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相槌を打ちながら奥村がメニュー表を見せてくれたが、結局優奈は奥村と同じステーキのディナープレートをオーダーした。
運ばれて来た料理には彩り鮮やかな生ハムサラダにライ麦パン。セットになっているスパークリングワインで軽く乾杯をしてから、生ハムを頬張る。
「おいしい〜」
ほんの少し前までゼリーや飲料だけで生きていたなんて信じられない。食べられることは、とても幸せなことだと改めて実感する。
「どう? 疲れてない?」
「え?」
料理に夢中な優奈とは対照に、奥村は楽しそうに微笑んでワインを口にするばかり。
途端に羞恥が湧き上がる。
「す、すみません……おいしくて」
謝罪すると、さらに笑みを深められてしまう。
「いや、食べてる姿が可愛らしいなって見てただけだから」
「んん!?」
まさかの発言に飲み込んだばかりの生ハムが詰まるかと思った。
「君のこと、マキさん達も心配してるから」
「そ、そうですね……。私ってこれまでは、言われたことだけをやってきたので。高遠さんや奥村さんに変わっての来客対応や、商談とか会議の準備とか。ずっと緊張してます」
自分の底など知れているとわかってはいたけれど、なかなかまわりとの差が埋まらない。
「琥太郎さんや、高遠さんは特に勘で動くところあるから忙しないしね」
「あはは、ほんとに……」
定型的な事務の仕事しかしてこなかった優奈は、先回りしての気配りや配慮がマキに比べて乏しすぎるのだ。
「俺たち以外の社員ともそのうち打ち解けられるよ」
奥村の言葉に、優奈はハッとして顔を上げた。
「高遠さんは、それを一番気にしてるし、俺やマキさんたちも」
「いやぁ……得体の知れない奴ですからねぇ、私」
社長に近い経営戦略のメンバー以外とは、いまだ遠巻きに見られているか、短い会話だけ。居心地が悪いのは本当で。
「高遠さんにも……そっか、そりゃそうですよね」
今更だけれど、やはりいいところをたくさん見せたい相手に……浮いてる自分を知られているのは恥ずかしくて悔しい。
「瀬戸さんの比べる基準、高いと思うんだよね」
「え?」
「近くにいるのが高遠さんみたいな人だから、多分余計にだと思うんだけど」
職場を出て、プライベートな時間を割いて励ましてくれているとは。村野工務店にいた時には考えられない待遇だ。
「……奥村さん、本当にいい人です」
単純に感激しての言葉だったが、奥村は優奈のそれに反応を見せることはなく。
「食べるの邪魔してごめんね」と、食事の再開を促したのだった。
***
食事を終えゆっくりと並んで歩きながら、駅を目指す。その途中。
「あ、そうだ」と何かを思い出したように奥村は口を開いて隣を歩く優奈を見下ろす。
「ちなみに。俺はいい人じゃないよ、瀬戸さん」
唐突な言葉かと思ったが、すぐに店内での会話の続きなのだと気がついた。
だから、そのまま言葉の続きを待ってみる。
「いくら高遠さんやマキさんに頼まれても、職場を離れて、部下を励ます為だけに俺は時間を使える程優しくないんだ」
「え?」
何やら含みのある言い方だ。
何と言葉を返そうか。悩む優奈の耳へと次に聞こえてきたもの。
「初めて会った時からずっと、君のことが気になってたんだ。また会えて本当に嬉しかった」
衝撃すぎて、思わず歩みを止めてしまう。
声など出ない。
ただ、優奈に合わせて立ち止まりこちらを振り返る奥村を見つめ返すことしかできないでいる。
「立場上、言わない方が正解なんだけど。相手が高遠さんだと、ほら。伝えて意識してもらわないと君の視界にも入らないだろうから」
ゆっくりと、丁寧に、優奈へと並べられる声はとても優しい。
「俺にはあの人に勝てる部分が何一つない、今は。でも君を好きだと思ってる」
真っ直ぐな目と、言葉に、怯んでしまう。
捻りのないそれは、嘘偽りのない奥村の気持ちなのだと理解してしまう。
(そんな、まさか、私とか)
「あ、私……は」
「ごめんね、もっともらしい口実で連れ出して。俺の下心につきあわせた」
“私は高遠さんが好きなんです”
そう返したくて口を開きかけたのに。
それなのに飲み込んだ。
なぜだか言葉が喉の奥に張り付くようで。
「瀬戸さんの気持ちはわかってるよ。ただ俺がいることも知っておいて欲しいだけ、今はね」
答えを求めない奥村が「さ、行こうか」と、優奈の手を取り、そしてすぐに離す。
少し前を行く奥村にどんな視線を向ければいいのかわからない。
優奈は漠然とした靄が心臓を覆っていくような、そんな違和感を覚えた。
切なくて、苦しくて、下を向きたくなってしまう。
――これは何だろう?
自分に問いかけるけれど、優奈は咄嗟に思ってしまった。
答えなんて見つけ出してはダメだよ、と。