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そうして帝都を抜けて次の街へと続く平原まで出ても、グウェンダルは走り続けた。
馬がようやく脚を止めたのは、軒先にランタンが吊るされた宿屋の前であった。
何もない夜の道をぼんやりと照らすそれはいい目印になる。
次の街までは遠く、この平坦な道をさらにずっと走っていく必要があり、帝都と次の街までの間にはぽつぽつと宿屋が建てられていた。
貴族や裕福な商人が利用するような立派な宿もあるが、グウェンダルが選んだのは旅人が使うこぢんまりとした宿だ。
こんなところにホールトン公爵が泊まるとは、誰も想像すらしないだろう。
馬を厩舎に繋ぐと、グウェンダルは近衛騎士の制服を上だけ脱いだ。それを持たせられたかと思うとメリーティアごとマントにくるみ、横向きに抱き上げられる。
ほんのわずかな隙間から外の様子を窺うしかない。
宿屋に入ると慎ましいベルの音が鳴り、受付の奥の部屋から寝ぼけ顔の店主が慌てて迎えた。
頭の禿げあがった店主は、グウェンダルを前にすると途端に目が冴えた様子で萎縮してしまう。
人の好さそうな笑顔が見るからに引き攣った。
騎士団長だということは知らない様子だが、まとう雰囲気が常人とは明らかに違う大柄な男が夜中に訪ねてくれば、誰だって恐ろしいと思うだろう。
「い、いらっしゃい」
「部屋は空いているか?」
「個室ですか? 空いてますけど……あの…………旦那、面倒ごとはごめんですよ」
店主は、グウェンダルが抱いているものが明らかに人間の形をしていることに対して胡乱な目をする。
まさか死体なのでは、と疑っているのだ。
「――駆け落ちなんだ」
「そ、そうですか……応援しています……」
「ありがとう」
グウェンダルはさらっと嘘を言いながら、宿泊代金をカウンターの上に置く。店主が金を受け取り鍵をカウンターに置くと、すっと受け取った。
宿屋の二階は、旅人が安く利用できるように雑魚寝スペースになっている。今は閑散期のようで、まばらに人が寝ているだけだった。
木材が劣化しているのか、静かに歩いても軋む音が鳴るのが避けられない。
なるべく音が鳴らないよう配慮しながら、グウェンダルは階段をさらに上がっていった。
三階は個室が三つ並んでいる。今夜はどこも空いているようで三部屋とも扉が開け放たれていた。いずれも同じ作りで、そう広くはなさそうだ。
いちばん奥の部屋に入るとグウェンダルは扉をしっかりと施錠して、ベッドにメリーティアを下ろした。
「……っぷは」
「苦しかったか?」
「大丈夫……だけど」
ベッドに腰掛けると、前に跪いたグウェンダルに汚れた手をすくいとられる。
血はすでに乾いていて、手持ちの飲み水でハンカチを濡らしながら丁寧に拭ってくれた。
それから彼の視線はナイトドレスに向けられ、どす黒く変色している膝から下をためらいなく引き千切った。
ハンカチとナイトドレスの端切れをカンテラの火で燃やすと、燃えがらを床に落として靴底で念入りに踏みつける。
「……グウェンダル、あなたはばかね」
ケイリクスの件はまだはぐらかす方法がいくつかあったのに、離宮の使用人や騎士たちに手を出してしまった以上、皇宮に戻ればグウェンダルも罪に問われることは確実だ。
騎士団長の地位も、ホールトン公爵としての立場も、最悪の場合は命も危うくなるだろう。
そうまでしてどうして助けるの――なんてことは、もうわかりきっているから聞かなかった。
「国境を封鎖されて、すぐに帝国からも出られなくなるわ。きっとどこにも逃げられないわよ」
皇帝を殺した罪人と、それを幇助した罪人。そろって処刑になるだろうか。
望んだ未来とはかけ離れているけれど、いっしょに死ねるならふたりとも前回よりはマシな終わり方なのかもしれない。
そんなことを考えながらメリーティアがぽつりと呟くと、グウェンダルは膝の上に置いていた手に指を絡めてきた。
「準備は抜かりないと言っただろう。聖国ハイネに行くつもりだ」
「聖国ハイネ……?」
それは、第二皇子ユージーンの母の故郷だったと記憶している。
「君とともに静かに暮らせるのはどこだろうと考えて、ユージーン殿下のお力を借りて聖国ハイネに家を買ってあるんだ。財産もいくらか移してある。殿下の母君と唯一親しかったご姉妹が便宜を図ってくださるそうだから、身分を隠して入国できるだろう」
ユージーンの母は、国王の私生児だったはずだ。その姉妹となると紛れもなく王族である。王族の助力を得れば、たしかに見知らぬ土地である聖国ハイネでも安全に暮らせるだろう。
――だが、
「帝国から出られなければ何の意味もないわ」
メリーティアから鋭い指摘を受けても、グウェンダルの顔に焦りは見られなかった。
「国境は封鎖されない。次に皇位につくのはユージーン殿下だ。あの方は頭が切れるから、何が起こったのか察して、私たちが国境に辿り着くよりも先に此度のこともうまく丸めてくださるだろう。私は君が思っているよりも殿下と親しいんだ。私が君を連れて逃げるとき、如何なる状況でも見逃してくださると以前約束してくれた」
「どうして……ユージーン殿下はそこまで……?」
「私との友情以前に、ハイゼンベルグ侯爵家はあの方にとって大事な後ろ盾だ。君が起こしたことが表沙汰になればユージーン殿下の地盤も揺らぐし、君を見捨てれば侯爵家からの信頼も失う。それに――侯爵夫妻はタウンハウスに届ける前に『ヴィネコット』を秘密裏に私のほうへ送ってきた。中身を調べてくれと」
まさか両親がそんなことをしていたとは知らず、メリーティアは困惑気味に瞳を揺らした。
「アイボリー家が毒を入れたことは事前に確認が取れている。ユージーン殿下にも情報を共有してあるから、君の犯した罪はアイボリー家になすりつけることも可能だ。君の死体を偽装して、陛下とまとめて毒を飲んで死んだことにする、とかな」
「でも、あなたが刺した傷が残ってる」
「隠蔽すればいい」
グウェンダルがそのような悪だくみを口にするとは思わなかった。
だが本当にそうなれば、皇后の命令に従ってメリーティアの家族を毒入りワインで殺そうとしたアイボリー家を貶められなかった、という悔いもなくなる。
「それに殿下は意外と野心家で、以前から皇位を狙っていた。この状況はあの方にとって巡り巡ってきた好機と言える」
「でもホールトン公爵家はどうするの? あなたは公爵なのよ?」
「離宮に配属されてからほとんど家には帰れていないから、その間は分家筋の者に当主代理を任せていた。彼ならホールトン家をうまく導いてくれると信じている」
「…………」
「ほかに気になることは?」
優しく包み込むような笑顔を向けられて、メリーティアは顔をくしゃりと歪める。
グウェンダルが前回とは違う幸福な人生を送ることができるように、と彼から離れようとした。
なのに一方で彼はメリーティアとともにいられるよう手を尽くしていたと知って、頭の中はぐちゃぐちゃだ。
メリーティアは震える指でグウェンダルの手を握り返し、力をこめる。
「なぜそんなにわたしを愛してくれるの……? 自分を犠牲にしてまで、どうして」
これまでグウェンダルに対して、世間から見ても最低なことをしてきた自覚がある。
愛される資格があるようには思えなかった。見限って当然なのに、そうしない理由がわからない。
メリーティアは外見以外には特別優れたところなどなかった。
兄のように頭がいいわけでもなければ、父のような商才もない。
ハイゼンベルグ侯爵家という家柄も、ホールトン公爵家からしてみれば取るに足らないだろう。
自分よりも優しい人間なんてたくさんいるし、いつも笑顔で明るい人も、いっしょにいて楽しい人も、ほかにいくらでもいる。
グウェンダルほどの男ならば、それこそ選り取り見取りだ。
「愛に理由が必要か?」
思わず押し黙ると、グウェンダルはメリーティアの手の甲を撫でながら考え込んでいた。
「……特別な理由があるわけじゃない。ただ君がそばにいない未来が想像できなかった。初めて出会ったあのときから私は、君と結婚をして、いずれかわいい子どもたちに囲まれて、共に老いていく人生を思い描いてきたんだ。メリーティア、今さら君以外は考えられない」
(……ああ、グウェンダルもわたしと同じなんだわ)
グウェンダルより地位の高い男も、美しい男も、情熱的な男もいる。けれどメリーティアは彼でなければだめなのだ。
どうして、なんて説明を求められても上手く言葉にできない。
もしメリーティアも同様の質問に答える機会があれば、グウェンダルと同じように答えただろう。
「……すまない。口が上手くなくて」
メリーティアはうつむいて、首をぶんぶんと横に振った。
グウェンダルの愛は、しっかり伝わっている。
「わたしがどうしてこんなことをしたのか、聞かないの……?」