「今日はその報告もしたくて、来たんだよ」
「マジかぁ。じゃ、タイミング悪かったかな」と、陸さん。
「何が?」
「いや。俺からも報告があってさ」
全員が陸さんに注目する。
陸さんにもいよいよ待望の赤ちゃんが!? と、誰もが思ったはずだ。
デキ婚したのに流産で、それから二年が過ぎた。
言葉にはしなくても、みんな気にかけていたはずだ。
「離婚、した」
「――――っ!?」
あっけらかんとした陸さんの告白に、耳を疑った。
「で、イギリスに行く」
「……はぁ!?」
「イギリス!?」
「その前に、離婚て!」
慌てるみんなをよそに、陸さんは頬杖をついてビールを飲む。
「ずっと、家庭内別居状態だったんだよ。離婚するにも、仕事が忙しくてろくに話し合う時間もなかったってだけで二年もずるずるしちまったけど、俺のイギリス行きが決まって、記入済みの離婚届をテーブルに置いておいたら、いつの間にか記入してあった」
「そんな……」
「そんなもんだった、ってことだ」
「……」
誰も、何も言えなかった。
そんな中で、言葉を発したのは千尋。
「それは、飲みたくもなるよね」
うんうん、とわざとらしく頷き、呼出しボタンを押す。
「よし! 飲もう!」
フッと隣を見ると、麻衣が歯を食いしばって目に涙を溜めていた。
「いつ、行くの?」と言った、麻衣の声は震えている。
「イギリス、いつ行くの?」
大学時代から、麻衣を一番気にかけて大事にしてきたのは、陸さん。麻衣も誰よりも陸さんを頼りにしていた。二人がくっつくんじゃないかと思ったくらい、仲が良かったし信頼し合っていた。
きっと、この中の誰よりも、陸さんの離婚とイギリス行きにショックを受けている。
「すぐってわけじゃない。来年の秋くらいになると思う」
「そっか……。きっと、すごい、ことなんだよね?」
「ああ。イギリス《向こう》での勤務経験があれば、何年かして日本に戻った時には総支配人に昇格できる」
私はハンカチを差し出し、麻衣はそれを受け取って涙を拭った。
「おめでとう、陸」
「サンキュ、麻衣」
「おめでとう、でいいのか? 離婚はめでたくないだろ」と、大和さんがボリボリと頭を掻く。
「陸さんが吹っ切れてるなら、いいんじゃないですか」
「そうよ! おめでとう、だよ」
「そうか。陸がそれでいいなら、いいけどよ」
「いーんだよ」
陸さんの表情に迷いはなく、気持ちは前向きのようだ。
千尋が勢いよく立ち上がり、グラスを持ち上げた。
「じゃ、陸の前途を願って、もっかいかんぱーい!」
「かんぱーい!!」
みんなもつられてグラスを掲げる。
「結婚する予定とかあるなら、俺が行く前に式を挙げてくれよ。イギリスから帰ってくんのは大変だからな」
「そうだよな! ってか、予定ある奴いんのか?」と、大和さん。
「麻衣じゃない?」と、千尋。
「あ、年下だから、結婚はまだ早い?」
注目された麻衣は、視線を泳がせて挙動不審。
「麻衣に彼氏?」
「そう! 前に話してた後輩くんと付き合い始めたんだって」
「え、そいつ、まともなのか?」
陸さんの顔色が変わる。
「まともそうでしたよ?」と、龍也が答えた。
「俺、偶然会ったことがあるんですけど、すげー好青年な感じで、麻衣さんのことダイスキー! ってオーラ出まくりでした。そう、言ってたし」
ギョッとした。
龍也は飲むと、テンションが上がる。まぁ、大抵の人はそうだろうが、龍也の場合は言葉遣いがチャラくなる。
「な? あきら」
「え? あ、うん」
急に振られて、私は慌てて頷く。
「なに、あきらも会ったことあんのか?」
「一緒にいる時に会ったんで」
「へぇ。お前ら、二人で会ったりしてんの?」
ドキッ、とした。
それから、心臓がドッドッと重く、鈍く、跳ねる。
大和さんの問いに含みを感じるのは、私に後ろめたさがあるからだろうか。
ほろ酔いの龍也が何を言うのか、気が気じゃない。けれど、余計なことを言うな、と目で訴える勇気もない。
今、正面から龍也の顔を見てしまったら、平常心じゃいられない。
だって、勇伸さんに触れられて、龍也との違いばかり探してた――。
「たまたま駅で会って、あきらのパソコン選びに付き合ったんす」
「龍也、そういうの詳しいもんな」
「あい」
ヒック、と龍也がしゃっくりをし始める。
「龍也、もう酔ったのか?」
「あー……、すんませ――。ちょっと……寝不足で……」
「お! 龍也、女デキた?」
さなえとのレス解消でからかわれた仕返しか、大和さんが龍也の寝不足の原因を嬉々として問い詰めた。
「ま、金曜の夜だしな? 暴走しちまうこともあるよな」
「どんな女だよ? 真面目なくせに、長続きしねーよな」
私は、しれっと梅酒を飲み干す。
お代わりを頼みたくてボタンのそばにいる千尋を見た。目が合い、思わず逸らす。
頬杖をついて、じとっと見据えられ、反射的にとった行動だった。
そう言えば、千尋と話すのもあの日以来。
龍也と別れて私が電話した夜以来。
『龍也が成仏できるかどうかは、あきら次第ってことよ!』とか、言われた夜以来。
成仏って――。
千尋がボタンを押し、ウェイターがやって来て、各自お代わりを注文する。
今夜は、みんなペースが速い。
「デキてません」と、龍也が言った。
勝手にホッとした自分を、殴ってやりたい。
「マジで好きな女、いるんで」
え――――。
龍也の言葉に驚いて顔を上げると、千尋と目が合った。彼女は、なにやら楽しそう。
「お! 珍しいな、龍也が恋バナなんて。脈、ありそうか?」
「ありそうれす! けど、素直じゃないんで、なかなか認めないんですねぇ。どうしたらいいれしょう、先輩」
「そりゃ、好きだって言いまくるのが一番だろ! 男は直球勝負!!」と、大和さんが得意気に答える。
「いや、疲れるだろ、それ。最初は喜んでも、段々重くなるヤツだろ」と、陸さん。
「じゃあ、お前ならどうすんだよ」
「『待つ』つって、ドロッドロに甘やかす。尽くされて喜ばない女はいないだろ」
「うわー。わかってないねぇ」と、千尋が手をブンブンと振りながら、呆れたように言った。
「男っ気のない千尋に言われたくねーんだけど?」
「えー? 千尋、恋人いるでしょ?」と、麻衣が言った。
「この一年くらい、お肌艶々だし、すっごい幸せそうだもん」
千尋が固まり、私まで釣られた。
麻衣、鋭い……。
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