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《あっ、はい!それじゃあ》
電話を切ると、俺は仁さんの方へ向き直った。
すると、仁さんはいつの間にか、また横になっていた。
そろそろ一人にしてあげた方が眠れそうかな、と思い立ち上がる。
「…それじゃあ仁さん、ぐっすり寝てしっかり治してくださいね」
言いながら布団を掛けて、身を翻すと
「待って、楓くん」
立ち去ろうとしたところ、仁さんは唐突に俺の腕を掴んできた。
「え?」
振り返ると、仁さんはどこか不安そうな表情を浮かべていた。
「あの…さ、まだ、いてくれないかな」
仁さんの言葉に、俺はドキッとした。
その綺麗な瞳に見つめられ、胸が締め付けられるような甘い痛みを感じる。
「仁さん……?」
俺はそんな仁さんの意外な発言に、驚きを隠せない。
「仁さんがそんなこと言うなんて珍しいですね…」
「……いや、何言ってんだろ、悪い、やっぱ忘れ
て」
そう言うと、彼はバツが悪そうに目を逸らした。
でもどこか照れくさそうな表情を浮かべているのが分かる。
「じゃあ、もうちょっとだけいますよ」
俺がそう言って微笑みかけると、仁さんは安心したような表情をした。
◆◇◆◇
それからは
しばらくの間他愛のない話をしたり、眠くなったら眠ってくださいねと声をかけてみたり。
そんな穏やかな時間が過ぎていった。
しばらくすると
仁さんの瞼がゆっくりと閉じられて行き、そのまま規則正しい寝息をたてはじめた。
俺はそっと額に手を当てた。
先程と比べてかなり熱も落ち着き、顔色もだいぶ良くなっているように見える。
呼吸も穏やかだ。
「良かった…」
安心して小さく息をつくと
俺は、まだ熱を帯びていた自分の頬にそっと触れた。
仁さんの風邪が移りでもしたのか、と思ったが、多分違う。
仁さんの言葉が、頭の中でぐるぐると渦巻いてい
る。
特別な存在
…そんな言葉を、あの仁さんが、俺に。
しかも、普段寡黙なさんがあんな甘えるようなセリフを言うなんて
(ギャップがすごい……)
混乱と、今まで感じたことのない胸の高鳴りを抱えながら、俺は静かに仁さんの部屋を出た。
リビングを通り抜け、玄関へと向かう。
靴を履こうとしゃがみ込んだとき
ふと、時計が目に入った。
(…今もう6時か……)
外はまだ薄暗いが、空は少しずつ白み始めている。
今寝たってことは、通常の睡眠時間と風邪の疲労回復を考えたら…最短でも7時間は寝るだろう。
看病に来たはいいが、何もしてやれていないような気がして、ふと、ある考えが頭をよぎった。
(…せっかくだし、寝てる間に明日の朝食作って置いといてあげようかな)
仁さんは、普段からあまり自炊をしない。
明日もきっと面倒くさくなってカップ麺で済ましてしまう
あるいは、なにも食べずに出勤してもおかしくは無い。
こんな時だからこそ、温かい手作りの食事が、きっと体に染みるはずだ。
それに、俺がここにいた証として
何かを残してあげたいという、ささやかな気持ちもあった。
俺は再びキッチンへと引き返した。
仁さん家の冷蔵庫を開けると、意外にも色々な食材が入っていた。
普段自炊しないと言っていたが、あるにはあるようで。
誰かから貰ったとかもあるのだろう。
その中から、今あるもので作れるものを吟味する。
風邪をひいている仁さんでも食べやすい
消化に良くて、それでいて栄養のあるもの。
まずは、主食からだ。
「梅しそごはんでも作ろうかな」
炊飯器に残っていたご飯を軽くほぐし
梅干しを叩いて種を取り除き、細かく刻んだ大葉と一緒に混ぜ込んでいく。
梅の酸味と大葉の爽やかな香りが、食欲をそそるだろう。
ご飯粒一つ一つに、梅の赤い色がほんのりと移り、見た目にも鮮やかだ。
湯気と共に立ち上る香りが、空腹を刺激する。
これなら、食欲がない時でも、するすると食べられるはずだ。
次に、メインの一品。
「茶碗蒸し風 卵豆腐カップ、これなら胃に優しいはず…!」
冷蔵庫にあった卵と出汁、そして少しだけ残っていた豆腐を見つけた。
これを混ぜ合わせ、カップに流し込み、電子レンジで加熱する。
茶碗蒸しのように蒸し器を使わなくても、これなら手軽に作れる。
プルプルとした滑らかな舌触りを想像しながら泡が立たないように慎重に混ぜる。
仁さんの体が、少しでも楽になるようにと、願いを込める。
そしてもう一品、メインを。
「ハムエッグは、ふんわり焼いてあげよう」
フライパンに油をひき、ハムを並べる。
その上に、溶き卵を流し込む。
火加減を弱めにして、蓋をしてじっくりと蒸し焼きにする。
焦げ付かないように、時折フライパンを揺らしながら
卵がふんわりと膨らんでいくのをじっと見守る。
黄身は半熟に、自身はとろけるような柔らかさに。
これなら、仁さんの食欲も少しは出るだろうし。
次は、箸休めに副菜を。
「小松菜と油揚げのおひたし、栄養も取れるし良い
よね」
冷蔵庫の隅にあった小松菜と油揚げを取り出す。
小松菜はさっと茹でて冷水にとり、水気をしっかりと絞って食べやすい大きさに切る。
油揚げは熱湯をかけて油抜きをし、細切りにする。
これらを醤油と出汁で和えるだけ。
シンプルな味付けだが、小松菜のシャキシャキとした食感と
油揚げの旨味がきっと良いアクセントになるはず
だ。
四品を作り終え
キッチンカウンターに並べられた料理は、どれも素朴ながらも温かみのある彩りを添えていた。
俺は一つ一つ丁寧にラップをかけていく。
仁さんはいつも10時に出勤するって言ってたし、ゆっくり食べれる時間は十分にあるだろう。
仁さんが起きた時に、すぐに温めて食べられるように。
キッチンを綺麗に片付け、使った調理器具を元の場所に戻す。
仁さんが起きた時に、俺がここにいた痕跡をできるだけ残さないように。
静かに、そっと、そして確実に。
そして、俺は再び玄関へと向かった。
靴を履き、ドアノブに手をかける。
カチャリ、と小さな音が響き、仁さんの家を後に俺は静かに隣の自分の部屋に戻った。
自分の部屋の玄関で靴を脱いでいつもの如く電気をつけて荷物を置き、シンクで手を洗うと
その場で汗のかいた服を脱ぎ、ズボンをストンと下におろした。
それを手に抱えて洗面所まで移動し
収納棚の一番下に置いてある洗濯カゴに色物で仕分けて入れると
収納棚にバスタオルとボディタオルもあることだし、もう風呂入っちゃおうかなと思い
そこでパンツも脱いでカゴに入れた。
そうしてボディタオルを取って、俺は浴室の扉を開けた。
湯気がほのかに立ち込める空間に足を踏み入れると、ひんやりとしたタイルが心地よかった。
シャワーの蛇口をひねると、勢いよくお湯が流れ出した。
最初は少し熱めに設定し、一日の疲れを洗い流すように頭から浴びる。
温かい水滴が肌を滑り落ち、毛穴の奥まで染み込んで行く感覚に、ふぅと息を吐いた。
シャンプーの甘い香りが浴室に広がり、指で丁寧に髪を洗う。
泡が立つたびに、今日の出来事が頭の中を駆け巡
る。
特に、仁さんの告白が何度もリフレインしていた。
あの真剣な眼差し、少し震えていた声。
まさか、彼がそんな風に俺を思っていたなんて。
体を洗う間も、その衝撃は俺の思考を支配していた。
ボディタオルで泡立てた石鹸を肌に滑らせながら彼の言葉が耳の奥で響く。
洗い終え、シャワーで泡を流しきると、今度は湯船にゆっくりと身を沈めた。
じんわりと広がる温かさが、体の芯から凝りをほぐしていく。
目を閉じると、仁の顔が浮かんだ。
彼の告白は、俺の心に大きな波紋を広げていた。
嬉しい、という感情とは少し違う
戸惑いと、そして、何とも言えない胸のざわつき。
どれくらいの時間そうしていただろうか。
湯から上がり、濡れた体をバスタオルで拭き、腰にしっかりと巻き付けた。
まだ少し湯冷めしないうちに、着替えがしまってある部屋へと向かう。
廊下を歩くたびに、バスタオル越しにひんやりとした空気が肌を撫でる。
クローゼットの扉を開け、いつものパジャマに手を伸ばした。
肌触りの良いシンプルなデザインのパジャマだ。
上着に腕を通し、ズボンを履く。
着慣れたパジャマが、ようやく俺の体を包み込み
少しだけ現実に戻ったような気がした。
部屋の明かりを消し、ベッドへとダイブする。
ふかふかのマットレスが体を優しく受け止めてくれた。
そのまま、ずるずると布団の中に潜り込む。
ひんやりとしたシーツが、徐々に体温で温まっていく。
「はあ……」
大きく息を吐き、天井を見上げた。
真っ暗な部屋に、窓から差し込む街灯の光がわずかに差し込んでいる。
眠たいはずなのに、一向に眠気が訪れない。
瞼を閉じても、仁の告白が鮮明に蘇るのだ。
『楓くんのこと、すごく大切に思ってる。だけどそれだけじゃなく、特別な存在なんだ』
あの言葉
真剣な、彼の声
どうして、今になって。
今まで意識したこともなかった感情が、胸の中でぐるぐると渦巻いていた。
仁さんは忘れて、とさりげなく言ってきたけど
いつから、そんな風に見られていたのか
想われていたのか、検討もつかない。
それに何より、俺は仁さんのことをどう思っているのか、自分でもよく分からない。
強いところとか、Ω思いなところは尊敬はしているし
仁さんといるときはなんだか、健司や朔久といるときとはまた違った楽しさ、新鮮さがある。
ただ、そんな彼の告白が、俺の心を強く揺さぶったのは確かだった。
寝返りを打つ。
もう一度、大きく息を吐いてみる。
しかし、目は完全に冴えている。
(こんなに眠れないなんて……)
仁さんの言葉は、俺の心に深く刻み込まれ、今夜の眠りを遠ざけていた。