その日の夕方、雪子は帰宅するとすぐにソファーへ腰を下ろした。
あのキスの後、二人は江の島まで行き美味しい海鮮丼を食べた。
食事をした後は、手を繋ぎながら土産物店を一つ一つ見て歩いた。
そんな二人は、傍から見たら初々しい若者のデートのように微笑ましかった。
建ち並んだ店の中にはガラス細工を扱っている店があった。
雪子は気になったのでその店へ入ってみる。
すると店内にはガラスで出来た繊細なアクセサリーが所狭しと並んでいた。
雪子はそこで可愛らしい雫型のイヤリングを見つける。
そのイヤリングに一目惚れした雪子がそれを買おうと財布を取り出したところ、素早く俊が支払いを済ませてくれた。
そのイヤリングは、海で拾ったヒメホシダカラ貝と桜貝に続いて、俊から贈られた三つ目のプレゼントとなった。
雪子は嬉しくて買ってすぐにその場で耳に着けた。
そして帰宅した今、それをそっと耳から外す。
手のひらの上のイヤリングは、透明なガラスと白色のガラスの二色から出来ている。
まるで雪のように儚げで繊細なイヤリングだった。
雪子はそれを大切そうにギュッと握る。
そして今度は左手の指でそっと唇に触れた。
雪子が最後にキスをしたのは、おそらく和真が生まれる前だったかもしれない。
和真を出産してから雪子と元夫の俊之はセックスレスだった。
今思えば、その頃から俊之は浮気をしていたのだと思う。
夫婦としてのスキンシップはなくても、俊之は妻や子の為にマイホームを買おうとしてくれていた。
だから、雪子はまさか俊之が浮気をしているなんて夢にも思わなかった。
しかしその後2人は離婚した。
だからキスは25年ぶりだった。
そんなにも長い間、自分は誰からも愛されていなかったのかとわかると愕然とした。
そして、50を迎えてまた誰かとキスをするとは思ってもいなかった。
雪子は唇を指でなぞりながら、先程の俊の唇の感触をぼんやりと思い返していた。
『ピンポーン!』
その時インターフォンが鳴った。
雪子はハッと我に返ると、今日の夕方届く荷物があった事を思い出し慌てて玄関へ向かった。
それから2週間が経った。
俊はこの日東京の現場にいた。
今取り組んでいる店の内装はほぼ完成に近づいていた。
あとはメニューやマーケティング等についての詳細を詰めていく。
一見地味な作業ではあるが、実はここからがプロデューサーとしての腕の見せ所だ。
この日俊は、現場近くのカフェでマーケティング担当の加藤やフードコーディネーターを交えて打ち合わせを行っていた。
話し合いが一段落すると、俊以外のメンバーはその場を後にした。
しかし俊はカフェに残りもう1杯コーヒーを注文した。
2杯目のコーヒーが来ると、俊はスマホを手にしてメッセージを打ち始める。
【今打ち合わせが終わったよ。雪子は今日休みだよね。何してる?】
打ち終わると、すぐにメッセージを送信した。
送信してから数分後に既読がつきすぐに返信が来た。
【お疲れ様! 今ね、少し遠くのスーパーへ行ってみたら新鮮なお野菜が激安だったからいっぱい買い込んじゃった】
雪子のメッセージを見た俊は思わず微笑む。
そしてすぐに返信した。
【それは良かったね。俺がそっちにいたら食べるのを手伝ってあげたのになぁ】
するとすぐに返信が来た。
【今週はずっと東京でしょう? 残念でした。お仕事頑張ってね】
【ありがとう】
俊は笑みを浮かべた穏やかな表情でスマホをポケットへしまった。
あのキスの日以来、二人の距離はぐんと近づいていた。
俊は少しでも暇があれば、マメに雪子へメッセージを送った。
雪子も勤務中以外はすぐに返事をくれる。
この2週間の間に、二人で3回食事に行っていた。
1回はランチ、あとの2回は夕食を共にした。
帰りは必ず車で雪子を家まで送った。
別れ際には必ずキスをした。例えそれが昼間であってもだ。
俊はそうやって雪子とのスキンシップを欠かさないようにしていた。
雪子が少しでもそういった行為に慣れるようにと、あえてそうしていた。
あの日海で初めて雪子へキスをした時、雪子の反応は初めてキスをする少女のように初心だった。
そのあまりの初々しさに俊はかなり驚いていた。
それは、雪子が離婚して以降男性経験が全くないという事を示している。
離婚して20年、全く男性と触れ合う事のなかった雪子にとって、
これから始める恋人同士のスキンシップはかなり緊張を伴うものだろう。
そんな雪子を決して怖がらせる事がないよう俊なりに色々と考えていた。
決して急ぐつもりはない。
まずは俊の事を心から信頼してもらえるようになる事が大事だ。
その為には全てイチから始めなければならない。
今まで女に対しあれこれ手間をかけるなどした事のない俊にとって、この作業はかなり面倒な事だ。
今までだったら、そんな手間をかけるくらいなら違う女へ乗り換えればいい、そう思っていただろう。
しかし今回はその面倒な作業が楽しくて仕方がないのだ。
先程のメッセージのように他愛のないやり取りも新鮮に感じるから不思議だ。
今の俊は雪子とコミュニケーションを取る事が楽しくて仕方がなかった。
まるで初恋の時のように何もかもが新鮮なのだ。
すっかり雪子に翻弄されている自分が可笑しくなり、俊は思わずフッと笑った。
それから俊はコーヒーを一口飲むと、目の前にある仕事へ集中した。
コメント
4件
↓↓私もお二人と同感です👍️💕 穏やかで自然体で、イイ雰囲気のお二人....👩❤️👨 イケメンでプレーボーイの俊さんだけれど、 雪子さんの前では一途な恋する青年になっちゃうのが素敵ですね🥺💖 ゆっくり愛を深めていけますように🍀✨
↓ノルノルさんに激しく同意ですー🫶 俊さんからの3個目の🎁のガラスの透明と白色の組み合わさったイヤリングって、まるで俊さんと雪子さんみたい(ꈍᵕꈍ)✧*。ꕤ*.゚✩︎⡱✧*。
俊さん自身が雪子さんとの『最後の初恋』を切望してたんですね〜🥰😉❤️ だからこれまで恋愛を組み立てて行くことが面倒くさかったのに雪子さんとは全くそう感じないのは、やっぱり『初恋の時』に戻ったんですね😉💕 そしてそれは雪子さんも同じ思いで…💕🥰💕✨