「……入っていいですか」
ドアが静かに開き、制服の裾を指でいじりながら一人の生徒が入ってきた。
蓮司はペンを指先で回し、軽くあごを動かして椅子を示す。
「どうぞ」
生徒は小さく会釈して腰を下ろす。
「親のことで、話を聞いてほしくて」
「うん」
少し息を整え、生徒は言葉を紡ぐ。
「親と話すのが、最近すごく疲れるんです。
大学のこととか進路のこととか、いろいろ口を出されるたびに、何も言いたくなくなって」
「意見が合わない感じ?」
「そうです。心配してくれてるのはわかるけど……私の考えは“まだ早い”とか“現実的じゃない”って。
話しても否定されるだけなら、もう黙ってたほうが楽かなって」
蓮司はペンを止め、机に置く。
「言葉にするのがしんどくなるよな」
「はい……。
でも、距離を置こうとすると“最近冷たい”って言われて、余計つらい」
蓮司は椅子にもたれながら、少し視線を柔らかくした。
「親子って近いからこそ、距離を測るのが難しい。
親も“子どもを守る”って思いがある分、手を離すのが怖いんだと思う」
生徒は眉を寄せた。
「じゃあ、私はどうしたら……」
「まずは、自分がどれくらいの距離なら呼吸しやすいかを知ることかな。
家にいても、心の中に“自分の場所”を持つ。
全部話さなくてもいいし、話したいことだけを選んでいい」
生徒は小さく息を吐く。
「……それって、わがままじゃないですか?」
「わがままじゃない。
相手の全部を受け入れなくても、愛情はなくならない。
自分の考えを守るのは、親を突き放すこととは違う」
沈黙が部屋を満たした。
カーテンが風に揺れ、夕方の光が机の上を淡く染める。
「……話したいことだけ、選ぶ」
生徒はその言葉をゆっくり繰り返す。
蓮司は頷き、ペンを再び回し始める。
「焦らなくていい。
少しずつ、言いたいことと黙っておくことの境目を、自分のペースで決めればいい」
生徒は椅子から背を離し、深く息を吸った。
その顔に、かすかにほぐれた色が宿る。
「……少し、息がしやすい気がします」
蓮司は何も言わず、ペンを回し続けた。
部屋には、柔らかい静けさがただ漂っていた。
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