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テラーノベルの小説コンテスト 第4回テノコン 2025年1月10日〜3月31日まで
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それから3週間の月日が経った。

その間に杏樹は休日を優弥の部屋で過ごす事が多くなっていた。

家にいる時は二人で食事を作り、時には買い物やドライブへ行きレストランで食事をして帰る。

それはまるで結婚生活の予行演習のようでもあり二人は日に日に一緒に過ごす事が自然になっていた。


あの日以降姿を見せない正輝に対し、同僚達の間では様々な憶測が流れた。

その後懲戒解雇の辞令が下りた正輝は既に銀行を退職していた。懲戒解雇の理由が杏樹に関わるデリケートな問題である為、表向きは正輝の自己都合による退職と発表されている。

しかし支店内ではそれを信じる者は誰一人いなかった。そして正輝の本当の退職理由は早乙女家具に対する不正融資の件ではないかと囁かれ始める。役職者達がそれを特に否定しなかった為、今では暗黙の了解でそういう結論に達していた。

そのお陰で杏樹とのトラブルの件は表に出る事はなく、役職者達は皆一様にホッとしているようだ。もちろん杏樹も安堵している。


正輝の騒動が落ち着いた頃、いよいよ検査が入る日が近いのではと支店内に緊張が走る。

行員達は通常業務の合間を縫って検査対策に明け暮れていた。どんな些細な不備も見逃さないようにと行員全員が自分の持ち場の最終チェックを行っている。


急に退職した正輝の受け持ち分は優弥が担当する事になった。しかし引き継いでみると書類は不備だらけだった。

代理人が口座解約を依頼する際の委任状の筆跡が本人とは別人のものだったり、提出してもらうはずだった代理人の身分証明書が添付されないままだったりとかなり基本的な事が抜け落ちている。

また相続の際に必要な書類が揃っていないなどの不備もかなり目立った。その不備の数は相当数に上り優弥と得意先課長が手分けして顧客の自宅を訪問する日々が続く。


「ほんと森田さんって表向きだけ取り繕ってたんだね。てっきり仕事が出来る意識高い系なんだと思っていたけどあれじゃあただの誤魔化しの天才じゃん」

「ほんとほんと、私すっかり騙されてたわー」

「あれで本部に行くって豪語してたんだよ。信じられない!」

「尻拭いさせられている副支店長と得意先課長が可哀想」


女性行員達からの正輝の評判はがた落ちだ。

もちろん杏樹も幻滅していた。杏樹から見ても普段の正輝は『仕事がデキる男』に見えていたからだ。


(結局そういう風に自分を大きく見せていただけなんだわ)


今は正輝に振られて良かったのかもしれないと心から思う。



そして週明け、朝出勤した杏樹がいつものように職員通用口から中へ入るとすぐに異変を感じた。

階段を上がる際まだ誰もいない営業フロアを覗くと、そこにはスーツ姿の男性が数人いた。

検査部の行員だ。

行員達は鍵のかかったデスクの引き出しをわざとガタガタと音を立てながら激しく引っ張っている。これでもし仮に引き出しが開いてしまったら一発アウトだ。


(うわっ、荒っぽい!)


杏樹は慌てて逃げるようにロッカールームへ向かった。

ロッカールームへ入ると既に美奈子が来ていた。


「先輩おはようございます。とうとう入りましたね」

「うん、来ちゃったねー。週明けの忙しい時に来てほしくなかったよねー」

「ホントそうですよね。今日から3日間でしたっけ?」

「そう。水曜日までかな。それまで気が抜けなくて嫌だわぁ」


そして制服に身を包んだ二人は1階の営業フロアへ下りた。

フロアに入る前に美奈子が呟く。


「緊張するよねぇ」

「窓口対応も見られますからね。ミスしないようにしないと」

「うん。でもまあいつも通りにやれば大丈夫よ。落ち着いていこう」

「はい」


二人は途中フロア内に立っている検査部の行員に挨拶をしてから窓口へ向かった。

そして自分の持ち場に座ると開店準備を始める。

杏樹が現金計数機に紙幣と硬貨をセットしていると斜め後ろから検査部の行員が鋭い目つきで杏樹の手元を見つめている。

重苦しい空気に包まれながら杏樹は落ち着いていつも通りにきっちりと現金をセットした。

杏樹の一連の動作を見ていた検査部の行員は手にしていたクリップボードに何かを書き込むとその場から去って行った。

その途端杏樹はホッと息をつく。


そこで美奈子が囁いた。


「杏樹、リラックスリラックス」

「はい」


二人は笑みを交わすと開店準備に集中した。


そして店は開店時刻を迎えた。

シャッターが開くと同時に朝一番の客がなだれ込んでくる。杏樹の窓口にはいつものように三村生花店の店長がやって来た。


「杏樹ちゃんオッハー! あれ? なんか今日は鋭い目つきの見慣れない顔がいるわねぇ……もしかして?」

「そうなんです。本部の検査です」

「おやおや、もうそんな時期なのねぇ。じゃあ今日は私もおとなしくしていないと」

「フフフ、お客様は普通にしていらして大丈夫ですよ。じゃあお預かりしますね。お掛けになってお待ち下さい」

「よろしくぅー」


三村はにっこり微笑むとロビーの椅子に向かった。

杏樹は三村から預かった現金を機械に入れ金額を確認するとオペレーションをする。

入金された金額が通帳に印字されると処理は手際よく終わった。

そんな杏樹の一連の流れを少し離れた所から検査部の行員が凝視している。


(ふぅーっ、なんか落ち着かないな…)


そう思いつつ杏樹は大きな声で三村を呼んだ。


「三村生花店様ー」

「はーい」


杏樹は通帳を開いて見せると三村に金額を確認してもらう。


「OKよ、ありがとう。じゃ、検査頑張ってね!」


三村は杏樹を励ましてから両替機へ向かった。


「ありがとうございました」


その時杏樹を見ていた検査部の行員は別の場所へと移動して行った。

窓口対応は特に問題ないと判断したのだろう。


杏樹は漸くホッと息を吐くと次の客の対応を始めた。



そして午前中の仕事を終えた杏樹は、昼休みが遅番だったので少し遅めに食堂へ向かう。

食堂は空いていた。


「朝子さんこんにちは! お願いしまーす」

「杏樹ちゃんお疲れー、今用意するわねー」


朝子はすぐにトレーを出して皿を載せ始めた。


「今日はアジフライ定食だよ!」

「やったー、アジフライ大好き」

「ところでいよいよ検査入っちゃったわね。大変だねー」

「はい。あ、でも朝子さんも追加で検査部の方達のお食事も作っているんですよね? お疲れ様です」

「うん、まぁあたしは5~6名分増えたってどうって事ないけどさ。そういえば今年は検査部に女性が一人いるみたいだねー」

「女性?」

「うん、ここへ来る時に廊下ですれ違ったよ。副支店長と知り合いなのかな? なんか二人で親し気に話してた」

「へぇ……そうなんですね」

「まだ食べに来ていないからこれから来るかもね。すっごくスタイルが良くてモデルみたいに綺麗な人だったわー。はい、じゃあ杏樹ちゃんのはこれね」

「ありがとうございます」


トレーを受け取った杏樹はテーブルへ移動しながら思う。


(副支店長と知り合いの検査部の女性?)


そして杏樹は一番端の空いた席に座った。

杏樹が食べ始めて少しすると庶務の沙織がトレーを持ってやって来た。


「あれ? 沙織さん遅いですね。いつも早番なのに」

「それがさぁ、検査部の女が重箱の隅を突くようにあれこれ質問してくるもんだから参ったわよ。通常業務をしながらの応対だからマジ迷惑なんだけどっ! だからって無視も出来ないし……で、こんな時間になっちゃった」

「うわぁそれは大変でしたね。私検査部の女性にはまだお会いしてないです」

「午前中はほとんど2階にいたからね。なんかあの女副支店長にやたらと慣れ慣れしいんだけど知り合いなのかな? 超美人でスタイルもいいんだけどなんかこうツンとしてて明らかに私達を下に見ているみたいでさー感じ悪いったらありゃしない。ああほんとイライラするっ」


さっぱりした性格の沙織がそう言うのだから余程の事だろう。

沙織の普段の仕事ぶりはいつも丁寧で常に完璧だ。プライドを持って長年庶務の仕事に携わっているので検査部に指摘されるような点はないはずだ。そんな沙織にあれこれ言うなんてよほど細かい人なのだろう。


その時また誰かが食堂に入って来た。杏樹と沙織が振り向くとそこには優弥と美しい女性の姿があった。

女性はスラッと背が高く黒のスリムなパンツスーツに身を包んでいる。

ウェーブのかかったソフトな長い髪は彼女の女らしさを強調し、隙のないメイクを施した顔はモデルのように美しい。


女性は優弥の事をうっとりと見つめながら話しかけている。そして時折笑いながら優弥の腕にさりげなく手を掛けていた。

なんだか見てはいけないものを見てしまったような気がして思わず杏樹は目を背ける。

その時沙織が小声で言った。


「なんかさぁ、あの女副支店長にやたらとベタベタしてるよね? ああっ、ムカつくー」

「きっと本部時代のお知り合いなのかもしれませんね」

「それにしたって仕事中よ! それも検査で入っている店でアレはないわー」


沙織が呆れたように言うのを聞きながら、杏樹はもう一度コッソリと二人を盗み見る。

すると女性は食事を待っている間優弥にもたれかかるようにして会話を続けていた。その表情は満面の笑みだ。


(確かに…検査部の人があの態度はマズいかも? それに彼女の表情はどう見たって副支店長に気がある感じだわ)


その時杏樹は胸の中がもやもやするのを感じていた。


(あれ? もしかして私……やきもちを妬いてる?)


その時杏樹は二人を見てやきもちを妬いている自分に気付いた。

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