。
「相変わらず肝が据わってるっていうか、なんていうか……なんか、拍子抜けした」
「え?」
俺が首を傾げると、仁さんは視線を俺の顔に戻した。
その瞳には、今まで見たことのないような
複雑な感情が揺れている。
「俺、楓くんが苦手なもん二つも持ってんだよ?」
「えっ?」
「元ヤクザで、α」
仁さんの言葉に俺は一瞬、言葉に詰まった。
確かに、俺にとってヤクザという過去も
αという存在も、苦手なものだ。
しかし、目の前の仁さんは
それらの肩書きとは全く別の存在として、俺の心に深く根付いていた。
「……確かに、最初は身構えてましたけど、仁さんは俺のこと守ってくれたじゃないですか、何度も」
「それに…今俺が関わってるのは、不器用で優しい、ただの犬飼仁ですから」
俺はもう一度、仁さんに向かってニコッと笑いかけた。
放った言葉には、何の偽りもなかった。
ただ率直に綺麗な画だな、と感動して不思議なくらい、畏怖感を感じなかった。
仁さんの瞳に、安堵の色がじんわりと広がるのが見て取れた。
「…そっか」
仁さんは、小さく呟いた。
その口元には穏やかな笑みが浮かんでいた。
すると、仁さんはそれに付け足すように
「俺ってさ、どんだけか酔って記憶残るタイプなんだけど」
と、呟いた。
「そうなんですか?すごいです」
ね、と言いかけたところで、思わず俺は言葉を詰まらせた。
記憶が残るタイプ…
それすなわち、約1週間前に俺のことをベタ褒めし、告白紛いのことを言っていたときの記憶があるということ。
「……つかぬ事をお聞きしますが、仁さんが片想い
してるΩって…っ」
「くくっ…めちゃくちゃ敬語なるじゃん」
仁さんは俺の言葉を遮るようにして、笑い出した。
顔が一気に熱を帯びるのを感じた。
「いや!あの、違うんですよ!」
「えっと、やっぱり、俺のこと友達として好きって意味なんですよね……?!」
慌てて否定し、答えを聞くとさんはさらに笑った。
そして、ひとしきり笑った後、呼吸を整えるように深呼吸をして言った。
「……まあ、楓くんの言う通りだよ」
「え……?」
俺が聞き返すと、仁さんは少し照れくさそうに言った。
「…楓くんは大事な友達だよ。でもね、それだけじゃない」
俺は驚いて彼を見つめ返した。
「どういう、意味ですか?」
仁さんは静かに言った。
「楓くんのこと、すごく大切に思ってる。だけどそれだけじゃなく、特別な存在なんだ」
その言葉に、心臓が高鳴る。
仁さんの瞳が、真っ直ぐに俺を見つめる。
その深い眼差しに、俺は吸い込まれそうになる。
心臓の音が、まるで警鐘のように大きく鳴り響いていた。
「特別…?」
仁さんは優しい目をして頷いた。
「あの日、酔って色々失言した記憶あるからさ」
「……」
俺が言葉を詰まらせていると、仁さんは続けた。
「だからまあ、あの夜のことはもう忘れてくれ。正直…今日看病しに来てくれたのも驚いたし」
「え?驚いたってなにがですか…?」
「……なにがって、酔ってあんなこと言ってた男の家に〝心配〟って理由だけでノコノコ上がるの無防備すぎやしないか?」
仁さんの声は、どこか挑発的で、それでいて甘い響きを帯びていた。
「かっ、完全に頭から抜けてました…仁さんの苦しそうな声聞いたら、いても立ってもいられなかったので……」
「…楓くんって本当に、楓くんだな」
仁さんはそう言って、少し困ったように笑った。
「なんですかそれ、もう」
められているのかよく分からないが、仁さんにつられてクスッと笑うと、彼は言った。
「でも……誰かが心配してくれるって、こんなに暖かいことなんだなって久々に感じたし、ありがとな」
その一言で、俺は思わず胸がいっぱいになった。
「仁さん…」
そのときだった
ズボンのポケットに入れていたスマホから着信が鳴り、見てみるとそれは将暉さんからで
「あっ!将暉さんからです」
「あっやべ、あいつに連絡すんの忘れてた…」
「じゃ、今説明しちゃいますね!」
そう言って、俺は通話に応答した。
《もしもし楓ちゃん?今もう家かな?》
《将暉さん、連絡遅れたんですけど、今仁さんの家にいて》
《え、まじか。で、仁は?》
《今隣にいますよ、ただ、仁さん風邪がひどくて、多分今日飲みに行くのは無理かなって》
《了解、てことは今は楓くんが看病してくれてるん
だ?》
《はい、最初凄い熱あったんですけど、さっきスープ作ってあげたら食欲も出てきたみたいで、だいぶ回復してきたと思うので、安心してください!》
《そっか。わざわざありがと、じゃあ楓ちゃんも看病で疲れたでしょ?ちょっとしたらすぐ寝るだろうし、頃合いみて帰りなね》
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